【連載】Large House Satisfactionコラム番外編『新・大岡越前』第三章「変態チャンケン」
※
盲目の男は座頭のロクさんであった。
座頭とは現代でいうところのマッサージ師みたいなものである。
ロクさんは界隈でも評判の良い按摩師で、人柄も温厚な三十代後半のおっさんであった。
「おいっ!誰か縄を!早くしねえと手遅れになるぞ!」
普段は温厚なロクさんもこの非常事態に声を荒げた。
▲絵:小林賢司 |
「よしっ。その縄を俺の胴回りに巻いてくれ!」
言われた通り胴に縄をまくと、
「それっ…」
というやいなや、ロクさんは川に飛び込み、オキヨを抱きかかえ、
「さあ、早く!引っ張り上げてくれ!」
その声で、縄の端を持っていた人々が、オキヨを抱えたロクさんを引っ張り上げた。
「うおおおっ。ゴローさん!あんたぁまさにゴローさんだぁっ」
掬衛門は歓喜して、オキヨを抱きかかえたままのロクさんに抱きついた。
しかしロクさんは、
「早く医者を呼ぶんだ!息をしていねえ!」
鋭く叫ぶと、オキヨを自分の着物に横たえた。
「誰か!一番早く来れる医者を呼べ!」
「むう、仕方がない…。あの男を呼ぶか…」
掬衛門は懐からiPhoneを取り出すと町医者・内田チャンケンに電話をかけた。
※※
「ぬぬっ。それはまずい、まず心臓マッサージをするんです。うん。それで、人工呼吸はとりあえずしなくていいかな、僕が行くまでは」
内田チャンケンはそう早口に言って電話を切ると、とてもワクワクした。
(オキヨちゃんに人工呼吸か…待ってたよ…)
これである。
医師としての腕は確かな内田チャンケン、オキヨに対しての想いは並々ならぬものがある。
齢四十にして医師として今の地位を築き上げたチャンケンの悩みはずばり結婚であった。
大身旗本も診療するチャンケンの収入は他の町医者のウン十倍であり、その名は城下に知れ渡るほどだが、未だ独身のチャンケン。
理由は明白である。
彼は自他ともに認める変態糞マゾ野郎なのである。
若かりし頃の彼は、当時日本一の名医と呼び声の高かった蟹山ジャンケンの弟子であり、真面目で実直、将来を有望される医師の卵であった。
目もめっちゃキラキラしてた。
将来にめっちゃ希望もってた。
「世界を、診る」
これが口癖であった。
そんな生真面目でポジティブな感じに溢れていたチャンケンがど腐れマゾ野郎になったのは、
兄弟子である横山コンチャンのせいである。
ある日の夜。
強かに酔った兄弟子のコンチャンは、チャンケンをSMクラブに誘った。
真面目なチャンケンは無論、最初は断ったが、SMクラブ、という言葉の響きを聞いた瞬間、全身に意味不明の鳥肌がたったのがわかった。
(うおー。なにそれ。なにエスエムクラブって)
(行きたい…!)
彼は自分がそんな気持ちになるのが信じられなかった。
そんな悶々とした態度を察したコンチャンは、なかば無理矢理チャンケンを行きつけのSMクラブへ連れていった。
そこで内田チャンケンは己のマゾヒズムに目覚めたのであった。
そして。
チャンケンは狂ったように城下のSMクラブを巡り、鞭で叩かれる、アツアツの蝋を垂らされる、そんな簡単なことでは快感をえられなくなり、糞を食ったりしだしたので、
これにはSMの味を教えた兄弟子・横山コンチャンも辟易してしまった。
そして友達とか、知り合いとかに言いまくった。
「チャンケンは変態野郎」
と。
師である蟹山ジャンケンもコンチャンからこのことを聞き、怒り狂った。
蟹山ジャンケンは当時齢六十であったが若かりし頃、ある一刀流の剣術道場で免許皆伝を受けている。
免許皆伝とはその技倆のみならず精神も一流と認められなければ与えられないもので、そんなの与えたれちゃったくらいだからジャンケンは相当な人格者であった。
であるからして普段はすっごい優しい。
しかし怒るとすっごい恐い。
声とかも大きいし。
そんなジャンケンは弟子の中でも一番才能があり、故に一番可愛がっていたチャンケンを愛の鞭で真人間に戻そうと、怒りながら自室に呼んだ。
以前であれば憤怒の師の前では怯えて小便を漏らすほどであったチャンケンは、不気味な笑みを浮かべている。
「チャンケンよ。貴様毎晩戯けたことをしているようだな。わしはすっごい怒ってます。貴様のような変態さんが、一流の医者になれると思うたか。その腐った性根、わしが叩き直してやるってゆーかおいっ。なに笑ってんだよっ。おいっ」
ニヤニヤ笑いを止めないチャンケンにさらに激昂したジャンケンは、チャンケンの鼻っ柱に強烈なワンツーをいれ、ボディブローでくの字になったあと、両の掌の指を交差させてグッと握ったやつを背中に叩き込む攻撃をした。
倒れ伏したチャンケンの頭髪を掴んで起き上がらせると、まだニヤニヤ笑っている。
「な、なに笑ってんだよっ…。おいっ。笑うなっ。笑うなっ。笑うなっ」
ジャンケンは続けざまに色々な感じで殴ったりしたが、チャンケンはいやらしい笑顔をやめない。
その不気味な笑みによって、人格者である蟹山ジャンケンは己を保てなくなっていった。
「貴様ぁっ。わ、わしをなめておるなっ。あーそうですか。そんな感じですか。じゃあもうわしも本気だすから。やるから」
ジャンケンはそう言うと大刀をひっつかんで鞘をぬき捨てると、
「キョワアアアアアア」
と怪鳥のように叫んでチャンケンに躍りかかった。
するとチャンケンは少しも臆することなく、ヒョイっと自分の右腕を差し出した。
予想外の行為に一瞬戸惑ったジャンケンを、騒ぎを聞きつけてやってきた弟子達が羽交い締めにした。
「先生!」
「やめてください!」
「は、離せぇっ。わしはこの大馬鹿者を、成敗せねばならおおいっ。なに笑ってんだよっ。笑うんじゃないっ」
弟子達の阻止がなければ命はなかったはずの状況で、チャンケンはまだ笑っていた。
そしてぽつりと言った。
「右腕なんか、いらなかったのに」
チャンケンはその日のうちに破門になった。
※※
数年が経ち、益々そのマゾっぷりに磨きのかかったチャンケンは自分の病院をひらいた。
みな変態だとはわかっているのだが、なかなかどうして腕が良いのでその病院に通うものは後を絶たない。
あまりに評判が良いので、上流階級の町人や大身旗本まで贔屓にしだした。
そして、有り余る富とマゾヒズムに塗れた淀んだ日々を送っていたある日。
チャンケンは泥鰌屋掬衛門の娘・オキヨに出会ったのである。
でも、この出会いの話しちゃうともうこの物語の終わりが全然みえなくなっちゃうので、しません。
てゆーか、考えてません。
まあ兎に角チャンケンは、「本所の狂った筋肉」ウチダさんにも臆さないオキヨの強気な感じに惚れてしまい、
毎晩オキヨとの情事を夢想しつつ暮らしているのである。
(これで僕がオキヨちゃんを助ければ、掬衛門のじじいも黙って嫁に差し出すだろう…)
チャンケンは何度も泥鰌屋へ趣き、オキヨを嫁にくれと懇願したが、医者としての腕は良いもののド変態野郎に愛娘をやるほど、掬衛門も狂ってはいなかった。
当のオキヨも、
「生理的に、ムリ」
とチャンケンが来訪する度に言っていた。
「とにかく、急ごうっ」
チャンケンは四十秒で支度をすると、急いで川へ向かった。
そしてそこでちょっとした絶望がチャンケンを待っていたのであった。
続く。
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