【インタビュー】eastern youth 吉野 寿「止まらないで行こうと思ってます。止まるのは簡単だから」
1988年に札幌で結成された3ピースパンク・バンド、イースタンユースが、本日2月18日(水)にアルバム『ボトムオブザワールド』をリリースした。このアルバムは、いつから音楽は消費物になってしまったのだろうと絶望しかけている人々にぜひ聴いて欲しい作品だ。そう願うほど、今の音楽シーンでは異様に光っている。だって、こんなに生きることをそのまま音楽にしてしまったアルバムには滅多に出会えないから。天からの啓示が降ってきたような必殺のギターリフを合図に、リズム隊は胸の鼓動を高めてまた一歩前に進ませるようである。そしてこのアルバムの真ん中にあるのは、「生き抜こう」という強い気持ちだ。
◆eastern youth 画像
ちょっと話が飛躍するが、今は亡き天才消しゴム作家・ナンシー関の本領は、ただテレビを「見る」ことにあらずで、ブラウン管の向こう側にいる有名人の本質を「見抜く」ことにあった。だから彼女は、ブラックユーモアを交えながらも、人間に付随する情緒まで伴う名芸能批評を世に放ったのだ。イースタンユースの中心にいる吉野 寿(Vo&G)は、インタビュー中も「自由は厳しい、だけど自由がいい」と語っているように、あくまでも自力で人生を歩もうとする人だ。それが「生き抜く」ということでもあると思う。そんな人間が、己に対して応援歌をしたためたような作品が『ボトムオブザワールド』だろう。だけどこの作品は、説法のように堅くて閉じたものではなく、ロックミュージック特有の勢いとカッコよさに溢れ、聴いていて純粋にテンションが上がってくる。そこがとても素敵だ。90年代から始まり、これまでにゆらゆら帝国、ディアフーフ、小谷美紗子、GELLERSなどを招き入れ、自主イベントという自分達の陣地を描いてきた<極東最前線>の冴えたラインナップからもわかるように、吉野の音楽的嗅覚はすばらしい。そういったセンスが、今作でもじわっと身体から滲み出て作品に表出されているのだと思う。
イースタンユースと言えば、長年ベーシストとして活動してきた二宮友和の脱退が先日発表されたことが記憶に新しい。だから『ボトムオブザワールド』は、「eastern youthでできることは全てやりきった」と述べられるほど完成度の高い作品だと言えるかもしれない。さらにイースタンは、これまでトイズファクトリー、キングレコード、VAPというメジャーレーベルを渡り歩いてきたが、今作は自主レーベル「裸足の音楽社」からのリリースとなる。これについても、インディペンデント精神が具現化した完全なD.I.Y形態をとったという見方もできるだろう。だがしかし、である。実際は、3ピースというバンドとして最小限の形態が大きくバランスを失うわけだし、「裸足の音楽社」の運営面のキーマンが二宮であったという事実からは逃れようがない。今、イースタンユースは局面を迎えている。だからこそ、『ボトムオブザワールド』はあまりにも真に迫って響いてくる。このアルバムは、「現実をリアルに表現する」というパンクミュージックの極みであり、パンク云々抜きで、「生き抜こう」とするすべての人々に捧げたい作品だ。前置きが長くなってしまったが、吉野 寿の本心と真心のこもったインタビューをここに送る。
■バンドの需要が減ってきてるんですよ。
■だから俺、「これが最後だったらどうする?」って考えました。
── アルバムは、「街の底」という曲でスタートします。まずお訊きしたいんですが、結成から27年というキャリアをお持ちでありながら、どうして街の底について歌うことができるんですか?
吉野寿:単純ですよ。自分が街の底で生きてるからです。
──「街」ではなく、「街の底」?
吉野寿:底ですね。街にはいろんな人が住んでるじゃないですか。持ってる人も持ってない人もいるけど、持ってない人は底に溜まるんですよ。僕は持たざる者なので、街の底で這いつくばって生きています。
── 具体的に、何を持つ/持たないという基準なんでしょう。
吉野寿:単純に経済力っていうのもあるし、いろんな能力を持ってるかどうかでもある。俺が自分が歌ったり曲作ったりするにあたって持ってる視点は、地べたっていうか、常に一番底のところに据えておきたいっていう気持ちがあるんですよ。だから、実際に街の底で生きてなきゃいかんわけです。上から見下ろしたり俯瞰する感覚ではなくて、自分が地べたにちゃんと足つけて彷徨いながら、見たり聞いたり触れたりしたもの、そんで素手で掴んだものだけが大事だと思ってます。
── それは、「パンクとはこうあるべき」とポーズをとっているというより、生き方としての姿勢ですよね。
吉野寿:そうですね。ただ、そうあるべきだと気付かせてくれたのはパンクでした。それはだいぶ子供の頃のことですけどね。まぁ、僕は性格が破綻してるので、常に嫌われ者なんですよ。爪弾きもの(笑)。そういう状態で小学校の時にパンクと出会って、自分が抱えてるフラストレーションみたいなものを物凄く等身大でダイレクトに歌に乗せて歌う人がいるのか!とびっくりしたわけです。『俺の仲間がいるじゃないか! やったー! 手に入れた!』と思った。
── 人生の武器を手に入れたという。
吉野寿:『俺はもう黙ってねぇからな!』という感じだったですね。
── 吉野さんはそこからご自身でも、イースタンユースの初期の頃まではOiパンク(7~80年代のイギリスで生まれ労働者階級に支持を受けたパンク)というジャンルの音楽をやっていくわけですよね。
吉野寿:そうですね。“スキンズ”とか“Oiパンク”と言われた音楽をやってましたけど、でもそれはね、ただの種類ですよ。雰囲気というか、種族。
── ジャンルに属してるわけですからね。
吉野寿:そうそう、暴走族みたいなもので。“モッズ”とかそういうカテゴリーのひとつです。でも当時は、自分から思い切りそこにコミットしようと思ってましたけどね。
── 今回の『ボトムオブザワールド』って、インディーズ時代にリリースされた『口笛、夜更けに響く』(1995年発売)と私はリンクするところがあって。なんでだろう?と自分で分析してみたんです。
吉野寿:うん。
── 『口笛、夜更けに響く』で、イースタンユースはOiパンクというジャンルから離れていったと思っていて。つまり、何かに属するという後ろ盾を捨てていった。歌詞も英語詞から日本語詞になり、表現する内容も一気に人間の生き方という本質的な内容に変化した。後ろ盾がないという意味では、『ボトムオブザワールド』は「裸足の音楽社」から完全にインディペンデントな形態でリリースされますよね。
吉野寿:そうですね。アルバム全体に、そういう背景は影響してるのかもしれないですね。ただ、ずっと継続して活動してきた中で、バンドの需要自体が減ってきてるんですよ。そういう中で、当たり前のようにアルバムを作れるような状態ではないんです。だから俺、『これが最後だったらどうする?』って考えました。バンドのメンバーとは具体的にそんな話してないけど、曲を作るのは俺の役目なんで、俺はそういう気持ちで事にあたったですよ。その上で、余計なものを全部排除したかったというか、もう骨だけになりたかった。最後の最後に言っておきたいものですよね。で、たとえみっともなくても、それが掛け値のない姿なんだったらそれを肯定しよう、それでいこうという気持ち。だから、『(曲に対するアプローチに関して)今まで何度もやったことあるじゃんよ』とか余計なことも考えなかった。凄い音楽がたくさんある中で、『あんなふうになりたい』とか『こんなこと取り入れよう』とかっていうことも意識的に一切無視! 自分の骨身に刻んできたものとギターとを直結させて、それで自然に出てきたものなら、なんかにメチャクチャ似てるもんでもいいやって。ジャーン! オッケー!って、直線の感じでしたよ。
── 実際、キレ味の鋭い曲ばかりですよね。歌詞でも、「負けてたまるか」とか「ナニクソ」とかっていう、シンプルな言葉が多いですし、音楽でカッコつけたりハッタリかましたりしてないというか。
吉野寿:黙ってると俺みたいに能力のない人間は、世の中に押しつぶされてしまうわけなんですよね。それを押し返すための歌を歌うべきだと思いました。で、そのために今必要なものはなんだ?って考えたら、そういう底辺からの言葉が出てきたんだと思います。
── 「自分は弱い」っていう意識から、創作は始まっていったんですか?
吉野寿:だって、実際に押しつぶされそうなんですよ。生活が困窮し、気持ちが鬱屈し、先行きは見えない。放っとくと『もうダメだ。生きてけねぇ』とかすぐなっちゃう……でも、『待て待て待て』と。黙ってると『やばいやばい! 死んじゃう!』ってなるから押し返す。それの繰り返しです。
── 繰り返してきたということは、パンク少年の時代から抑圧されてるという感覚はあったんですか?
吉野寿:バリバリ! “抑圧”と書いて“人生”と読む。ザッツ・マイライフ!ですよ。
── (笑)。でもそれは、ご自分が尖ろうとするからではないんですか?
吉野寿:どうなんでしょうねぇ……何やろうとしてもダメって大体言われるんですよね……みんな、自由が大事だって言うじゃないですか?
── 言いますね。
吉野寿:でも、自由でいると誰も責任とってくれねぇし、保障もねぇ。自由なだけに、どこに行っても道なんてないんですよね。自由は厳しい。約束事の上で生きていくほうがラクなんですよ。自由な世界には、食べ物も何も落ちてませんからね。
── だけど自由でありたい。
吉野寿:そう、だけど自由のほうがいい。やりたくねぇことは、やりたくねぇし。それで人から、『じゃあいいよ、あっち行け』って言われるのは当然なんですよね。そうするとどんどん追い詰められてきて、自由にぶっ殺されそうになるみたいな感じですよ。世の中では、自由なんて許されませんから。自由を行使しようとするとみんな殺しに来る。だから押し返さないといけないと思って毎日生きてます。
■なんとか自分を鼓舞したい
■鳴らせ!鳴らせ!足りねぇ!鳴らせ!っていう感じ
── イースタンユースの音楽活動にも、自由を行使しようとしてきた歴史があると思うんです。初期の頃からアメリカでツアーをしたり、ご自分達でマネージメントも行ってきた。それをD.I.Yと言うと聞こえはいいですけど、それも意識的に自由を勝ち取ろうとした結果でしたか?
吉野寿:いやもう、それはしょうがなかったから! とりあえず対処した結果です。
── 海外で売れようという目論見もなかったんですか?
吉野寿:俺としては、そういうのなかった。だって売れるわけないもん。言葉も全然違うし、奴らが日本語の音楽なんて聴くわけないし、聴いてくれたとしてもそれは凄いコアな人だけだと思ってた。目新しいフックがあるわけでもない、むしろオーソドックスなパンクだったしね。ただ、そうやってアメリカをぐるっとドサ回りするっていうのは面白そうだなと思ったし、実際鍛えられた。なんか、イケイケになったっすよ(笑)。
── タフになったんですね。
吉野寿:なったっすねー! 甘えてちゃ一歩も進まん感じとか、しょうがねぇもんはしょうがねぇと割りきらないと次に進まない感じとか、学びましたね。
── でも、当時それだけのことを自由に行えたのは、イースタンユースの真ん中に確固たるハングリー精神があったからですよね。今作の歌詞にも、「運命降って来い 何でも降って来い」っていう言葉がありますけど、自分に対して筋を通してきた人間にしか言えないと思いますし。
吉野寿:いや、ヤケクソっすよ?(笑)。やれることはやれるだけやって、どうにもできないことはどうにでもできない。『知らんがな。どうにでもなれ~』ってね。で、『はい、じゃあギター持ってきて!』っていう感じ、ずっと。
── その感じが、アルバムの2曲目の「鳴らせよ鳴らせ」ですよね。これだけキャリアがあるバンドがこれだけ音楽の根本を歌っていることに衝撃と感動を覚えました。
吉野寿:まぁ、バカなんですよ。頭悪いんす。楽器がなくても手叩いて足鳴らすんです。時間がどんどん経って若さも体力もなくなって、物忘れも激しくなってきました、みたいなねぇ……『なんにもねぇや』という感じですから。思い出なんかも大したもんじゃないし。『どうすんの? 死ぬの?』って考えた時、死にたくないですよね? そういう時に自分を励まさないと生きていけないじゃないですか。だから、ウリャー!って、オリャー!って鳴らすんすよ。音が鳴ってくると、『お、なんか盛り上がってきたな』ってなる。意外とすぐ盛り上がれるんですよ、バカなんで(笑)。
── そんな何回も言わないでください(笑)。
吉野寿:でも、本当にそうですよ。だってなんとか自分を鼓舞したい……みんな、闇は持ってるから。で、そっち行きたくなる気持ちもわかる。『でも、そっち行ったらダメだから用心しな』って思ってます。最後には帰ってこないと、行ったきりになっちゃうからね。だから、鳴らせ!鳴らせ!足りねぇ!鳴らせ!っていう感じ。
── 闇から戻ってこいよという気持ちは、アルバムの「イッテコイ カエッテコイ」とリンクしますね。その気持ちは、リスナーに対するメッセージでもありますか?
吉野寿:やっぱりそういう側面もありますね。歌うことで人と関わりたいわけですから。でも、『こういう風に生きたらいいよ』って、解答とかヒントを提示してるつもりはないです。俺が鼻水とヨダレ垂らして半狂乱で彷徨ってる姿から何か見出してっていう感じ。その姿を、ちゃんと開いて見せることが何かの関係性を作ると信じてるから。
── 生き様をダイレクトに音楽にするイースタンユースの姿に、いつも誠意を感じます。
吉野寿:そろばん弾いたってロクなことないので、掛け値のない関係で関わらないとね。下手の考え休むに似たりですから、策をろうさず真っ直ぐやろうと思ってます。
── このアルバム、ご自分の中で「いいもの作ったぞ」っていう手応えはあるんですか?
吉野寿:ありますね。よくできたと思ってます。今まで作ってきた中で一番いいと思ってます。
── 私もそう思います。あの、なんでこんなにいいアルバムができたんですか?
吉野寿:ありゃ、口説かれてんのかなぁ~? なーんて(笑)。
── いや、このアルバムに関しては本当に金字塔だと思ってるんですよ。パンクとかロックとかっていう方法論じゃなくて、本質論だけでできあがった音楽作品としてあまりにも素晴らしいです。サウンドも、非常にオルタナティブなのに全然アングラに潜ってないですよね。そこも非常に魅力的で。
吉野寿:俺、ジメジメしてるものイヤなんです。さっぱりしたパッサパサなのが好きなんですよ。軽く湯通しして、シャッシャっとしたようなもの。
── その例え凄くわかりやすくて、どの曲もスコーンと抜けがいいですよね。
吉野寿:そうそう。その中に、しなやかな芯みたいなものがある音楽が望ましいと思ってます。個人的にはメソメソしたちっちゃい人間なんですけど、音象までベタベタしちゃうとネチっこくなるから。根が暗いもんだから帰ってこれなくなっちゃう。だから余計なもんくっつけないようにしてるんです。贅肉つけると重みで垂れ下がってきちゃうからね。
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