いい音爆音アワー vol.64 「B面どんでん返し特集」

いい音爆音アワー vol.64 「B面どんでん返し特集」
2016年3月16日(水)@風知空知
「B面」という言葉自体使われなくなって久しいですが、アナログ・レコード時代は表と裏があり、A面B面と呼んでおりました。特にシングルでは、A面はその時のアーティストのいちばん押しモノの曲、対してB面はぶっちゃけまあ何でもいい、今で言うボーナストラックみたいなもんですかね、扱いに大きな差があったのですが、ごくタマに、A面よりB面曲のほうが評判になるということが起こりました。さらにはAB面をひっくり返して再発売するというケースもありました。レコード会社やプロダクションが懸命にプッシュするA面曲を差し置いてヒットしたのですから、そのB面曲はよほどパワーがある、つまり名曲だったに違いありません。
今回はそんな、「どんでん返し」なB面曲を集めてみました。
福岡智彦 (いい音研究所)
セットリスト
【追悼②】Keith Emerson —
Emerson, Lake & Palmer「Eruption~Stones Of Years」
指の神経症を憂いて自殺?!鍵盤を弾けないくらいなら死んだほうがマシということだったのでしょうか?凄まじい鍵盤人生に合掌です。
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2nd アルバム『TARKUS』(1971年5月発売)収録
作詞:Greg Lake/作曲:Keith Emerson/プロデュース:Greg Lake
アルバムは全英1位・全米9位・オリコン55位(ELP唯一の1位獲得作品)
キース・エマーソン:
1944年11月2日 – 2016年3月10日 英国ランカシャー州トドモーデン生まれ
二十歳になる前からピアノやハモンド・オルガンで音楽活動を始める。
1967年、ソウルシンガー、P. P. Arnoldのバックバンドとしてスタートした”The Nice”が徐々に評判になる。
1970年、Emerson, Lake & Palmerを結成。
1979年の解散までに7枚のアルバムをリリース。
ナイス時代からハモンド・オルガン「L-100」を傷めつけながら弾く過激なパフォーマンスがトレードマークで、「オルガンのジミ・ヘンドリックス」と呼ばれた。
また、シンセサイザーを初めてロックに持ち込んだとしてその功績を讃えられている。「ロックという分野においてシンセサイザーをどう使うかという方法論を提示した最初の人物」とロバート・モーグから評されている。
一方、サンプラーについてはメロトロン以来否定的で、フェアライトCMIが流行ったときも「不純だ」という理由で使わなかった。
2016年3月10日、ロサンゼルスの自宅で死去。地元の警察によれば、頭を銃で撃ち抜いての自殺。享年71歳。
右手に神経の障害があり、悪化しているを自覚していたため鬱状態であったと言われる。
4月に東京・大阪のビルボード・ライブで公演を予定していた。
ちあきなおみ「矢切の渡し」
演歌らしくないサッパリとした歌唱が逆によいです。
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シングル「酒場川」(1976年10月1日発売)のB面だった
作詞:石本美由起/作曲:船村徹
1976年シングルの際、スタッフは「矢切の渡し」をA面としたかったが、ちあきは「酒場川」を希望したため、B面収録となった。
この時は、何の話題にもならず、本人もステージなどでも一度も歌わなかったが、6年後の1982年、「矢切の渡し」は梅沢富美男の舞踊演目に使われて好評を得、同年6月に開始したTBS系テレビドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」(梅沢も出演)の挿入歌としても使用されて話題を集めた。そこで同年10月21日、本作をA面として改めてシングルが発売された。
翌1983年に細川たかしがこの曲をカヴァーし、シングルが発売された。同年中にこの他、瀬川瑛子、中条きよし、春日八郎&藤野とし恵、島倉千代子&船村徹など、7組のシングルが競作で発売されたが、最も売れたのは細川盤だった。
なぜか、ちあき盤は細川盤(同じ日本コロムビア)が発売された際に生産中止となっている(ちあきは1983年、ビクターに移籍し、外国曲の日本語カヴァー・アルバムを制作していた)。
山下達郎「Bomber」
B面だったのに、山下達郎の運命を変えた曲。
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1st シングル「Let’s Dance Baby」(1979年1月25日発売)B面
4th アルバム『GO AHEAD!』(1978年12月20日発売)収録
作詞:吉田美奈子/作曲:山下達郎/プロデュース:山下達郎
「Let’s Dance Baby」は”ザ・キング・トーンズ”の1978年のアルバム『レゼレクト 銀河からの帰還』に提供した曲。ディレクター小杉理宇造が気に入り、アルバム4作目にして初のシングル曲となった。
「Bomber」は”アイズレー・ブラザーズ”のようなハード・ファンクをやってみようと思って作ったとのこと。なぜか大阪のディスコで大ヒットした。それを受けて、大阪ではシングルのAB面を逆にして臨時発売された。
『GO AHEAD!』は「最後の作品になるかもしれないという思いがあったので、やりたいことを詰め込んだゴッタ煮のアルバムとなった」と本人が語る。作曲家への転向も考えていたらしい。その中から「Bomber」がヒットし、彼の運命が変わり始めた。