【連載】Large House Satisfactionコラム番外編『新・大岡越前』第七章「湯気」

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ぐっさんは走っていた。




大岡越前守から、医師・内田チャンケンを殺害し遁走する(本人は逃げているつもりはない)ウチダ同心を追えとの指令が下ったのである。



「ウチダさんめ、恐らく今回の関係者三人をしらみつぶしに拷問にかけようという算段なのであろう。となると、次はチャンケンの住まいの近くに暮らす易者・西開眼のもとへ向かっているに違いない。ぐっさん、急いで向かってウチダさんの暴走をとめるのだ」



まったく困っちゃうよね。じゃ。つって忠相は、ため息とともに電話を切ったのであった。




ぐっさんは夕暮れかかった江戸の町を全力疾走している。



(クソ…ウチダさんの尻拭いは、いつも俺じゃねえか…)



苦々しい思いのぐっさんなのであった。


「ああ、ちくしょう、面倒な…」


風は少し冷たくなってきたが、ぐっさんの顔を走る汗は止まらなかった。



※※



ウチダさんの足は、とにかく疾い。


百メートル六秒フラット。
超人的である。

五十メートルだと、三秒である。

超人を通り越して、どことなく狂気を感じる速度である。

だって草鞋で走ってだし。


そんな狂ったスピードで走りながら、ウチダさんは次なる獲物、易者・西開眼の憎たらしい顔を思い浮かべていた。



ウチダさんは西開眼を、本能的に憎んでいるのであった。

初めて会ったときからたまらなく気に入らない。


「なんかウソついてまで自分を洒脱な人間にみせようとしてんだよなー。それがたまらなくムカつく」


とはウチダさんの弁である。



こんな破壊的なガイに憎まれた西開眼は、たまったものではないだろう。



ウチダさんの西開眼への憎しみは、もちろん暴力によって具体化されるのである。



※※※



ある日のこと。


西開眼は例によって泥酔しながら往来をぷらぷら歩いていた。



「ああ、いい天気。はは。お天道様はいつだって輝いてる。そばにいる。蕎麦味噌を顔に塗りたくって豚の金玉を揉みたいわよー」



とか錯乱したようなことを言いながら千鳥足でよちよち歩く。


はっきり言って馬鹿である。


こんな風に、常人が言わないようなおかしげなことを言っていれば仙人かなんかになれるとでも思っているようだった。

実際はただの酒臭い馬鹿であった。


泥鰌屋の娘が川で溺れ、流された先を言い当てたのも、実は適当に言っただけである。

もし当たったらラッキーじゃん。金くれるかもじゃん。みたいな感じで言ってみただけである。




西開眼は上機嫌でぷらぷら歩いている。
しかし、


「あん肝の雑炊を世の中にしらしめたいよ。恵まれない子供たちのために。アフリカで泣き暮らす瓦職人はミタラシダンゴガダイコウブツナノー」


などとまた馬鹿なことをほざいたとき、目の前の曲がり角から突如として黒い塊があらわれた。


ウチダさんである。


「あっ。てめーこのヤロー!」


西開眼を一目見たウチダさんの怒りのボルテージは最高潮に達した。

しかし、ウチダさんを確認した瞬間、西開眼は泥酔しているとは思えない身のこなしで横っ飛びに逃げると、そのまま脱兎如く駆け出そうとした。


しかし、ウチダさんの超人的反射神経のまえには、なす術はなかった。


ウチダさんは破壊的スピードで西開眼の襟首を後ろから掴むとそのままぐいと持ち上げた。


西開眼の貧相な足が地上からおよそ八十センチくらいのところでぷらぷらしている。

そして、


「おっおっおっおっ。おったすけぇ…」


情けない声をあげながらそのまま小便を漏らした。


ウチダさんは無言で西開眼の身体を力一杯地面に叩きつけると、その太い腕を振り下ろした。


分厚いレンガのような掌から繰り出された手刀が、痩せて盛り上がったアル中の易者の喉仏を直撃した。


「オァンッ」


一声なくと、西開眼はそのまま失神しつつ脱糞した。



「ふう。手間取らせやがって」


ウチダさんは懐紙で手を拭くと、そのまま鼻をかみ、その鼻水つきの紙を西開眼の口の中に詰め込むと、冷笑と共にその場から立ち去った。



(本当は殺っちゃいたいんだけどなー!)


本心である。


これくらいの暴行なら、いくらでも理由をつけて正当化することができる。


このほかに、道でたまたま見かけたらみぞおちにパンチしたり、

後ろから静かに近づき、両足首を掴んで思いっきり左右に広げて股間にダメージを与える、などの暴力・嫌がらせなどの行為を頻繁に与えていた。


しかし、現代でいうところの警官である、同心の身で殺人をおかしたとなると、また面倒なことになる。




今回の泥鰌屋押し込みの件で、ウチダさん、胸が踊ったのは言うまでもない。

やっと合法的に西開眼を亡き者にすることができるからである。


てゆーか西開眼はなにも悪くないから殺したらだめなんだけど。

しかしながらウチダさんのなかではすでに、西開眼は兇賊・なま乾きのヤマちゃん一味の一人なのである。



(キタキタキター!!)



なのである。


▲絵:小林賢司
「うふふ…。やっと、やっとだよー!」


思わず叫びながら、ウチダさんは破壊的なスピードで西開眼のもとへ、走る。


その隆々たる肉体が、溶岩のように熱くなり、頭から湯気があがっていった。


夕暮れの江戸の町に、ウチダさんの湯気が舞っている。





つづく


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