【インタビュー】サンドクロック、日常の中にある手の届かないものや願望の意味を込めた魅力作『LIFE IS FANTASY』

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メンバーの滝田周、永田佳之、それぞれがソロのシンガーソングライターとしても活動していたという経歴を持つサンドクロック。2015年6月にメジャーデビューした彼らが、11月4日に早くも2ndミニアルバム『LIFE IS FANTASY』をリリース。メインヴォーカルがスウィッチすれば、ドラマティックに表情を変え、二人で歌えば絶妙なハモりを響かせる歌声が彼らの魅力。今作は、その魅力を最大限に引き出した作品となっている。

◆サンドクロック~画像&映像~

■「喋りたくもなくなるし顔も見たくなくなることを一緒に経ようぜ」って言っていた
■想定してたなら回避すればいいものを見事に顔も見たくなくなったという(笑)


――二人とも、もともとはソロで音楽活動をしていたそうですが、ユニットを結成しようと思うほど、お互いのステージに衝撃を受けたということで、すごいライヴだったんですね。

永田佳之(以下、永田):僕が誘ったんです。もともと僕は二人組で活動していたこともあったので、また誰かと組みたいなぁと思いながらソロ活動をしていて。ユニットとかバンドの方が活動に広がりが出るんじゃないかと思って。でも、いわゆる二人組のデュオを結成して、パーソナルな部分を消してしまうのは嫌だったので、どっちも個性を出すことができて、それぞれが同じパワー感でできる人がいないかなと。それで、「ルームシェアをしようぜ」と誘いました。

――面白い誘い方ですね。本当にルームシェアをしようってことではないですよね?

滝田周(以下、滝田):はい。実際に一緒に暮らすってことじゃなく、音楽的な例えとしてのルームシェアってことですね(笑)。

永田:ルームシェアをする……一緒には住むけど各々のやりたいことはやる。パーソナルなものをしっかり残しながら活動をするってことです。


――飲み込めました(笑)。滝田さんは、誘われてどう思ったんですか?

滝田:僕が音楽を始めたのは大学卒業後の24歳で、スタートとしてはかなり遅いんです。実は誘われたのは、音楽をはじめて1年経ってないくらいだったんですよ。まだ一人でいろいろやってみたいこともあったから、二人組で活動するなんて考えていなくて。でも、身近なところにアーティストがもう一人いるっていうのは、ソロでやってるより刺激があるだろうなと思ったんです。

――活動を始めて、実際、どうでした?

滝田:最初の2年くらいはすごい吸収しましたね。永田は僕にないものを持っているし、聴いていた音楽も違っていたし、書く曲のノリ、歌詞のタッチ、まったく違うので。そういう意味で、すごく勉強になりました。それまで僕は、あまり洋楽を聴かなかったんですけど、結成してからいろいろ教えてもらって洋楽も聴くようになりましたし。

――ちなみに、大学卒業後に滝田さんが音楽を始めた理由ってなんだったんですか?

滝田:もともと歌うことが好きだったんです。もちろん、聴くのも。でも、自分は無理だろうと思っていたし、家庭が厳しかったというのもあって、夢を追いかけて「歌手になりたい!」なんていう雰囲気ではなく。普通に大学に行って、就職活動もしたんですけど、いざ卒業ってなった時に、「ここでやらないと、もうたぶん一生やらないんだろうな」と思ったんですよ。後悔するくらいなら20代のうちにやってみよう!と、親に「就職しません!」と宣言して。そこからピアノをはじめて、曲作りも覚えていって。

――永田さんが音楽をはじめたのは? 学生時代は卓球で全国大会に出たり、趣味もフットサルとかキックボクシングとか体育会系のようですが……。

永田:そう、実は卓球、結構すごかったんです(笑)。だから、学校を卒業して卓球を辞めてから熱中するものが欲しくて。そんなわけで、僕が音楽を始めたのは18歳で、意外と遅かったんです。もともと友達とカラオケに行くのが好きだったから、「歌手でも目指してみようかな!」っていう、最初は軽いノリだったんですけど、音楽をちゃんと始めてからはプロになることが目標になりました。

滝田:僕も3年以内に芽が出なければ音楽は辞めるという約束を親としていたので、プロを目指して本気でやっていました。結局、滑り込みセーフでメジャーデビューすることができたんです。

――そんな二人がユニットを組んで4年ですが、これまでの間には何度も衝突を繰り返したそうですね。

滝田:組んだ頃はお互いにすり減っていましたね(笑)。

永田:最近は衝突も摩擦もないから、懐かしい記憶です。

――どんなところで衝突してたんですか?

滝田:全部(笑)。一時期はお互いに、音楽以外のところでも、何をやっていても、食べ方までもが嫌だった(笑)。

永田:結成する時に、それは想像できてたんですよ。喋りたくもなくなるし、二回は「辞める」って言うだろうとか(笑)。

滝田:もともと気が合ってて、仲がいいから組んだとかではないですからね。どっちかって言うと、気が合わなくて全然違うから一緒にやろうっていうのが始まりだったので。

永田:そうそう。「喋りたくもなくなるし、顔も見たくなくなるから、それを一緒に経ようぜ」って言っていたくらいで。想定していたなら回避すればいいものを、見事に顔も見たくなくなったという(笑)。

滝田:そうそう。でも、最初はお互いを理解していないわけだから、わかりあうためにも、そうやってぶつかって、敬遠し合ってでもやっていかないと何も生まれないですよね。

永田:でもそうやってぶつかってたのも最初の2年くらいでしたね。

――永田さんは、もともと二人組で活動した経験があったから、そういう事態になることが予想できたの?

永田:いや、僕、エッセイとか読むのがすごく好きなんです。芸人さんとかミュージシャンの本を100~200冊とか読んでて。そうすると、「顔も見たくなくなる」とか、だいたい同じことを言ってるんです。みんな同じ道をたどるんだなぁと。最初はバンドとかグループとか、同じ組織で出発して、最終的に各々の道を歩むようになるのかもしれないけど、大きくなっている人って、そうやって組織での活動を経た人が多いなぁと。一時期の感情だったとしても「どうしても許せない」と思う相手と一緒に活動することって栄養になるんだなって思ったんですよ。だから、「どうしても許せないだろう」ってなりそうな相手を選んだんです(笑)。

――すごく複雑……(笑)。

滝田:その時代はもうとっくに終わり、今では考えていることもだいたいわかるんですよ。サンドクロックの中でのそれぞれの役割分担もできているし、ぶつかり合うこともないです。

永田:一緒にやってる中で、「モノクローム」(2011年6月にインディーズでリリースした1stシングル)という曲ができたんですけど、この曲で滝田のど真ん中にある物に共感したんですよ。「これなら大丈夫だ!」っていうものが見つけられた。

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