【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第32回「金山城(群馬県) 卓偉が行ったことある回数 1回」

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城マニアの私でも行ったことがない城、行きたい城、行きたくても行く機会がない城、実はまだ行けてないんだよねえって城はまだまだたくさんある。

この群馬県大田金山城にも予てからずっと行きたいと思っていた。ずっとね、ずっうううっとね、いわゆるZUTTOね、永井真理子もびっくりだ。(古っ!)


城マニアを公言していたことでtvkさんの方で月1の城コーナーをやらせてもらえることになり、その名も、中島卓偉のお城へ行こう!せーの、キャッスル!キャッスル!なわけだが。この番組のロケでめでたく金山城に来城出来ることとなった。サンキューMUTOMA!サンキューtvk様!

金山城の歴史は古い。中世の時代なので戦国時代よりも全然前になる。築城は1300年代とも言われているがおそらく1460年代頃新田一族の岩松家純だろうか。その後由良氏、北条氏と城主は代わり最終的には江戸時代に徳川の支配下になる。

城の歴史は長らく信長の安土城まで総石垣の城は築かれなかったとされてきた。特に関東の中世の時代の山城に石垣はないと言われてきたが、近年の発掘調査により信長の時代よりも先に石垣の城があったことが証明された。それがこの金山城だと言っても過言ではないのである。

まずこの金山城、非常に色気がある城だと評価したい。山城であるにも関わらずだ。というのは山城は登るにも暮らすにも大変なので、どうしても守りを中心とした作りになってしまうので城内にあまり遊びがないのである。


その色気とはまずはやはり城内にある二つの池にある。群馬だけにこの二つの池をBOOWYの池とBUCK-TICKの池と呼ぶことにする。

大手虎口の横にある「月の池」と、(こっちBUCK-TICK)本丸と二の丸と三の丸に下にある「日の池」である。(これはBOOWYね)特にこの日の池はエロい(いわゆるBOOWYの方がエロいってことね)。何らかの儀式が行われていたらしいがこの作り、なんだか日本っぽくない。

ローマ王国の時代やメソポタミア遺跡のような雰囲気がある。焼け石を突っ込んで風呂にして入っていたんではないかとも思う。地中海の国にあるビッグなジャグジーに引けを取らない。
こんな池がこんな山のてっぺんにあるのだからびっくりだ。想像がつかない。山城だけに水の確保は絶対で、いかに雨水を利用するかになってくるのだが、城内の雨水をその二つの池に集めることでいくつもの排水溝がしっかりと作られていることがわかる。
しかもそんな池を儀式に使うあたり、月の池というくらいだから夜は月を映して酒盛りもしただろう。多分酔いが回ってくると頬っぺたに「B-T」と書いたはずだ。
で、おそらく「JUPITER」を大合唱したはずだ。酔っぱらい過ぎてどんちゃん騒ぎになった取り返しのつかない状態になった時は、殿様が「遊びはここで~終わりにしようぜ~」と歌ったはずだ。
山城にも関わらずそういった娯楽が用意されていることに非常に色気を感じずにはいられない。

金山城の石垣は日本の城の石垣とちょっと違う。基本どこの石垣も平面的な積み上げ方で、形の良い四角い石を垂直に積み上げている。そして高さがあまり稼げていない。
よっていくつもの段になって積まれているのである。戦国時代の石垣は武者返しと言われる作りで、いわゆる積み上げていく度に斜めに反っていく、いわゆる反町な感じというか、ポイズン~!な感じになるのが基本なのだが、(前にもこんな文書いたような)金山城は真っすぐに積み上げられている。垂直に積むといずれ重さに耐えきれなくなり崩れてしまうので、石垣もいかに高く積むかで進化していったことがわかる、高く積むために反町に、ポイズンに、なっていったわけだ。歴史が古い城だけにまだそこまでの技術が発達していなかった頃の作りにむしろ城マニアは萌えるのである。

だが近年の金山城の復元工事はちょっとやりすぎの声もあるのは事実。そこまでの石垣だったかどうか微妙だという城マニアも多い。
復元し過ぎるのも問題。かと言ってどこまでが復元かもわからない、歴史は言ったもん勝ち、宣言しちゃったもん勝ちなところもあるのでこの金山城の姿がすべてではないと言っておきたい、が、自分のイマジンの中で、こうだった、いや、ここはもっとこうだった、こうだったに違いない、などと膨らませていくことをお勧めしたい。

だがやはり大手虎口のアングルは圧巻である。安土城の大手口とも似ている。石畳で作られた道、排水溝もすべてが美しい。段になって積み上げられた石垣はやはり日本っぽくない威圧感を感じさせてくれる。

石垣が外側になく城の内側にあることも魅力の一つだ。こういう城も日本にはたくさんあるがヤンキーの軽自動車の車内がぬいぐるみとムートンふかふかな感じと良く似ている。
まあ城の外は急斜面で崖みたいなものだし、簡単に登って来れるような山ではない。かつて武田信玄や上杉謙信が攻めたが落とせなかったというデータが残っていることからもわかるように防御が素晴らしいのだ。
全方向に関東平野を見渡せる山に築かれている。眺めも最高だ。星形にどの方向にも城が広がっている。非常にでかい。いろんな曲輪が来る度に大きな堀切が作られている。
攻めて来れないように門の前を堀り進入を妨げるわけだが、両サイドが崖だったりして一度この堀切に落ちたら怖いなんてもんじゃない。
攻めても攻めても堀切が立ちふさがる、山城では考えられない防御の細かさが金山城の最大の魅力だと言える。

現在金山城に観光するには車で西の曲輪まで登り(駐車場になっている)ここから歩いて本丸まで行くのをお勧めする。
下から歩くのはよっぽど体力に自信がないと、もしくは氷室さんほど喧嘩が強くないと無理である。もしくは布袋さんと同じクオリティーでBAD FEELINGのイントロを弾けないと無理である。私のライブのサポートをしてくれる超イケメンギタリスト生熊耕治パイセンはBAD FEELINGを完コピで弾ける凄い人である。

この駐車場から歩いて5分、物見代下虎口が表れるがこの横の岩を見ると石をここから削っていたことがわかる。それを堀切にもしてしまう一石二鳥な作りに拍手だ。現在もずっと発掘調査が続いているので今後また見るものや登っていく入り口が増える可能性は十分にある。月の池の下の斜面もずっと発掘調査していて、そこの道が通れればまたいかに防御が堅い城だったかがわかるはずだ。


ひとつ残念なのは三の丸には住居が立っていてその全貌がわからなくなっていること。そして本丸も新田神社が立っていて、なかなか本丸の作りが把握出来ないことにある。
ここからの眺めが金山城のでかさを物語ると思うのだが、本丸は天守曲輪などとも呼ばれるみたいだが天守らしき建物があったかどうかはわからない。
ただ見事に平地になっているのでここに何らかの屋敷や御殿が立っていたことはイマジン出来る。
本丸の周りを犬走りが作られていることも見逃せない。犬走りとは犬を走らせるスペースというわけではなく、身方が城を行き来するのに城の外に道を作ることでいろんな伝達が早くなることで作られたいわゆるシンプルな通路である。堀の先の石垣の手前に歩くスペースを作ってある場合これを大概「犬走り」と呼ぶ。間違ってもドッグランではない。

城にそういった段を作ることで城内にいても行き来が早く出来るよう作られていたことにも注目したい。
日本の山城でも5本指に入る城、金山城だ。より城の凄さを感じてもらうには城の麓にある史跡金山城跡ガイダンス施設に立ち寄ってもらいたい。私が来城した日は休館日で残念ながら見れなかったが城マニアはここもセット廻るのが鉄板である。


最後に、群馬県太田市は太田焼きそばを売りにしているらしく、帰りに「岩崎屋」に立ち寄った。
色が真っ黒でキャベツと麺しか入ってない実にシンプルな焼きそばだ。ここのお品書きが凄い、この写真を見てほしい。くどい(笑)だが焼きそばは美味かった。是非とも東京進出してほしい。絶対流行ると思います。時間がかかってもこの味でやり続ける、そしたらいつか大成功が待っているかもしれない!それはまさにスマイレージからずっと続けてきてアンジュルムに改名した最初のシングル「大器晩成」だ!しかもそれを作詞作曲したのは、そう!中島卓偉である!私であるからして!私も2015年4月8日発売のアルバム「煉瓦の家」で自分でも歌っている。アンジュルムの大器晩成はファンク、卓偉の大器晩成はスカ、両方楽しんでいただきたい!

なんだ!最後は金山城でもなく太田焼きそばでもなくアンジュルムと卓偉の宣伝か!

金山城 また訪れたい…。


◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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