【インタビュー】KOZZY IWAKAWA、次の世代に伝えたいルーツ・ミュージック『THE ROOTS 2』
THE MACKSHOWでの精力的な活動のみならず、THE COLTSを復活させ、さらにソロ・カバーアルバム『THE ROOTS 2』をリリースしたKOZZY IWAKAWA。前作『THE ROOTS』から約2年ぶりとなるシリーズ2作目は、自らのルーツ・ミュージックを掘り下げつつ、ノリの良い楽曲が並ぶキャッチーな作品となっている。レコーディングの様子や各楽曲について、さらにそのバイタリティ溢れる活動の根源にある音楽への深い愛情と使命感について話を訊いた。
── THE MACKSHOW、THE COLTSという2つのバンドを動かしながらソロ・アルバムも制作していたということで、本当にすごいバイタリティですね。
KOZZY IWAKAWA:どうなんだろう?(笑) もちろんひとつに集中するのも良いんだけど、いろんな音楽が好きなんで、その中で自分のやりたいこととか持って行きたい方向というのがひとつのバンドでは収まりきれないというか。それでTHE MACKSHOWでは非常にシンプルなものを追及して、THE COLTSではバラエティ部門というか(笑)、派手なパーティー・バンドをやっていて。そういう、自分の中では両極端のTHE MACKSHOW、THE COLTSというものがあった上でもまだ表現しきれないんです。みんなでツアーをしたりレコーディングをしたりも楽しいんだけど、個人的で勝手な思い入れもあって『THE ROOTS』をやっているというか。結局、音楽ってひとりで聴いていることが多いと思うんですよ、この記事をご覧になっているみなさんも。
── まあ、そうですね。
KOZZY:そういうひとりで聴いている音楽とか発信している音楽の良さというものを自分なりに解釈して並べてみて、必要なメンバーを呼んで肉付けして世の中に出せる形にしたいというのがこの『THE ROOTS』シリーズの始まりですね。以前からちょこちょこ空いた時間に自分の好きなルーツ・ミュージックを録音して会場で売ったりはしていたんですけど、それは非常に内向的な自分の趣味でしかないもので。『THE ROOTS』シリーズに関しては一般のCDショップにも置いてみんなにも聴いてもらえるようにしています。だからソロも含めて3つやっているけど、音楽的にはそんなにアプローチの差はないですね。
── 『THE ROOTS』を始めるにあたってのモデルにしたようなカバー作品ってあったんですか? たとえばジョン・レノンの『Rock 'n' Roll』のような。
KOZZY:いやもう、ジョン・レノンの『Rock 'n' Roll』以外ないですよ(笑)。一番好きなアルバムなんで。でも“ジョン・レノンのアルバムで一番好きなアルバムってなんですか?”って訊かれたときに『Rock 'n' Roll』って答えると“あれですか!?”って言われるような評価でしたからね、昔は。
── みんなが『ジョンの魂』が良いとか言っている中で。
KOZZY:そうそう(笑)。もちろんどれも良いけど“いや『Rock 'n' Roll』でしょう!”っていう。そういうスピリットの込め方もあるんだなって思えるアルバムだし、音は悪いしなんか中途半端な曲数だけど、すごく存在感があるアルバムなので。10枚くらい持ってますけどね。
── 同じ『Rock 'n' Roll』を10枚ですか!?
KOZZY:何とか盤、リマスター盤とかいろんなものをね。震災のときにここ(自社スタジオ「ROCKSVILLE STUDIO ONE」)は何も壊れなかったんだけど、あそこに飾ってあるあのアルバム1枚だけが落ちて、穴が開いちゃったからまた買い直したという。何も今更買い直さなくても良いんだけど(笑)。
── よく見たら上に飾ってありますね。そういうエピソードも何かの縁というか。
KOZZY:そうですね。ああいうフィーリングで作っています。
── 今回の『THE ROOTS 2』も前作に引き続きL.Aのキングサイズ・サウンドラボでレコーディングされていますね。THE MACKSHOWのトミーさんやピアニストの伊東ミキオさん、ドラマーにドン・ヘフィントン、テナーサックスにデヴィッド・ラリックら前回とほぼ同じメンバーですから、スムーズに作業は進んだんじゃないですか?
KOZZY:うん、まったく問題なく。やっぱりコミュニケーションを取らないといけないという部分で、一回セッションすれば仲良くなるし、スムーズなやりやすさはありましたね。
── 今回は1982年にクラッシュのジャパンツアーにも参加していた女性ボーカルのパール・ハーバー(パール・E・ゲイツ)さんも新たに参加していますが、どんなつながりがあったんですか?
KOZZY:2000年くらいにTHE COLTSのレコーディングでL.Aに行ったときに、たまたま知り合いを通じて会ったんですよ。その頃、彼女はもうほとんど音楽はやっていなかったんですけど、そのときにも参加してくれとオファーしたらすぐ来てくれて。それからしばらく田舎のアリゾナかどこかに引っ込んでいたらしくて、もう何年か会っていなかったんですけど、またL.Aに出てきていたんで、連絡を取ったら参加してくれたんです。