【対談】高橋幸宏×TRICERATOPS「<WORLD HAPPINESS>ほど気軽に行けるフェスは他にない」

ポスト

■幸宏さんのドラマーとしての業績ってすごく大きいので
■いろいろとお話を聞きたくなってしまうと思います──吉田佳史(Dr)

──そこから、こうして今年の<WORLD HAPPINESS>につながるんですね。

和田:とにかく僕らとしては<WORLD HAPPINESS>にお誘いただいて、幸宏さんのお仲間たちとそこに加われるというか、僕らもその仲間に入れるのがとても嬉しいです。

──<WORLD HAPPINESS>は「バックステージが楽しい」というお話をこれまでに出演された方々からよく伺うんです。幸宏さんを中心とした、ミュージシャン同士のつながりで成り立っているフェスなんだなと強く感じます。

高橋:そう言っていただけるのは本当に嬉しいですね。打ち上げなんかでね、出演したバンドのドラマーの人たちから質問攻めに合ったりもしますよ(笑)。話が盛り上がって何時間もずっと立ったままで話して。でも、ドラマーの人たちってみんなドラムの話ばっかりするんですよね。

和田:好きなんでしょうね(笑)。

吉田:気をつけます(爆笑)。でもやっぱり、幸宏さんのドラマーとしての業績ってすごく大きいので、それに強く影響を受けた僕らよりも上の世代の方々からするといろいろとお話を聞きたくなってしまうと思いますよ。

高橋:僕が言えるのは、「年寄りしか叩けないドラムがあるよ」っていうことくらいですね。

和田:ああ、なるほど。

吉田:これ以上、質問攻めにすると怒られそうなので、今日はこれくらいで(笑)。

高橋:飲んでる時なら、大丈夫ですから(笑)。

和田:でも今って、フェスがいっぱいあるじゃないですか。僕らも、デビューしてからのフェスは、だいたいこんな感じだなって分かるんですけど、僕らがデビューする前、例えば80年代とかって、フェス的なイベントって、どんな感じだったんですか?

高橋:今のようなフェスのあり方は、日本では<FUJI ROCK FESTIVAL>が先駆けだよね。

和田:それ以前は、こういうスタイルのイベントはなかったんですか?

高橋:ずっとさかのぼると<箱根アフロディーテ>とか<ONE STEP FESTIVAL>なんていうのがありましたけどね。

和田:ワンステップって?

高橋:郡山で<ONE STEP FESTIVAL>というフェスをやったんですよ。内田裕也さんたちが実行委員会と一緒になって。サディスティック・ミカ・バンドも出てるんだけど。

和田:70年代ですか?

高橋:1974年。トリがプラスティック・オノ・バンド。僕は、ステージの横で見ていたんだけど、ダブルドラムで、スティーヴ・ガッドとリック・マロッタ。

吉田:えっ!? すごい!

高橋:真横で見ていたから、「こういう(すごいプレイヤーの)人たちがいるんだ」と思って、ちょっと焦ったんですね(笑)。

和田:オノ・ヨーコさんがボーカルで?

高橋:そうだけど、ヨーコさんはあまりボーカルという感じではなくて(笑)。

和田:フロント!(笑)。でもそうか、<FUJI ROCK FESTIVAL>以前って、あまりフェスってなかったんですね。

──そこから、これだけフェスが増えた中でも、<WORLD HAPPINESS>は日頃コンサートから足が遠のいていたような年齢層の音楽ファンにも、改めてライブの楽しさを教えてくれた貴重なフェスだと感じています。

高橋:これだけ気軽に行けるフェスはあまり他にないんじゃないですかね。センター・ステージとレフト・ステージで、交互にライブがずっと続く。それも、ステージごとに移動しなくて済むという利点はあるんですが、一方で、いわゆる“ステージ転換”の時間がない。だから暑い中で全部のステージを真剣に追いかけようと思うと、体調が悪くなってしまうおそれも出てきてしまいますので(笑)。観たいバンドに狙いを定めて、適度に休んでもらいたいですね。フード村もありますし、お子さんが遊べるキッズ・エリアも後方にありますから、会場内を散策しながらライブを聴くというのも楽しいんじゃないかと思います。野外だとやっぱり熱中症が怖いですから、それだけは充分注意していただきたいです。あとは気軽に楽しんでもらえれば。

和田:お客さんにとっても、移動が遠いフェスというのも、なかなか辛いですよね。

高橋:<WORLD HAPPINESS>も、スタート当初から「子どもと来られるフェス」というのをコンセプトにしています。

和田:それは素晴らしい! フェスって、行ったことのない人からすると、ちょっと行きにくいイメージがあると思うんですよね。

高橋:アウトドアのレジャーに近いですよね。

和田:分かります。僕らは出演する側だけど、それでも“フェス”って言うとちょっと身構えますもん。遠出して、自然の中でって。

高橋:それでも<FUJI ROCK FESTIVAL>とかに行くと、お客さん慣れてるなぁと思って。去年、(高橋幸宏 with)In Phaseでフジロックに出た時に、出番が終わってテント村を覗いていたら迷って変な場所に出てしまって。そうしたら女性が近寄ってきて、「幸宏さんですよね? ここは女性専用エリアなんですけど」って(一同爆笑)。「怪しい者じゃないんで。ちょっと迷っちゃって……」って余計に怪しい感じになって(笑)。<FUJI ROCK FESTIVAL>には2011年にYMOでも出たんですよ。3.11(東日本大震災)の年でしたね。そう、あの年は手塚さんの「火の鳥」が<WORLD HAPPINESS>のキー・ヴィジュアルで、それをモチーフにした「Fire Bird」という曲もYMOで作ったんでした。

──TRICERATOPSのみなさんは震災以降、音楽との向き合い方は変わりましたか?

和田:あの時は……何か、なかなか新曲を作るというモードになれなかったというか。いろんな理由があるんですけど、とにかく新曲が全然出せなくて。ライブはやってましたけど、ようやく作れたのが去年の末。何かしら勉強していた期間ではあったと思っているんですけど。

高橋:震災の年って、はじめの数ヶ月はみんな気持ち的に日常に戻るのが大変でしたよね。そもそもコンサートに行くことって、普段と違う場所に行ったり非日常の体験をしにいく場所だったのに、それがあの頃はコンサートに行くことで、「あ、まだ日常ってあるんだ」って感じるという、逆転現象が起きたんですよ。

和田:あぁ、そうですね。

高橋:コンサートに行くと、安心して「ちゃんと生きているんだ」っていう気持ちになれるっていう。そこから、CDの売上がどうこう言われる中でも、みんなもライブに行くようになったでしょ? 海外のバンドも小さいツアーであっても日本に来るようになった。インディーズだ何だって関係なく。僕は昔から、それこそYMOが一番ポピュラーだった頃から、インディーズとかメジャーとかの区別が全然ないんですよね。

◆インタビュー(4)へ
◆インタビュー(2)へ戻る
この記事をポスト

この記事の関連情報