【倉木麻衣×BARKS連載対談】第四回(2003年~2004年)「初めてやらせていただくことが多い年だったので、すべてが体当たり」

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■大学時代はずっと走っていて。最初は苦しいけど
■走り続けると楽になるということって、あるじゃないですか

▲初のベストアルバム『Wish You The Best』(2004.1.1発売)
▲<Mai Kuraki 2004 Live Tour“Wish You The Best”>本番
▲<Mai Kuraki 2004 Live Tour“Wish You The Best”>本番
▲<Mai Kuraki 2004 Live Tour“Wish You The Best”>本番
▲<Mai Kuraki 2004 Live Tour“Wish You The Best”>本番
烏丸:ベストアルバムが出たのは、その頃ですか。

西室:そうですね。その頃はずっと制作をやりながら、学校に通って、ツアーをやって、そのスタイルを崩さずにやってました。単独ライブ100回目という節目も迎えましたし。

烏丸:そのスケジュールは相当忙しいと思えるんですけど、スタッフの方々は学生としての彼女と、アーティストとしての彼女と、ふたりぶん動いているのを、どのような形でサポートしていたんですか。

西室:高校の頃から同じように活動していたので、大学に行ってもそれほど変わりはなかったですね。高校の時がむしろ大変だったかもしれない。朝早くて、規則正しく毎日学校に行かなきゃいけないという意味では、高校のほうが大変でした。

倉木:大学はもう少し余裕があるというか、自分でカリキュラムを組むことができたので。

西室:大学生になったから、お休みの時にはツアーを組めるとか、そういう話ができたと思います。高校の時はさすがに、ツアーを組むことはできなかったので。

倉木:制作も、土日の間とか、ゴールデンウィークとか。

西室:そういう意味では大学のほうが、いろんなことができたと思います。ただ、“そろそろテスト期間が”とか“課題の締め切りが”とか、そういうことは一応気にしつつ(笑)。

烏丸:そうやって一生懸命やっていても、現実にはうまくいかないこともいっぱいあるでしょう。課題が終わらないとか、レコーディングが進まないとか。そこであまりにもストレスをためすぎて、もうたまらんなぁというような、苦い思い出はありますか。

倉木:苦い思い出を作る時間すらもないような……(笑)。

烏丸:今、すごい笑ってますね(笑)。

西室:思い出にひたっている時間もなかったんです。

倉木:ずっと走っていて、最初は苦しいけど、走り続けると楽になるということって、あるじゃないですか。

烏丸:ランナーズ・ハイですね。いっちゃってますね、やっぱり。

倉木:ふふふ(笑)。そういう感じでアルバムを作って、ツアーもやって、次の新曲の構想を練って、レコーディングして。そのサイクルの中で、どこかに休みを入れてしまうと、かえってペースが乱れると思ったんですよ。なので、この時期はずっと走ってました。

烏丸:そういう中で、先ほどおっしゃった平安神宮のライブや、紅白出場や、ライブ100回目を迎えるとか、ひとつひとつのトピックも、楽しく迎えられた思い出になりますか。

▲Tak Matsumoto featuring 倉木麻衣『イミテイション・ゴールド』(2003.10.8発売)
倉木:初めてやらせていただくことが多い年だったので、すべてが体当たりという感じでした。あと、初めてカバー曲もやらせていただいたんですよ。松本孝弘さんの作品で、山口百恵さんの「イミテイション・ゴールド」を歌わせていただきました。

烏丸:それはどういういきさつで?

西室:松本さんがソロでオリジナル・アルバムを出す時に、いわゆる歌謡曲の名曲をセレクトされて、各アーティストとコラボレーションするという企画で、倉木は「イミテイション・ゴールド」でどうですか?と。

倉木:昔から知っていて、歌ったこともあった曲なので、お話をいただいてすぐに“やってみたい!”と思いました。自分の声も合うと思ったので、すごく楽しみながら歌入れをした記憶があります。

烏丸:ラジオのパーソナリティを始めたというのは、どんないきさつだったんですか。これも、できる人とできない人がいると思うんですよ。

倉木:ラジオをやらせていただく前に、先ほど言った『Mai-K TV』というCS放送のテレビ番組があったんですよ。それは自分の好きな音楽を紹介する番組で、その時の経験があったので、ラジオでしゃべったり曲を紹介したりするのは、わりとすんなりできたような気がします。『Mai-K TV』も、最初はどうしていいかわからなかったんですけど、自分が好きな楽曲を紹介する番組だったので、話しやすかったんですよ。そういう部分では、すごくよかったんだと思うんですけど。

烏丸:『Mai-K TV』というのは、音楽を紹介する番組だったんですか。

倉木:はい。それと、たまにゲストの方にも来ていただいたり。

烏丸:どんな音楽を紹介したのか、覚えています?

倉木:主に洋楽のアーティストを紹介していて、デスティニーズ・チャイルドさんを紹介した時には、ビデオ・メッセージをいただきまして。

烏丸:へえええ。それはすごい。

西室:“ハロ~”みたいな感じで。

▲2nd アルバム『Perfect Crime』
倉木:私の『Perfect Crime』というアルバムを手に持って、逆に紹介していただいたという(笑)。それはすごく印象的ですね。今振り返って見ると、怖いもの知らずと言いますか、“こんなこと平気でしゃべってたんだ”って、見返してみるとちょっと怖いです(笑)。当時十代だったからこそ話せたこともあったりして。

烏丸:それは当時の自分に刺激的な音楽や、影響を受けたものを素直に紹介するという設定だったんですか。

倉木:そうですね。

烏丸:もし僕がそんな場をもらったら、背伸びすると思うんですね。あんまり知らないけど、“これを紹介するとカッコいいと言われそう”というものを選んだりして。

倉木:ああ~、そういうのはなかったですね。

西室:等身大だったと思いますよ。マイケル・ジャクソンが好きだから紹介したり、ホイットニー・ヒューストンが好きだから紹介したり。

倉木:すごく偏ってるんです(笑)。

西室:音楽番組としては、さておきなんですけどね(笑)。倉木的には、自分の好きな音楽を等身大で紹介していたので、許してください的な。

倉木:あと、映画が大好きなので、映画の紹介もしてたんですよ。視聴者の方からリクエストが来て、“こういう楽曲があるんだ”ということを知れるチャンスでもあったので、あの番組を持ててよかったなと今振り返って思います。

烏丸:そこでお客さんとの交流もあったんですね。

倉木:そうですね。“いつも見てます”というリクエストのお手紙を読んだり、その模様を、ライブの演出の中に取り入れてみたこともありました。ひとつのきっかけで、自分の活動に幅広く反映できたことが、すごく面白いなと感じていた時期だったと思います。

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