【キース・カフーン不定期連載】偉大なタワー・オブ・パワーに敬意を
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◆タワー・オブ・パワー画像
このカリフォルニア州オークランドを拠点とするバンドの実力は健在で、人気曲から成る豊富なレパートリーが魅力的だ。45年という長い音楽活動の中であまり多くのヒット曲には恵まれなかった彼らだが、日本をはじめ世界中に狂信的なファンを持つ。
決して順風満帆とは言えない道のりだったが、バンドは創始者のエミリオ・カスティロとドック・クプカのリーダーシップによって迷うことなく自分たちの音楽性をとことん貫いてきた。若い頃からバンド活動をしていた2人は、1968年にカバー曲を中心に演奏するザ・モータウンズを結成。1970年までには、デイヴ・ガリバルディ(Dr)、ロッコ・プレスティア(B)、グレッグ・アダムスとミック・ジレット(Tp)といった実力派メンバーが名を連ね、タワー・オブ・パワーとしてオリジナル曲を発表するようになっていた。ボーカルは主にルーファス・ミラー、時々リック・スティーヴンスが担当した。
拠点であるベイエリアを反映するかのように、バンドにはあらゆる人種のメンバーが在籍していた。サンフランシスコのビル・グレアムのレーベルと契約したバンドは、ゴールド・ブラッド、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、サンズ・オブ・チャンプリン、フードゥー・リズム・デビルズと並ぶベイエリアのホーンバンドだった。タワー・オブ・パワーのデビュー・アルバム『イースト・ベイ・グリース』はカリフォルニアなどで好評を博したもののヒット作ではなかった。また、デビュー当時から12人のメンバーがいるホーンバンドだったことがツアーを組むことを困難にした。
セカンド・アルバム『バンプ・シティ』はビルボード85位を獲得したが、その頃にはボーカルのルーファス・ミラーの脱退などメンバーの入れ替わりが始まっていた。ボーカルの交代後に人気を維持できるバンドは少ないが、タワー・オブ・パワーはこれまでにそれを最低10回はやってのけてきたのである。「ソー・ベリー・ハード・トゥ・ゴー」や「ワット・イズ・ヒップ?」収録のサード・アルバム『タワー・オブ・パワー』はチャート15位を獲得した。新たに加入したレニー・ウィリアムズは優れたシンガーソングライターだった。その一方で、麻薬に溺れていたリック・スティーヴンスは麻薬取引がこじれて3人の男を殺害し、36年間の懲役刑に服した。
4枚目と5枚目のアルバムも共にチャート入りしたが、メンバー交代はさらに頻繁になっていった。バンドは生活のために、リトル・フィート、ルーファス、キャット・スティーヴンス、エアロスミス、ハート、エルトン・ジョン、ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース、ロッド・スチュワート、トト、サンタナ、グレイトフル・デッドなど他のバンドとセッションやライブを行った。ボーカルもレコードレーベルも再び一新した1975年、エース級ドラマーのデイヴ・ガリバルディがバンドに復帰。脱退した元メンバーが戻って来るという風潮はこの後も続いた。ちなみに、脱退と再加入を繰り返してきた現メンバーのロッコ・プレスティアは腎臓移植手術を控えているために休業中だ。
最近はチャート入りしていないが、バンドはこの十数年の間に『モンスター・オン・ア・リーシュ』(1991年)や『ソウルド・アウト』(1995年)をはじめとする素晴らしいアルバムを発表してきた。現在は、創始者のカスティロ、クプカ、ガリバルディなど10人のメンバーが在籍する。アルバムを家で聴くのもいいが、偉大なR&Bミュージシャンである彼らのパワフルなファンクを体感するにはライブが一番だ。彼らの年齢を感じさせない躍動感が溢れる演奏に観客は踊らずにはいられなくなる。
彼らのファンには1970年代から支持し続けてきた世代だけでなく、ヒップホップがきっかけでファンクが好きになった若者もいる。筆者は1970年代初期のカリフォルニア公演や数年前のブルーノート東京公演など、彼らのパフォーマンスを観る機会に何度も恵まれてきた。7月26日のフジロックのステージが非常に楽しみである。偉大なタワー・オブ・パワーに敬意を表したい。
キース・カフーン
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