【インタビュー】アメリカで活動する女性プロドラマーMisaiの、奇天烈仰天ストーリー
Misaiという女性ドラマーをご存知だろうか。2009年に単身渡米しロサンゼルスで数々のバンドで演奏しながら修行を積み、2015年に現在のバンドDollfaceに加入すると同時にラスベガスへ移住し、エンターテイメントの本場・ラスベガスを中心に全米を飛びまわりながら年に100本以上のライブを行っているプロドラマーだ。
◆Misai画像
兵庫県出身のMisaiは、中学時代に不登校がきっかけでドラムを始め、17歳からラウドネスのドラマー樋口宗孝に師事しロックドラマーの道へ進むこととなった。2006年にヘヴィロックガールズバンドLOW HEAD MACHINEのドラマーとしてCDデビューを果たしたMisaiだが、彼女は自らの活動の拠点を米国に置いた。
2014年から参加しているアメリカで唯一のAlice in Chains女性トリビュートバンド:Allison Chainsが<One of the Best All Female Tribute Acts in the World>に選ばれ、現在もRolandとAHEADのアーティストとしてドラムクリニックや、数々のアーティスト・バンドのサポート活動も精力的に行っている。
──ドラムを始めた頃のお話を聞かせてください。
Misai:中学1年生の時にいじめに遭い、不登校になり引きこもっていました。その時にたまたま見た音楽雑誌でラクリマ・クリスティーというバンドをみて興味を持ちCDを買いました。それでライヴを観に行き、レビンさんに憧れドラムをやりたいと思い、始めたんです。その後プロになりたいと思い、大阪の専門学校へ入学し本格的にドラムを習い始めました。
──すでにドラマー人生が始まっていたんですね。
Misai:専門学校時代に5~6バンドくらいかけ持ちしてやっていたんですけど、きちんとしたメインのバンドはLOW HEAD MACHINEという4人組のギャルバンドでした。サウンド的にはKOЯNやパンテラのような激しい音楽で、メンバーには今マーティー・フリードマンバンドで活動している女性ベーシストの清も一緒でした。
──Misaiが影響を受けたのはどんなミュージシャンですか?
Misai:一番影響を受けたのはモトリー・クルーのトミー・リーとラウドネスの樋口宗孝さん。他にはドラマーだとパンテラのヴィニー・ポール、ニッケルバックのダニエル・アデアです。
──アメリカに来て7年目ですが、元々アメリカに行きたいと思っていたのでしょうか。
Misai:中学生の時からラクリマ・クリスティー以外は洋楽しか聴いて来なかったので、いつか機会があれば行ってみたいなという程度でした。
──何故、2009年にいきなり渡米を?
Misai:2008年に上京して、東京でカッコいい女性ミュージシャンを探していたんですけど「一緒にやりたい」と思える人が全然見つからず、途方に暮れてる時に、たまたまLA在住の先輩ミュージシャンの誘いで1週間だけLAに遊びに行ったんです。その時に、アメリカ大陸の大きさと人の多さを目の当たりにして「ここなら一緒にプレイできるミュージシャンが見つかるんじゃないか」と思ったんです。それで渡米を決意しました。実は、2008年に師匠である樋口さんが亡くなられたのももう1つのきっかけで、樋口さんがアメリカで見て来られた景色や経験された事を「自分も見てみたい、経験してみたい」と思ったのも理由のひとつです。
──アメリカに行ってみて、実際どうでしたか?
Misai:最初は英語が全く喋れなかったので、学生としてアメリカに来て英語の勉強をしながら「craigslist」というオンラインコミュニュティサイトにあるバンドメンバー募集のページで募集をかけて活動を始めました。セッションやサポートも含め今までに20を超えるぐらい沢山のバンドと演奏してきたと思います。
──どのような音楽生活だったのでしょうか。
Misai:2015年からはDollfaceという4人組の女性バンドで活動しているんですが、基本的には自分のバンドでオリジナルをやりながら、掛け持ちで2~3バンドやってました。その中には<アニメエキスポ>などのアニメコンベンションで日本のアニメソングをプレイするバンドもありましたし、サポートでその時だけツアーに参加して全米ツアーを回ったりすることもありました。アメリカではトリュビュートバンドがとても人気があるので、Allison ChainsというAlice in Chainsのトリュビュートバンドでもプレイしています。アメリカではLGBTコミュニュティーが盛んなので、パームスプリングスの<プライド>というLGBTフェスティバルにも出演しています。また、ローランドやドラムスティックのアヘッドの協力で、ドラムクリニックも定期的に開催しているんです。
──アメリカでプロミュージシャンになるというのは、どういうことでしょうか。
Misai:日本だと事務所に入ってメジャーデビューしたらプロという感じが一般的ですが、アメリカではミュージシャンとして働いてお金を貰って自分で「私、プロです!」と言ったらもうプロですよね。例えばバンド以外でバーテンダーやレストランで働いたりしながら演ってる人はプロミュージシャンとは言わないです。こっちでは音楽で稼いで食べている人の事をプロミュージシャンと言い、事務所に入っているとかメジャー・デビューとかは全く関係ないです。
──現在はDollfaceで活動中ですが、日本人の女の子がアメリカ人のバンドに加入するのはどういう感じなのでしょう。
Misai:今のバンドに入ったキッカケは、以前から何度もオファーは頂いていたのですが、学生ビザというステータスの問題で加入できない状況だったんです。2015年にバンドがアーティストビザのスポンサーになってくれてビザが取れたので正式加入しました。日本人の女の子がアメリカ人のバンドに加入するのは珍しいことらしいんですけど、せっかくアメリカにいるんだから日本人とは組みたくない、と思ったんです。文化の違いで大変な事は多々ありますけど、アジア人が1人バンドにいると良い意味で目立ち話題にもなりますよね。日本人らしい真面目な性格が周りのスタッフやメンバーの信頼を得ているので、細かい事さえ気にしなければとても活動しやすい環境だと思います。
──Dollfaceはどういうバンドですか?
Misai:Dollfaceは女性4人組バンドで、ヴォーカルはフロリダ出身の白人の女の子で、ギターはスウェーデン出身、ベースはカリフォルニア出身のメキシコ人、ドラムが私日本人です。ラスベガスを中心に、全米のホテル、カジノ、クラブで演奏しています。日本のバンドと違う所は、日本のバンドはワンマンだと2時間半ぐらいだと思うのですが、うちは毎回ワンマンで3~4時間(1時間を3セット~4セット)演奏します。いわゆるハコバン/パーティーバンドですね。
──やはりガールズバンドにこだわった?
Misai:メチャクチャこだわってました。女の子だけでゴリゴリのカッコいいバンドをやりたかったんです。まず男のミュージシャンに興味がなかったんです(笑)。なんか色々面倒くさそうなので、女の子だけでやりたかったんですね。なので、日本で演っていたLOW HEAD MACHINEもカッコよかったんですが、一般受けしないジャンルだったのかもしれません。仕事ではカバー曲を演りますけど、オリジナルもカッコいいので、Dollfaceが自分の理想に一番近い形です。
──実際にアメリカで活動してみて、どんなところが日本と違いますか?
Misai:一番大きな違いは、アメリカは頑張ったら頑張っただけ努力が認められる国なので、一見不可能なことであっても自分の努力次第でなんとかなる可能性が出てきます。ライブでの違いは、日本は昼から会場入りしてリハーサルをして、夕方頃からライブというのが一般的だと思うんですが、アメリカは余程大きな会場で無い限り、出演時間の1時間前くらいに会場入りして本番直前に軽くサウンドチェックがあるくらい。リハーサルやサウンドチェックが無い会場も多いです。ライブが始まるのも早くて夜19時、うちのバンドは大体21時から始まって終るのは深夜1時とか2時なので、時間帯も日本と比べると凄く遅いです。ライブ会場に機材が全くないところも多いので、基本的に機材は全部持ち込みですね。ツアー中は機材を地元のドラマーに借りたりするんですけど、今回の東海岸ツアーの時のドラムセットはおもちゃみたいなドラムで、シンバルも全て割れていました(笑)。パーツの足りないものもあったのでガムテープでパーツを自作しましたよ。
──日本では考えられないですね。
Misai:会場によってはカジノ内とか音量制限がある場所もあるので、良くないコンディションのドラムをチューニングした上でナプキンとガムテープでミュートをして、音量調整するのが日課になっていました。これも本番前の1時間程の限られた時間内にセットの組み立てからするので毎回必死ですよ。マイクがない会場も多いので、デッドな音でロックやメタルの曲をできる限り優しく叩かないといけないときは、毎回一苦労です。そもそも、ツアー中の移動で州をまたいだりすると軽く半日くらいかかるので、本番よりも移動時間で疲れてしまうのが、アメリカツアーあるあるです。
──凄い世界ですね。
Misai:でも、アメリカでのライブはチケットが凄く安くて、ローカルのライブだと大体いつも$10以下なので、気軽にライブを楽しむことができるんです。有名なアーティストのライブも良い席になれば高いけど、1番安い席は$25とかで観れちゃいます。VIPパッケージと呼ばれるチケットを買うとバックステージでメンバーと一緒に写真が撮れたりリハーサル見学ができたり、スペシャルグッズが貰えたりしますよね。ちなみにDollfaceのライブは、ホテルやカジノで演奏するので大体いつも入場無料なんです。
──日本のミュージシャンとアメリカのミュージシャンの違いもありそうですね。
Misai:日本のミュージシャンはライブが終ってから打ち上げでお酒を呑みますが、アメリカのミュージシャンはライブ前・ライブ中・ライブ後、常にお酒を呑んでます(笑)。お酒が入って多少演奏が荒くてもカッコ良ければ凄く盛り上がります。マリファナでぶっ飛んでいる人やドラッグでラリっているミュージシャンもよく見かけます。実際に私が経験したのは、たまたま知り合ったバンドでサポートドラマーとして全米ツアーを回る事になったんですけど、ベースがいなかったのでまさかのiPodを流しながら演奏していました。ツアー中は、行く先行く先でドラッグ中毒のボーカルの意味不明な言動行動で毎晩のように警察沙汰になり、1曲演奏して会場を追い出された事もありました。最終的にウィスコンシン州でボーカルがマリファナとドラッグ所持で逮捕され、ツアーがキャンセルになり、私1人で機材車に乗ってLAまで帰る羽目になりました。距離にして約3500キロ程あるので日本一周できてしまいそうな勢いですね。
──壮絶ですね。
Misai:ホテルに宿泊するお金もないし、できるだけ早く帰りたかったから、車内で仮眠を取りながらひたすら運転してました。凄く寒かったので夜に運転をして昼間の暖かい時に大型スーパーの駐車場で仮眠。内陸は1日中運転していても景色が変わらず、畑・牛・馬・山という感じで、日本のようにサービスエリアもないので、途中の街でフリーウェイを下りて給油し、エナジードリンクとジャーキーとガムだけで飢えをしのぎました。エナジードリンクの飲み過ぎで両手が震えて、ガムとジャーキーの食べ過ぎで顎が外れそうな状態のまま丸々3日かかってLAまで帰って来ました。
──…。
Misai:途中のフリーウェイでスピード違反で警察に止められた時に「日本人の女の子がなぜこんな遠く離れた州にいるんだ?」と聞かれたので、今まで起こったことを警官に全部話したら「車の中を調べさせてくれ」と言われました。調べて「もし車内にマリファナやドラッグが見つかったら、例えそれが私のものではなくても私は刑務所に行かないといけなくなる」と伝えられ、恐ろしくて震えながら見守っていたのですが、結局何も出て来なかったので、「何も出て来なくて僕もホッとしてるよ!チケットは切らないからどこかで少し休んでから帰りなさい。安全運転で頑張って帰るんだぞ」と警官にハグされて逃してくれました。今までカリフォルニアから出たことがなかったので、大陸の大きさを肌で感じ、途中から恐怖の中にもワクワクする感情が芽生えました。ツアーが終わったら日本へ帰国するつもりでいたんですけど「こんな経験、日本じゃ絶対出来ないから、もっとこの国に残って色んな景色を見てみたい」と思うようになって、アメリカ滞在を延長する決心をしました。日本では絶対にあり得ないような話はアメリカでは日常茶飯事で、もう多少の事では動じないですね(笑)。
──今まで相当な数のライブをやられてきていると思いますが、印象に残っているライブはありますか?
Misai:先日コネチカット州で行われた、一万人が参加した「スペシャル・オリンピックス(知的発達障害者の為のオリンピック)」ライブが1番印象に残ってます。知的発達障害者の子供達がライブ中にステージに上がって来て、一緒に歌ったり踊ったりしていて、ライブ中に子供達それぞれが好きなメンバーにバラの花を渡して来てくれたりしました。ライブ中にバラの花をたくさん貰ったのは人生で初めてだったので、とても印象的でした。音楽で世界を平和にすることが私の夢でもあるので、今回のツアー中、行く土地行く土地でライブ中に沢山の人達の楽しそうな笑顔に出会えたのが1番嬉しかったです。
──ホームシックになったり、日本に帰りたいと思ったことは無いですか?
Misai:今のバンドに入るまではホームシックになった事もありましたけど、今はありがたい事にアメリカでの仕事が忙しくホームシックになっている暇もないくらい。
──アメリカに来て良かった点は?
Misai:日本では経験のできないことがたくさん経験できたことですね。些細なことを気にせずポジティブ思考になれたし、自分という人間の人生を楽しめるようになりました。
──今後も楽しみですね。
Misai:先日の東海岸ツアーの反響がとても大きかったので、今後は東海岸方面のツアーが増えます。アメリカに来た当初は、日本の友人や家族から「そんな夢みたいな話、無理だろう」と言われてきましたけど、失敗を恐れずどんどんチャレンジしていくことによって、自分次第で夢は切り開かれつかみ取れるものだということを、若い世代の方々に伝えて行きたいです。
取材・文:Sayaka Shiomi