ベルリンのフォーク、マイケ・ローザ・フォーゲル
3月3日(日)ベルリン、ローザ・ルクセンブルクプラッツのローター・サロンで行われたフランクフルト(マイン)出身の女性フォーク・シンガー、マイケ・ローザ・フォーゲル(Maike Rosa Vogel)のライブを観に行った。彼女のミドルネーム「ローザ」はかの女性革命家、ローザ・ルクセンブルクから来ているという。子供の頃から東ベルリンの英雄的フォークシンガー、ヴォルフ・ビーアマン( Wolf Biermann)に影響を受けてフォークシンガーとしての活動を始め、これまでに『Golden』(2008年)、『Unvollkommen』(2011年)、『Fünf Minuten』(2012年)と3枚のアルバムを発表している。2012年にドイツに旅行した際にCDショップで“ジャケ買い”したことで筆者は彼女の音楽に出会ったのだが、彼女の音楽にはフォーク・ミュージックが持ちがちな気負いがなく、素朴にストレートに感じたことを歌っている姿勢を非常に可愛らしいなと感じた。
◆マイケ・ローザ・フォーゲル画像
氷点下の気温が続いたベルリンの厳しい冬が終わったと報道された2月28日から続く、穏やかな春の始まりが実感できるベルリンの夕暮れ、その名のとおり赤いカーペット、赤いビロード、赤い灯りに囲まれたローザ・ルクセンブルクプラッツのローター・サロンに登場したミニスカート姿のマイケ。フォークギターをジャカジャカ鳴らしながら、最新アルバムの曲「Fünf Minuten」「Die Mauern Kamen Langsam」などを中心に演奏。彼女の素朴な人柄が滲み出た良いライブだった。
ベルリンのロックバンドのライブには幾度と無く体験しているが、このひは筆者にとって初のフォーク・アーティストのライブ。客席の様子は?というと、ロックバンドのライブなら総立ちで見ているベルリナーも、フォークのライブでは地べたに座り、しみじみと歌に聞き惚れている様子で非常に和み癒される雰囲気。前座として登場したアップル・イン・スペース(Apples In Space)もセンスの良い男女フォーク・デュオで、透明感ある女性ヴォーカルの声と、シンプルなギターの演奏と絶妙なハーモニーを十分に楽しめた。
この日のライブは、筆者が2012年末ベルリンに在住し始めてから出会ったMasahiro Miyoshi君と見に行った。彼は20歳を超えたくらいの若者なのだが、彼はいつも「そもそもパンクの定義ってなんですか?」など回答者の音楽に対する深い理解を問うような質問を真摯な眼差しでぶつけて来るような若者で、たいへん面白い。「えっとね、その発生は突発的なものではなく、アメリカにおけるヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどの活動、それからイギリスにおけるパブロックとグラムロックという背景があって…」云々と中年の音楽ファンとして、長々と解説をしてしまうわけであるが、その歴史をたどりながら、自分が音楽について知っていること、考えていることを整理できて非常に楽しい時間を過ごさせてもらっている。
この日は、「フォークってそもそもなんですか?」という質問を浴びせられて、「アメリカにおけるウッディ・ガスリーからボブ・ディランという流れがあって、彼らはレコード会社やプロデューサーから半ば押し付けられた歌をうたうのではなくて、自分が感じたこと、思ったことを素直に歌詞に書き歌ったから革命児であったわけで、これが日本だったら岡林信康や井上陽水などのフォーク・ミュージックの脈流を作り、その率直さが社会批判になったりして左翼の集会でもフォークが歌われたりした。東ベルリンのヴォルフ・ビーアマンからマイケに流れるのも同じ感じかなあ」などと回答したのであるが、あくまでも私的なものであるフォーク音楽は、学生運動などで明らかな“目標”に対してプロテストとしての叫びとして成立していた時代が終焉を迎えた今、「私的な心の叫び」とか「個人的な意思の表明」はまた異なる文化形態となっていると思う。今、フォーク音楽には、「一体、何に対する私的な叫びなのか?」を捉えにくい時代のなかにあるのだろう。
そんな時代のなか素朴な歌を書いている彼女に好感が持てる。僕みたいに長ったらしい話をする必要もなく、目の前の舞台に素朴にすらりとたって、彼女の音楽でそれを客席に見せているマイケは素敵な女性である。
文&写真: Masataka Koduka
◆Maike Rosa Vogelオフィシャルサイト
◆マイケ・ローザ・フォーゲル画像
氷点下の気温が続いたベルリンの厳しい冬が終わったと報道された2月28日から続く、穏やかな春の始まりが実感できるベルリンの夕暮れ、その名のとおり赤いカーペット、赤いビロード、赤い灯りに囲まれたローザ・ルクセンブルクプラッツのローター・サロンに登場したミニスカート姿のマイケ。フォークギターをジャカジャカ鳴らしながら、最新アルバムの曲「Fünf Minuten」「Die Mauern Kamen Langsam」などを中心に演奏。彼女の素朴な人柄が滲み出た良いライブだった。
ベルリンのロックバンドのライブには幾度と無く体験しているが、このひは筆者にとって初のフォーク・アーティストのライブ。客席の様子は?というと、ロックバンドのライブなら総立ちで見ているベルリナーも、フォークのライブでは地べたに座り、しみじみと歌に聞き惚れている様子で非常に和み癒される雰囲気。前座として登場したアップル・イン・スペース(Apples In Space)もセンスの良い男女フォーク・デュオで、透明感ある女性ヴォーカルの声と、シンプルなギターの演奏と絶妙なハーモニーを十分に楽しめた。
この日のライブは、筆者が2012年末ベルリンに在住し始めてから出会ったMasahiro Miyoshi君と見に行った。彼は20歳を超えたくらいの若者なのだが、彼はいつも「そもそもパンクの定義ってなんですか?」など回答者の音楽に対する深い理解を問うような質問を真摯な眼差しでぶつけて来るような若者で、たいへん面白い。「えっとね、その発生は突発的なものではなく、アメリカにおけるヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどの活動、それからイギリスにおけるパブロックとグラムロックという背景があって…」云々と中年の音楽ファンとして、長々と解説をしてしまうわけであるが、その歴史をたどりながら、自分が音楽について知っていること、考えていることを整理できて非常に楽しい時間を過ごさせてもらっている。
この日は、「フォークってそもそもなんですか?」という質問を浴びせられて、「アメリカにおけるウッディ・ガスリーからボブ・ディランという流れがあって、彼らはレコード会社やプロデューサーから半ば押し付けられた歌をうたうのではなくて、自分が感じたこと、思ったことを素直に歌詞に書き歌ったから革命児であったわけで、これが日本だったら岡林信康や井上陽水などのフォーク・ミュージックの脈流を作り、その率直さが社会批判になったりして左翼の集会でもフォークが歌われたりした。東ベルリンのヴォルフ・ビーアマンからマイケに流れるのも同じ感じかなあ」などと回答したのであるが、あくまでも私的なものであるフォーク音楽は、学生運動などで明らかな“目標”に対してプロテストとしての叫びとして成立していた時代が終焉を迎えた今、「私的な心の叫び」とか「個人的な意思の表明」はまた異なる文化形態となっていると思う。今、フォーク音楽には、「一体、何に対する私的な叫びなのか?」を捉えにくい時代のなかにあるのだろう。
そんな時代のなか素朴な歌を書いている彼女に好感が持てる。僕みたいに長ったらしい話をする必要もなく、目の前の舞台に素朴にすらりとたって、彼女の音楽でそれを客席に見せているマイケは素敵な女性である。
文&写真: Masataka Koduka
◆Maike Rosa Vogelオフィシャルサイト