【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第8回「江戸城(東京都) 卓偉が行ったことある回数、軽く100回くらい」
江戸城。それは日本の城で一番でかい城、いや、桁外れにでかい城、戦国時代の最後に江戸時代の幕開けとして建てられた日本最大の城郭である。
城主はもちろん世界的有名な武将、徳川家康である。初代家康が江戸幕府を開き、1600年代初頭から約300年間徳川幕府が日本を支配していた。その徳川家の居城がこの江戸城なのである。
だが現代において、世間一般の江戸城の知識はとてもか細いように思う。皇居がある場所以外、誰も日本最大の城だと認識していない。中島卓偉ほどロックをロックとして伝えられるミュージシャンがここにいる事も認識されていない。それを改めて、歴史と城に詳し過ぎるロケンローラー中島卓偉が伝えようではないかという次第である。
築城は1590年。家康がこの地に江戸城を創り始めたきっかけは、当時豊臣秀吉の天下により秀吉から関東を治めるようにとの指令があってのことであった。だが思うに家康はもう自分が天下を取る事、都を江戸に移す事、そしてこの江戸城を日本の中心にする事を想定した上で築城したのではないかと推測する。
いや、そうだと言い切れる。秀吉が生きてる間は城の規模は広げず関ヶ原の戦いで勝った矢先、家康の天下になったと同時にどんどん規模を広げ、しまいには自分が生きてる間に完成せず、約70年近く3代将軍家光の時代まで工事は長引いた。ちなみに家康は天下統一し、征夷大将軍になった後、即座に息子秀忠に家督を譲り、静岡県の駿府城を築城しご隠居して、70過ぎにもかかわらず腹上死するというなんともニューウェーブ オブ ブリティッシュ ヘビーメタルな羨ましい死に方をしている。
日本中から武将を呼び、農民と大工を総動員して城を造らせた。同時に町づくりも行っている。それが今の東京の街の地盤になっている事は言うまでもない。築城の費用は当時の額にして一体いくらかかっていただろうか。当時でさえ、兆が付く程でも利かなかったはずである。石垣、堀、門、櫓、御殿、天守、すべてにおいてまったく妥協せずに造られたことがわかる。
江戸城の見た目のデザインは実にシンプルである。白壁に紺の瓦である。どの門も櫓も基本はこのデザインで造られており、どの場所の門を見ても同じ造りであり統一性がある。どのアルバムを聴いても一貫してるラモーンズと近い。切っても切っても金太郎飴ともニュアンスは近い。
天下統一した事により確かに防御という意味においては、どこにもボロが出ない造りにはなっているものの、もう戦国の時代の終わりを告げるLAST GIGSな意味もあり複雑な構造はどこにもない。
そこには渡れないでかい堀があり、登れない高い石垣あり、虎口になった門があり、猪木と戦ったモハメッドアリ、ただそれだけなのであるが、威圧感は半端ない。すべての建物がでかいというのもあるだろう(虎口とは一つの門をくぐるとL字に曲がり、もう一つの門をくぐらないと中に入れない仕組みの門の事である)。
天守閣も日本最大で、3回に渡って焼失と再建をくり返している。これはどの時期の天守もデータが完全に残っているので復元可能なはずだ。でも当時は日本最大の高さを誇る天守でも実に約58メートル。今復元しても都内のビルディングに隠れて目立ちはしないのだろう。
木造で復元したとして、6階まで階段で上がったにもかかわらず、
「低っ!!!!」
ってことになるのは仕方ない。まあ歴史ファンとしてはこんな観光名所はないと思ってしまうのだが。
江戸城は実に何度も火事に見舞われている不運なハートに火を付けて、な城でもある。すべてが木造建築なだけあって消防が発達してない時代、何処かで火が付いたら「ハートに火を付けて」なだけに全部燃えてしまうのは仕方がない。でもそれで残っていれば世界遺産になった可能性のある建物がほとんどだ。
大奥でも伝えているように、天守があった本丸御殿は日本最大の御殿であった。すべてが日本最大の城だったのである。江戸城の大きさをDon't think!Feel!するには付近をDrive my carするしかないかもしれない。電車や地下鉄をプラグインベイベーして見学してもそれは十分伝わらないと言いたい。
また、都内の地形に詳しい人、地図が好きな人にしか伝わらないと正直思う。
だからこそ私は言いたい。江戸城が日本最大の城であった事を。
でか過ぎて伝わらないのだ。凄いとかのレベルではないのである。中島卓偉の才能をファンが広げてくれないのと同じくらいのレベルである。
一番わかりやすく江戸城をDon't think!feel!するにはやはり本丸跡を観光し、天守台を見学し、周辺を1周ジョギングかな。私も何年か前に江戸城1周ジョギング、走る~走る~おれ~た~ち~を試みました。と言っても内堀を回るだけなので走るだけじゃ伝わらんかぁ。
観光出来ない場所は皇居であり、ここは西の丸という場所である。ここは天皇家が住んでいるので入る事は出来ないが、実は将軍家が暮らしていた場所ではなかったりする。だがこの西の丸が当時からの江戸城の美しさを唯一残している場所と言っても過言ではない。
個人的には北の丸にある田安門と日本武道館を押したい。九段下の駅を降りて坂道を人の流れ追い越してゆけば、千鳥が淵、月の水面、振り向けば、屋根の上に光るたまねぎ~~~~~~~~~~~~~~~~~!の田安門からの日本武道館である。ライブハウス武道館へようこそ!ここは東京だぜえ?オッケ~イ!からの武道館である。
北の丸のお堀は春の桜の時期は花びらが散り、その花びらが堀に浮かび、桜の絨毯のようになる。
これは誠に美しい。
だがその絨毯を踏もうとすると堀に落ちる。秋は枯れ葉が散って、その枯れ葉が堀に浮かび、日本の黄土色の毛布のようになる。
ますます美しい。
だがその毛布で寝ようとするとおそらく堀に落ちる。北の丸近くのラジオ局で番組を長らく収録していた事もあるので、いつも江戸城に訪れるのが楽しみであった。
ロックの聖地であるブドカ~ン!が江戸城内の北の丸にあることがたまらない。武道館は自分の夢であり憧れである。もちろんロックの聖地だから武道館でライブがしたいわけだが、やはり城マニアとして武道館ライブをやりたいという気持ちもでかい。ファンが一人あたり友達を2人から3人連れて来てくれればすぐ武道館ライブなど出来るのに私のファンは友達がいないようである。
江戸城、この城があっての東京、この城あっての日本なのである。中島卓偉、この人の存在あってのロック、この人の叫びあってのパンクなのである。本人が言うのだからおそらく本当である。
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