【座談会】オムニバス盤『Agitation Clysis』、V系6バンドが「衝撃に、人生変えられている」

ポスト

■私はルネッサンスがしたいんです、文化復興を──Kaya(Femme Fatal)
■普段は見れない人たちを見られることに対する熱量の高さがあった──一也(HOLLOWGRAM)

▲Kaya(Femme Fatal)

──では今、みなさんがキャリアを重ねながら活動をしてきたヴィジュアルシーンであったり、アンダーグラウンドシーンについて、何か思うところはありますか。

龍蛾:うーん、何が正解なのかわからないですけど、お互いに興味がないのかなって思うこともありますよね、対バンイベントでも。知ってる人同士で話したりとかくらいで。

想:最近は“シーン”というよりも、バンドがひとつの塊という感じがすごくするよね。それはそれでいいと思うんです。ただ昔より、知ってる間柄だったとしても、今、あのバンドはこういう活動してるから誘いづらいかなって空気はあるような気がしていますね。まあ、結局誘いますけど(笑)。

En’ya:そういえば、めちゃくちゃ仲悪い同士とかライバル同士の対バンが最近はないですよね。

kazu:ああ、ないねえ。

En’ya:言葉は悪いかもしれないけど、ちょっとなれ合いになっているというか。

kazu:たしかにバチバチした空気はないかもしれない。

En’ya:バチバチのイベントはスリルがあったし、見ていて刺激的だった。お客さん同士も、あのバンドには負けないってやってるような、ね。そういうのもなくなってきているのかなとは思いますけど、まあ、このオムニバスのイベントはみんなで仲良くまわりたいですね(笑)。

全員:はははは。

──シーン自体の変化は時代も影響していると思います?

Kaya:ヴィジュアル系シーンじゃなくて音楽シーン全体に言えることですけど、今まさにストリーミングサービスが始まって、聴き流すことが主流になってきているとも思うので。創作に携わるもの、特にヴィジュアル系みたいな、視覚性だったり、思想だったり、歌詞や言葉一つに対して意味があるものが好きでやってるものとしては危機感があるというか、寂しさは正直なところありますね。過去に固執する気はないんですけど、表現として守らなければいけないものが芸術としてはあると思うので。意味のあることをやりたいなっていう気持ちは、ますます強くなりました。

──ライブ一つとっても、そこに世界観が詰まっているわけですもんね。

Kaya:そうです。例えばファンの子も、イベントでお目当てのバンドだけ見て帰っちゃったりとかするので。それこそオムニバスで、好きじゃないけどとりあえず聴いてみようっていう気持ちが希薄になっているかもしれないし。バンド同士でも、せっかく一緒に対バンするのに相手のライブを観ないとか、挨拶だけして終わりっていうのもあったりするので。個人的にはそれはちょっと違うかなと思いますね。

▲一也(HOLLOWGRAM) Live Photo◎intetsu

──ただ、先ほどKayaさんがおっしゃったように、こういう聴かれ方をする時代になったからこそ、クリエイトする側の意識もより強くなりますね。

Kaya:そうじゃないと時代に流されてしまうと思うので。私はルネッサンスがしたいんです、文化復興を。こういうオムニバスって最近なくなったと思うんですけど、それをあえてやるということもすごく素敵だなと思いましたね。それ自体に意味がある。

kazu:ここに収録されたバンドは、みんなセルフでやってる人たち、自分たちでゼロから作ってる人たち。今も自分たちでこうして続けている人たちって、聴いていてもクオリティが高いと思う。マネージメントだったりレーベルがついているバンドたちより心意気も高い人が多いと思うし、このアマチュア11バンドが(笑)。逆に、こんなカッコいい人たちばっかりなのに、なんでメジャーへいかないんだろうっていうくらい。

Kaya:正しい意味でのインディペンデント(=独立)ですよね。

一也:僕が知ってる時代は、アーティストが出てきた瞬間に叫びが起こるような熱さっていうか、普段は見れない人たちを見られることに対する熱量の高さがあったんです。ところがSNSの影響もあるのか、それは悪いだけではないんですけど、アーティストとしての神秘性みたいなところが、もしかしたら薄くなってしまっているのかなって。

──一長一短あるかもしれないですね、身近に感じられることがいい場合と、そうじゃないことがいい場合もある。

龍蛾:友達か!っていうときもありますからね(笑)。

──では、音源を聴いてもらって、それをライブにつなげていくことの難しさなど感じることはありますか。

想:はい。でもそれを前提に考えて活動をしてないんですよね。自分たちの好きなことをやるっていうのがまずあるので。だから、まあ、芳しくないなと思うくらいで、これまで自分がいいと思ったことをやってきて、これからもそれをやっていくということなんですよね。

龍蛾:集客せなあかんっていう必死さも大事だと思うんです。けど、やっぱりアーティストとして必死さが前に出ちゃうのは違う。プライドを持ってやるというか、全然余裕だよって顔してこっそり頑張ってますけどね(笑)。

──武士は食わねど高楊枝ですね。日本男児として気位高く。

龍蛾:媚びてしまうのは違う、それは芯としてはありますね。プライドが高いだけだと逆にカッコわるいよって思う人もいるかもしれないですけど、ステージに立つってそういうことかなと。

──ストリーミングも話もありましたが、音楽を聴いてもらうことやライブに来てもらうこと、音楽をやる環境や音楽的な流れとして危機感を感じることも? それでもみなさんは10年前後のキャリアを重ねながらこれから先も続けていくわけで。

kazu:ただ、僕は危機感はないですね。たしかにCDが売れないという実情はあります。でも、昔やっていたバンドとCDのセールスや集客を比べて悩むようであったら、もうバンドやめてますよ。僕が前にやっていたバンドのような状況を、今からまた作ろうと思っても意味がない。もっと、別の場所に意義があるっていうか。それを自分のなかで見つけている人たちが、今も続けていると思う。例えば、僕のベースを聴く人数は10年前よりも減ったと思います。でも、僕は10年前よりも、今のほうがいいベースを弾けていると思う。録ったものを聴いても、今のほうがかっこいいなって自分で思える。それが、自分が今でも続けてる理由なんです。今のほうが純度の高いものをやれているよっていうことが、少しでも届けばいいなっていうのは思いますね。

想:うん、現状が楽しいからやってるんだよね、ほんとに。

kazu:ただ、完全にセルフになったことで、時間とお金の使い方を止めてくる人がいないのが、いちばん困る部分(笑)。

En’ya:締切とかね(笑)。制作もキリがなくなりますよね。

kazu:気づけば、時間も過ぎてるし、お金もないってくらい、こだわってやってしまう。

──自分たちでいかに納得のいくものが作れるかが最重要。

kazu:そう。だからこそいつも、これが最後になるかもしれないと思って作ってる。いい曲ができるとお金がなくてもどうしてもミュージックビデオを撮りたいと。やっちゃおう!と。これが別に売れなくても、誰からも怒られないし(笑)。

──すべての責任を自分が取るという。

kazu:結局そういうものでないと、お客さんには響かないんですよ。あと、僕らの世代でまだ音楽をやっている人は、自分たちなりのそういうものを作らなきゃいけない使命感があると思う。続けるならば、それが義務だと思うんです。人前でやるのなら、このくらいやっときゃいいでしょうなんてものを、俺ら世代の人はやっちゃいけない。

◆インタビュー(4)へ
◆インタビュー(2)へ戻る
この記事をポスト

この記事の関連情報