【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第7回「米子城(鳥取県) 卓偉が行ったことある回数、2回」

ポスト

鳥取県は米子城である。この城もマニアにはたまらない最高の城である。

この城の城主を一人に絞るのは難しい。短いスパンで入れ替わり立ち替わりをくり返しており、言えるとすれば関ヶ原の戦い以降で判断すると1600年、中村一忠であろうか。この城に入った城主がその都度少しずつ立て替えて行った城なのである。こういう城もなかなかない。

入れ替わり立ち替わりボーカリストが変わるバンドと似ている。曲によってプロデューサーが変わるアルバムと似ている。メンバーそれぞれにマネージャーが付いているバンドと似ている。メンバーそれぞれが事務所が違い、スケジュールがなかなか決められないバンド、ユニットと似ている。

しかし見事にいいバランスで増築されて行ったので、今までの城主達のそれぞれのデザインが知らず知らずナイスコラボな形に仕上がっているのが凄い。今は山の上に石垣が残るだけの城と思われがちだが、米子城の魅力をひとつ上げるとすると、天守閣が二つそびえていた城、と言えるだろう。日本の城で天守と小天守が並んでいる城はたくさんある。名古屋城、熊本城など、これらの作りを連結式という。だが米子城はどちらも天守と言っていいほどのそびえ方であった。とされる。5層の20メートルの天守と、4層で15メートルの小天守である。これも古写真が綺麗に残ってるわけではないので見た目は二つとも4層で、5階建ての天守と4階建ての小天守があったとされる説もある。

何故天守が二つになったか?

それは、先程伝えたようにたくさんの城主が増築をくり返していたので、最初に建っていた天守が言わば小天守であり、その後にその天守よりも大きい天守を建てて二つになったということである。

バンドに上手いボーカリストがいたが、もっと上手いボーカリストが入って来た。東京タワーの後にスカイツリーが出来た。キューピーと味の素のマヨネーズを同時に使ってみた。好きな彼氏がいたが、もっと好きな彼氏が出来た。でもどっちも好きだから浮気じゃない、そんな感じである。

ネットサーフィンすれば米子城の復元CG映像なども見れたりするが、確かに二つの天守のそびえ方は存在感が半端ない。サッカーで言えばツートップ。

バンドで言えば、

ロバートプラントとジミーペイジ。
スティーブンタイラーとジョーペリー。
ミックジャギュアーとキースリチャーズ。
氷室京介と布袋寅泰。
チャゲ&飛鳥。
志村けんと加藤茶。

と言ったところか。
二つの才能がツートップでぶつかり合うバンド、チーム、会社、ユニット、チャゲ&飛鳥、米子城は最高である。

▲米子城の航空写真(1976年撮影・国土航空写真 国土交通省)
もともと天守&小天守でデザインし造られた城ならわかるのだが、城主それぞれが増築をくり返した中で生まれた産物であるということ、天守に対して付け足ししていく増築ではなく、(松本城などはそれである)天守と小天守が繋がっていなく、単独でそびえているってのが素晴らしい。

これらも城の平面図や、当時からの言い伝えであり、古写真は残念ながら一枚しか残っていない。復元は正直難しいと思う。でもいいのだ。この姿こそが米子城の魅力なのだ。

城の縄張りもかなりシャレオツ。米子駅から15分も歩けば城の麓に到着するが、山の山頂に石垣が積まれているのが見えて来る。

ここで城マニアは、

「おおおお~~~~~!!!!!イケてんな~~~~~~~!!!!あそこに天守と小天守が建ってたなんてえええ!!!!」

絶叫しながら想像する。

城の正面の大手口に対してまず背中と右側は中海に面していて、海水を引いた堀(今は堀は埋め立てられて存在しないが中島卓偉の「存在」という曲は名曲であり、今も存在する。)平山城であるが広く面積を誇る三の丸と二の丸。今はテニスコートや球場になっているが、ここに御殿があり、この街の政治が行われていた場所である。その平地に造った二の丸、三の丸に対して山にそびえる本丸、そして右の丘は武器庫として使われていた内膳丸、(ここからの眺めも格別)今は城の真ん中を国道9号線が走っているが、(卓偉がリリースしている名曲は「3号線」であるが)大手から見て、左側にそびえる出城として機能していた飯山も含め、3つの丘からなる城なのである。

どうしても当時の大きさが伝わらないのは街自体が発展し、城の敷地が狭まれてしまったことにある。大抵二の丸や三の丸は平地なので学校になったり、市役所になったり、球場が出来たりするケースが多い。だが登山口付近には今でも立派な門の跡や櫓の跡、米子城の防御の強さ、頑丈さがビシビシ伝わってくる。

本丸跡から見渡す米子の街の景色、これも最高の眺めである。

夕暮れには中海の水面が真っ赤に染まる。その先は日本海だ。もっと先は北朝鮮だ。冬に登れば後ろは雪を身に纏った大山がそびえ立っている。

ここに天守が二つあったことを想像してほしい。決して広い本丸ではないが、礎石の数を見てもセンス溢れる建物がここに建っていたことが想像出来る。山の高さが丁度いいのだ。高過ぎたらどんな景色も綺麗だが、登るのが面倒くさい。低くてはやはり景色が良くない。いい高さの山に、最高な場所に築城した最高な城、米子城である。

初めて訪れたのは小学2年生の時、夕暮れの中海と米子の街が真っ赤に染まった景色を今でも憶えている。いつか米子でライブが出来たら最高だ。いつの日か広沢タダシくんに電話したら、「今な、ライブでな、鳥取のな、米子にな、おんねん。そやねん、アコギでな、歌うねん、ほなな」

その時の俺の気持ちは、「米子でライブしてえええええ!!!」

ではなく、

「米子城に登りてええええええええ!!!!!」

言うまでもない。(もちろんライブしたいです。)

「い~まから~よ~なごじょ~~う!これから~よ~なごじょ~~う!登りに~行こ~うか~~~!」

という感じである。(もちろん両手の拳を空高く突き上げてYAH YAH YAH言いながら登るというスタイルである。)

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
この記事をポスト

この記事の関連情報