【インタビュー】NOISEMAKER、メジャー移籍作発表「日々の生活の中で力になれるもの」

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NOISEMAKERが3月18日、ミニアルバム『NEO』をリリースする。「新しいムーブメントを起こしたい」──先日観たライブのMCでAG(Vo)は、真っ直ぐにそう告げていた。エネルギッシュなパフォーマンスだけでなく、そんな“熱さ”が強く印象に残るバンドだった。

◆「Her Diamond」ミュージックビデオ

ここ数年、大きな盛り上がりを見せてきた日本のラウドロックシーン。その次代のキーを握る存在が、NOISEMAKERだ。札幌出身の4人組は、SiMやcoldrain、Crossfaithなどシーンを担うバンドたちと切磋琢磨しながら支持を全国区に広げてきた。INSOLENCEやENTER SHIKARIなど海外のビッグネームとも共演やコラボを果たして注目を集めた。90年代~00年代のUSヘヴィロックをルーツに様々な影響を吸収して突き詰めてきた独自の音楽性に加え、一曲一曲に込められた真っ直ぐなメッセージ性が、彼らの大きな武器となって新たなシーンを切り拓く。『NEO』でメジャー移籍を果たした4人にバンドの由来と目指す未来を語ってもらった。

   ◆   ◆   ◆

■今の時代の俺らの世代で
■新しいシーンが作れるんじゃないかと思っています

──先日のライブのMCで「新しいムーブメントを起こしたい」ということを言っていましたよね。そういう意識って、いつ頃から持っていたものでした?

AG(Vo):結成当初からそういう思いはあったんです。自分たちから何かを起こすことができればいいと思っていた。そこから、作品を出して、ツアーを回って、全国のいろんなバンドと対バンしたり、仲のいいバンドと話すようにもなって。そういう中で、もっともっと一緒になって面白いことをできるんじゃないかと思うようになったんです。

──ラウドロックのシーンは盛り上がってきている印象がありますが、NOISEMAKERがそこで果たすことのできる役割がある?

AG:ラウドシーンということで一括りにするんじゃなくて、もっと広い場所で動ければと思うんです。たとえばこのバンドはパンクとか、このバンドはラウドとか、そういう風にジャンルをわけてしまうのではなくて。今の時代の俺らの世代で、新しいシーンが作れるんじゃないかと思っています。

──バンドを始めた時には、どういうことをやろうという思いがありました?

AG:目先のことは全然わからなかったです。どうやったらCDを出せるのかもわからなかった。ただ、NOISEMAKERっていうバンドを組んで、NOISEMAKERっていうジャンルを生み出して、俺たちが代名詞になるような音楽を作りたいって思っていました。自分たちが影響を受けたリンキン・パークとか、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとか、そういう風に突出したバンドになりたいというのが最初に組んだ時の目標だった。その時からもっと多くの人を巻き込んでいきたいと思っていました。

──NOISEMAKERというバンド名はどういう由来でつけたんですか?

HIDE(G):最初にライブハウスに電話して、「バンド名は?」って聞かれた時に、何となく思いついて言ったような気がする(笑)。

AG:当時あった『NOIZE』というコンピレーションがすごく好きだったんです。リンキン・パークとかタップルートとか好きなバンドが沢山入っていて。その“ノイズ”という言葉がわかりやすく格好よかったのと、“音を作る人たち”という意味合いをこめてつけました。さっき言った“俺たちにしかやれない音楽”という意味合いもある、ジャンルにとらわれない名前がいいなと思って。10年くらい前だからあまり覚えてないんですけれど(笑)。

──1990年代から2000年代初頭のグランジやヘヴィロックというのは、NOISEMAKERのルーツとしては大きい?

HIDE:そうですね。1990年代から2000年代初頭の頃のいろんな音楽にだいぶ影響を受けていますね。

──YU-KIさんとUTAさんはどういう風にバンドに加わったんでしょう?

YU-KI(B):AGが学校の先輩で、もともとバンドを知っていたし、普通にファンだったんです。そうしたらメンバーチェンジということになって、知らない番号から深夜に電話が来て。誰だろう?と思ったらAGで。バンドに誘われて「やるでしょ!」って迷わず入りました。

UTA(Dr):僕はもともと違うバンドにいて、対バンとかもしていたんですよね。でも、やっぱりNOISEMAKERをカッコいいと思っていました。メンバーチェンジの時に「入れてほしい」って言ったんです。

──この4人が揃った時にピースがハマったと言うか、これで上手く転がり続けるという感覚はあったんでしょうか?

AG:4人揃った時はどうなるかわからなかったです。CDを作ってからですね。2011年に『Platinum shoes』というアルバムを出してから事が進んできた気がします。

──その頃は札幌に拠点を置いて活動していたんですよね。そこからのターニングポイントというと?

HIDE:やっぱり東京に出て来たことですかね。環境も変わったし、全てが変わった。

AG:北海道にいる時より、出会いも多くなりましたしね。

──SiMやcoldrainのツアーサポートをしたり、イベントツアー<REDLINE RIOT!!>でCrystal Lake、Survive Said The Prophet、wrong cityと全国を廻ってきたりと、いろんな体験も増えたと思います。

AG:coldrainとSiMはどちらかと言うと昔からの仲間なんですけど、<REDLINE RIOT!!>は新しい出会いになりました。北海道のバンドだったので、外のバンドと知り合う機会がなかなかなかったから、以前より増えてきたと思います。

──2014年は幕張メッセで行われたフェス<SATANIC CARNIVAL>にも立ちました。そういう大きなステージに出る時には気合いが入るもの?

AG:どうだろう、変わらないと思います。

HIDE:変わらないですね。

──では、ステージの大きさに関係なく、バンドマンとしてステージに立つ時にはこうあろうと決めていることは?

UTA:僕はより感情を出そうと思ってやっていますね。僕だけじゃなく、メンバーも、PAさんとか照明さんも、もちろんお客さんも。全員が気持ちよくなれるようにということはいつも心がけています。

YU-KI:たとえば、いいバンドのライブを観た時には自分がまったく知らないバンドでも、カッコいい!って思いますよね。そういうライブができているかどうかは考えます。これは先輩からの受け売りなんですけれども「ライブの間は人生だ」と言っていて。だから、水を飲む瞬間も、曲が終わったあとの余韻も、全部気を抜いちゃいけない。

HIDE:ライブはCDとは違うし、同じ曲でもCD以上のものにしたいですからね。音でも視覚的な部分でも、熱量というところで伝わるものは必ずあると思うので。そこを意識しています。

AG:もちろん歌とか演奏も大事なんですけれど、俺は、どれだけ気持ちが伝わるかが大事だと思う。そこはすごく意識します。MCにしても、頭で一生懸命考えて作った言葉よりも、本当に心で感じた言葉のほうが、不細工でも絶対に突き刺さるし伝わると思う。ライブハウスの一番後ろにいる人まで、そこにいる人の心を一人残らず動かせるのか。それを常に考えています。

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