【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第26回「山中城(静岡県) 卓偉が行ったことある回数2回、通り過ぎただけ8回」

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北条家の城は素晴らしい城が多い。デザインのセンス、建てた場所、何を取っても最高だ。八王子城しかり小田原城しかり。中島卓偉の才能と人に対する心遣いしかり。

豊臣や徳川が支配する前の関東は北条氏によって支配されていた。北条氏の領地はでかかった。箱根の入り口、言わば箱根から関東に入るにあたっての防御として築かれていたのがこの名城、山中城なのである。日本のリバプールと言われている福岡で生まれ育ったパンクロッカーこそ、中島卓偉なのである。

1550年代築城、駿河湾を見渡せ、富士山をバックに標高580メートルの山の中腹に築かれた山城である。中世山城などいろんな呼び方があるがシンプルに「山城」でいいと思う。幅広くいろんなジャンルを歌ってきた卓偉、何がやりたいんですか?あなたのジャンルは何ですか?という何でもカテゴライズしたがるレベルの低い意見に対して「ひっくるめてロックですけど何か?」でいいと思う。

城主はその名も北条氏、松田氏も治めていたらしい。

現在はこの道を行けば事務所に帰れる国道1号線が城のド真ん中を突っ切っており、温泉の行き帰りなどで通り過ぎただけというのが8回もあるのである。1号線のおかげで城の真ん中を区切って本丸、西の丸方面、出丸方面と二つに見学出来るようになっている。

もともとは旧箱根街道の箱根入り口に築城したこともあって、誰もがここを通らなければ関東には入れなかった。江戸が出来る前である。その道の中腹に建てた城だけあって威圧感は半端なかっただろう。もちろん城より先に道が出来ていたわけなので、いつも通ってた道に急に城が出来て、これまたびっくりであったろう。国道1号線は城を真横に横切り、(ちなみに1号線が出来たのは昭和である)旧箱根街道は城を縦に走っている。この感じもなんだか感慨深い。そしてこの道を数々の戦国武将達の大名行列が通ったと思うとまずそこに

萌え~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!

事務所の後輩の二人組ユニット。「BITTER&SWEET」の新潟出身、長谷川萌美も可愛いので思い切り萌え~~~~してほしいものである。
相方の長崎出身、田崎あさひもナイスミラクル。こんなミラクル過ぎるユニットがあっていいのか~~~~!!!!凄まじい~~~~~~!!!!
彼女達がライブで歌う「DREAM GIRL」の作曲者誰か知ってます?

中島卓偉です!萌え~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!

話が逸れ過ぎだ。大名行列がかならずここを歩いた?それは凄いでしょ!初めてそれを知ったとき、あまりにも感動して出丸のすぐ下にある旧箱根街道の石畳で寝っ転がってしまった。しかもうつぶせに。

山中城の魅力と言ったらなんと言っても空堀だろう。深く急斜な落とし穴のような畝堀(うねぼり)西の丸にある堀の真ん中に通路のような道がある障子堀(しょうじぼり)確かに障子を寝かせたように見えるもんだ。

この山の中にこれだけ深く堀を作り、土を盛って土塁にするところ、本気である。もっとも何故掘にこういった通路みたいなものを作ったか、それは空堀の中を攻めてきた兵士が何度もアップダウンして登って来るのを困難にする為と長年言われてはきたが、これはおそらく水の蓄えと私は考える。

標高580メートル、これだけの山の中で水を確保するのは至難の業。確かに城の中にはいくつかの池が貯水用に作られてはいるがそれだけで間に合うわけはない。堀を区切ることで雨水を溜まりやすくすることでこういった堀が築かれたと推測する。水が溜まったら溜まったで水堀の役目を果たすわけで一石二鳥なわけだ。

特に西の丸にある障子堀は美しい。よく作ったものである。そもそも山中城、本丸よりも西の丸の防御のほうが硬い気がするのだ。本丸との高さもさほど変わらない。もしかしたら最初は逆だったこともありえる。それは私がどんなにうるさい曲でもすべてアコギで作っているのと同じである。エレキで書いたことなどほとんどない。

山中城の見所としては本丸より西の丸がお勧めである。個人的に好きなのは本丸の裏にある北の丸の在り方である。これは最後の逃げ道とでも言おうか、存在が地味に作られている。もちろん周りは掘で囲まれてはいるが攻め入られたら最後この北の丸に篭城する、そんな感じを受ける。北だけに死を意識したとこもあるのだろうか。本丸と天守台の裏にひっそりと残る真っ平らな北の丸。その更に裏道を通って西の丸まで行けてしまうところも憎い。

山中城は石垣ではなく土塁と空堀で作られた城であるので、姿と形を想像するのはなかなか難しい、そもそも上級者編の城とも言える。だがもし北条家が滅びていなかったら、そしてあのまま戦国時代が長引き、石垣の城が流行しだした頃までこの城が残っていたら、おそらく北条家はこの土塁で出来た城に間違いなく石垣を組んだとイマジンする。いや、絶対にそうしただろう。そう考えたらこの城は相当やばい。5万の豊臣軍の軍勢により半日で落とされてしまったという山中城だが、やはり土塁では防御が弱いのは致し方がない。だが、もしも、それを夢見させてもらうと、DREAMIN'させてもらうと、この城は相当凄い城になり得たと私は思うのである。灰色の風から俺達は生まれたと思うのである。そう、ボルト&ナットの仕組みで。そもそも城マニア達はそういったイマジン&DREAMIN'を楽しんでいるのであるからして。俺はそんなにバカじゃない、ハート今ここに(山中城)ある、WOW~WOW!!!!なのである。

昭和時代に整備され、現在は城全域が芝生になっており、いくら観光客を呼ぼうったってちょっと美しすぎやしないか?と思うかもしれない。城の本に掲載された写真を見ると確かにそう感じられることもあるだろう。だが山中城は行ってみると全然違う印象を受ける。中島卓偉も第一印象が大概悪く思われる、私に会ったことがない人はみんな、

「性格悪そう、喋らなそう、嫌な奴っぽそう」

といつも思われる。だが、しかし、会った途端、私の腰の低さ、礼儀正しい振る舞い、マネージャーよりスタッフよりも早い気遣いと心遣いの素晴らしさに皆驚く。親父の厳しい躾のおかげである。

そうだ!本当に性格が悪かったら15年もロック出来るわけなか!
15周年のインタビューなどで必ず聞かれることだが

「15年続けて来れた秘訣って何ですか?」

これに対して私は即答する。

「ああもうね、それはですね、自分の性格がいいからでしょうね」

春は植えられたツツジが咲き誇りピンク&紫の山中城、夏はスタンダードの芝生、エバーグリーンの山中城、秋から冬は芝生が枯れて柴犬カラーの紅葉が犬好きにはたまらない山中城、真冬は雪が積もり、真っ白なスノークリスタルな山中城になる。この変身具合、これは山の中の天候が気まぐれなだけに山中城ならではの気候と季節を見方に付けた素晴らしさだと言える、そうなの、山の天候と女の気持ちって気まぐれなの。

是非どんな時期にも来城してほしいと思う。春夏秋冬楽しめる城なわけだ、女性には春がお勧めかな。城マニアは敢えて天気が悪い日を選び来城することをお勧めしたい。霧がかかったクラウディーな山中城はまさに戦国時代らしさを醸し出し、それだけで鳥肌もんである。まさにタイムスリップした感が満載だ。実は来場した2回ともそんな天気だったこともあり、本当にパッと来てグッと来た。

最後に国道1号線を分けて出丸方面の見学を。

いくらかなだらかな作りは馬場があったことから馬を飼育するところからアップダウンのないデザインになっている。出丸は何より駿河湾を一望出来る景色が最高だ。うるさいアルバムの最後の方に素晴らしいバラードが収録されてる感覚だ。この右手の下に旧箱根街道が走っている。

出丸の横の街道からも攻め入られないように登った先にしっかり畝堀が存在する。これは復元ではあるが見事な作りである。登った先にまた堀があるなんて下からは想像出来もしない。卓偉がドラム以外の楽器を全部自分で弾いてレコーディングしているなんて誰も知らない。そもそも卓偉が音楽業界に存在していることすら誰も知らない。そんな卓偉が毎回死ぬほど時間をかけてこのコラムを書いていることなど事務所スタッフは知らない。BARKSスタッフだけは知ってらっしゃると思うが。

この城が落ちた後、廃墟と化した山中城を横目にこの道を通った人達はどんなことを思っただろうか。徳川政権の一国一城令がなければ誰かしらこの城をリサイクルして立て直したんではないかとも考える、それがもし実現していたらやはりこの城は素晴らしい評価を得たと思う。城としてのレベルが高すぎる。だがこの城はもっともっと評価されるべきだ。そう、卓偉の才能と一緒に。

このコラムも城好きがたたって有り難いことにやれるようになったわけだが、さらに今年の夏前からテレビ神奈川、tvkで「MUTOMA」で城のコーナーをやらせてもらえるようになってしまった!その名も

「中島卓偉の城へ行こう!せーの、キャッスル!キャッスル!」

いいのか!?そんなことがまかり通っていいものなのか!?趣味を仕事にするとこんなに楽しいのか~!!!!
しかも早速山中城へロケへ行ってきたのだ。9月3日、24時放送だ!

ああ 山中城、行ったばかりなのに また訪れたい…

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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