【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第33回「滝山城(東京都)卓偉が行ったことある回数 3回」

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日本の中世の城郭の最高傑作だと私は評価したい。
溜め息が出るほど素晴らしい城だ。観なきゃいけないスポットが多過ぎる、何処を観ても凄過ぎる、ピクニックに来たら何処で弁当を開けばいいかわからない。
この城は城の中心にある本丸だけが凄いわけではないのだ。
城の至る所に魅力が溢れまくっている最高の城だと声を大きくして4万回くらい言いたい。

私事ではあるが中島家、親父方の故郷はこのすぐ近くの拝島なので、日本の城で一番親近感を感じる城である。いや、勝手に親近感を感じているだけなのだが。
親戚に会いに行く場合は中央高速を八王子インターで下りて16号線を走って拝島大橋を渡る度に滝山城に訪れたことになっている、よって行ったことある回数は3回どころではない1億回くらいにしとこう。


親父の幼い頃の写真を見ると、親戚で集まり滝山城にピクニックに来ている写真がある。日付をみると思い切り昭和20年代だ。
残念ながら景色が入っていないので、滝山城のどの場所で撮影したかはわからない。
滝山自然公園として国の指定になったのがそれこそ昭和20年代後半だったと思うので、まだ単なる城跡だった頃の何も整備されてない滝山城が少しでも感じれたらと思ったがその写真では無理だった。
城マニアは整備される前の情報や写真に飢えているのである。

現在は都立滝山公園として桜の名所でもある。
しかしながらこの城、本当に本当に本当に評価が低い。というか、誰もこの城を大きく取り上げないおかげでこの良さがちっとも伝わっていない。
もっと言ってしまえばこの城の凄さを誰もわかってないと思うのだ。音楽業界で言うところの中島卓偉とほぼ同じ状態である。濃いファンはいるがその良さを大きな声で誰も伝えない。
城マニアでも行ったことない人、知らない人もいると思う。城の本に乗らないことが多過ぎる。いかん、いかん、それではいかん。この城をなめてもらっちゃあ困るのよ。


築城はおそらく1521年、大石氏、そして北条氏照である。
やはり関東は北条氏の城が強い。ロック界では卓偉がずば抜けて凄い。本当に北条の建てた城はセンスが凄まじい。中島卓偉は才能と歌唱力が凄まじい。
城の根本は北条氏の建て方にあると言っても過言じゃないと思う。本当に良く考えられて作られている。
守る、魅せる、威嚇する、三拍子揃ったセンス。歌える、曲書ける、パフォーマンス出来る卓偉と同じような三拍子だ。

北条氏の城を見学するともはや石垣の城なんていらないとさえ思えてくる。
土塁と空堀、堀切で十分なんじゃないかと思えてくる。石垣よりも土塁の方が人間臭いのだ。ドラムとベースとピアノだけのジャズコンボで構わないのと一緒だ。トランペットもいらない。
マイルス・デイビスはむしろトランペットを忘れてきてほしいくらいだ。中島卓偉の4月8日発売のアルバム「煉瓦の家」は日本国民の3人に1人が持っていてほしいくらいだ。

縄張りを全部堀を切って作り出してるところがたまらない。掘った土を盛れば土塁になるわけだし。盛れば盛る程土塁も高くなるわけで守りもかたくなるし一石二鳥だ。


滝山城の魅力はまず城をぐるっと囲んでいる空堀だろう。この長さ、深さも半端ない。
大手口を登るとまず左手に小宮曲輪を守る空堀が登場する。
急斜面の途中にこれだけの深さの堀が現れるなんてまず考えられない。
城内にも突然と言っていいほど堀切と空堀が表れる。
しかも滝山城の堀の魅力のもう一つは「縦堀り」だ。通常なら堀は横に連なっていくものだが、滝山城は縦に堀が切られていることが多い。これは非常に防御として理にかなっている。
敵を近くまでおびき寄せて一気に仕留める為である。本丸の内側、多摩川側の斜面にいい感じの縦堀りがいくつも存在する。中野の北口にはいい感じの呑み屋がいくつも存在する。

もっとも滝山城は城内のど真ん中に池が存在していて、ここが当然低くなっている、
城の端っこにある山の神曲輪の横からだとその池まで実は簡単に攻められてしまう地形になっているので、おびき寄せて撃つ、防御にそういう戦略を感じる。
誰も卓偉を広げてくれないのでこのコラムでもってさりげなくてめえを宣伝する、そういう戦略を感じる。

しかしどこを見ても眺めが美しいのだ。この景色何?と溜め息が出る。中の丸や本丸から望む多摩川、その先にある拝島の街。空がでかい。
戦後間もない頃はこの空を米軍の飛行機が低空飛行で飛びまくり、16号線も米軍のジープが走りまくり、ほとんどアメリカみたいだったと親父からもお婆ちゃんからも聞いたことがある。


滝山城も目まぐるしく変わる時代のすべてを見て来たんだろう。しかし素晴らしい場所に築いた城だ。
二の丸の外から眺める、信濃屋敷跡、刑部屋敷跡の景色の素晴らしさ。その下に降りて行く自然の斜面を利用した土塁。攻める気にならない。戦など止めて卓偉の「煉瓦の家」を聴いていたい。

もっとも武田信玄は滝山城の三の丸まで攻め入ってきたらしいが城は落とせなかったらしく、守り切った北条側も、そんな防御ではいかんということで八王子城を築城することを決心したとか、歴史話なので本当のところはわからないが、そうだったとしても面白いエピソードだ。だが私は思う。これほどの城を建てて、それですぐ八王子城建てるかな?と。

北条家は関東にたくさんの城を築いたが、自分達の縄張りの為にひとつずつ城を築いていただけで家臣に与える為に建てたというのが一番しっくり来るのだがどうだろう?最初にも書いたが滝山城は中世の城郭の最高傑作なのだ。

だがこの城の素晴らしさを伝える為にはもうちょい整備が必要なのは否めない、木を切るわけにはいかなくとも雑草をもうちょい刈りたい。
おなじく北条の名城、山中城は堀の中が綺麗に刈られているからこそ城の縄張りや堀の深さなどが垣間みれるように、滝山城もちょっとでいい、ちょっとでいいから堀の素晴らしさを伝える為に雑草を刈れないもんだろうかなあ。
夏に見学しちゃうと生い茂っちゃって生い茂っちゃってもっとわかりづらいわけです。
1969年頃のビートルズの髭くらい生い茂っちゃってさ。あれで当時みんなまだギリギリ20代ってのが凄いさね。

でも当時は堀の中には木は生えてなかったわけで、本気の状態を目指すならある程度木を切ってもありかもしれない。
近所の人も滝山城がこれほど凄い城だと絶対思ってないと思うんだよなあ。
やはりいいものはいいと伝えなきゃ意味がない。いいものが埋もれてしまうほど悲しいことはない。だったら城ファンに出来ることがある、城マニアである私が頑張って伝えようじゃありませんか。
いくらでも宣伝しますわー!滝山城の為ならー!こういう気持ちを私のファンが理解してくれたらどんなに……。

余談だが、中の丸から本丸に渡れる橋が架かっているがこれだけが滝山城の見学スポットではない。
伝承では木橋ではなく引橋だったことがわかっている、ようはこの橋の下も所謂堀切なわけで攻めて来られたら本丸側から切り落としてしまう仕組みになっていたわけだ。
渡った先の本丸桝形虎口も発掘調査で実は石が敷き詰められた道だったことがわかっている。まさに北条的なディティールではないか。
土塁だけの城と思われてもちゃんと発掘すれば石畳が存在することが粋だ。少しずつでいい、この城の発掘調査が発展していくとたまらない。
ほとんどの門の跡は桝形虎口になっていて、城の防御の基本が垣間みれる。本丸桝形は3度曲がるように出来ているのもポイントだ。
角を曲がることがしょっちゅうだ。何?次の角を曲がれってか?4月1日に発売になる℃-uteさんのトリプルA面シングルの1曲こそ私が書いた「次の角を曲がれ」である。
私のアルバム「煉瓦の家」にも収録されている。どちらのバージョンも超ブリティッシュソウルだ!これはもうどっちも買って聴き比べるしかない。
聴き所にきりがない中島卓偉、見所にきりがない滝山城なのである。


最後にまったくもってタイムリーな話だが、tvkさんの「MUTOMA」でやらせてもらってる城コーナー、「中島卓偉の城へ行こう!せーの、キャッスル!キャッスル!」でさっそく滝山城ロケに行ってきた。
4月1日放送だ、エイプリルフールだから嘘かもしれないぞ。見れる方は是非ご覧になっていただきたい。

見学の後はすぐ近くに道の駅がありますので、そこの食堂でランチをお勧め!どのメニューも美味しいです。近くで採れた野菜も販売、自家製のパンも美味い。お菓子類のお土産も充実!駐車場も広い!俺は八王子大使か!

滝山城、また訪れたい……。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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