【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第5回「高松城(四国香川県) 卓偉が行ったことある回数、2回」
四国は香川県、高松城である。別名を玉藻城と言い、現在は玉藻公園として整備されている高松城だ。まず高く評価したいのは海城だということである。陸と海を上手く利用し、そこに輪郭式平城でもって縄張りを造り、堀の水は海水を使うなど、ここに城を築こうとしたそのセンスがたまらない。とにかくセンスを感じる、そう!センスが最高だ!センスが暴れそうだ!センスが暴れだしそうだ!
日本に海城と呼ばれる城もいくつかあるが高松城が最初である。海に面した城もたくさんあるが完全な海城はやっぱり高松城なのではないかと私は思う。と言いつつも幕末、大政奉還が行われ大半の城は壊され、堀なども埋め立てられ街の発展の為、道路になって当時の城の大きさや面影は薄れてしまっている。
この高松城も城は海に面していたと言っても今は城から海までも埋め立てられちょっと想像しづらいかもしれない。城内にある香川県歴史博物館で当時の平面図や、屏風に描かれた高松城絵図など一度見ていただければその凄さに、そしてなによりこの城のセンスの良さに感銘してくれること間違い無しである。
築城は1590年、生駒親正だが現在の高松城に整備したのは1600年代に入ってから松平家によるものである。初めて高松城に来たのは確か瀬戸大橋が開通した年だったと記憶している10歳の頃。こんなデザインの城があるのかとただただ興奮した。
まず素敵だと思ったのは二の丸と三の丸の間に水門の跡があるのだが、この門を開け閉めして堀の水位を調整していたことだ。海のシケ具合に合わせて憎い事をしてくれるではないか。もともとそこまで荒れない瀬戸内海、そこを踏まえた上での築城だったはずだが、一定の堀の量をある程度決めて調節していたというのは石垣と堀の見た目の美学だ。確かに石垣に対して堀の水位が少ないと安っぽく見え、水位が増しているとなんだか滑稽だ。水門係がいたのだろうがとても日本人的な対処、そして美学だと言える。そういうの好き~~~~~!!!!
聞いた話によると松平の殿様は夏は家来を率いて堀から飛び込み水門を開け、海まで泳いだそうな。帰りも塩の流れと波を利用して城内まで泳いで帰ったというエピソードが残っている。四国の暑い夏、そうしたくなる城だったことは平面図を見ていても伺える。
そもそも海城は攻められにくい城でもある。陸から攻められたら海に逃げれるし、海から攻められれば陸に逃げれるわけだ。要するに城全体を囲むことが意外にも困難なわけである。ど~んな~に困難で~、なわけである。仮に城を包囲されたとしても心配ないからね~。最後に勝つのは高松城なのである。
当時は約20の櫓が建っており、海に面した方の門は基本、水門である。今となっては埋め立てられて北の丸水手御門も水門には見えないが門の外が堀、もしくは海だったと想像して見学してもらえると有り難き幸せ。そうなの、城は想像力が大事なの。歴史あるものを見学する時は想像力がものを言います。イマジンゼ~ノーへブ~ンなわけである。現在は北の丸着見櫓(月見櫓とも呼ばれているが着見が本来の呼び方である)、北の丸水手御門、北の丸渡櫓、旧東の丸艮櫓、などが現存しており国の重要文化財に指定されている。
二の丸から鞘橋という木造の橋が架けられているのだが私はこの鞘橋がなんとも好きである。初めて来たときからなんだかグッと来てしまった。いや、むしろハッとしてグッと来てしまった。この橋を渡れば本丸だが、高松城の本丸には御殿はない。とても小さくコケティッシュな本丸だ。ここにそんな小さな本丸と打って変わって、当時3層4階地下1階の高さ25メートルの天守が建っていた。四国は現存天守が数多く残っているが、もし今でも現存していたならば高松城天守が四国一である。
天守台の石垣もかなり高さがあるので圧倒されたことだろう。陸から見ると天守閣が海に浮いているように見えたという。素敵じゃないか。そんな天守も残念なことに明治時代に取り壊しになっている。
ここで気になるのが復元案である。高松城は1枚だけ古写真が残っており復元は可能っちゃあ可能だが、なかなか進まないのは枚で復元ってのもやっぱ無理なんじゃねえの?という意見である。これは私も三世、いや賛成である。だが2005年(だったかな?)イギリスのケンブリッジ大学で2枚目の古写真が発見されたのである!江戸時代にもイギリスの学者が高松城の絵を書き、帰国してから新聞に記事として紹介しておりそのデータも残っている。
私が初めて高松城に訪れた時、はっきり憶えているのがいたるところに「昭和70年に天守復元!」という文字をたくさん見掛けた。バブル寸前の当時の勢いだったのか、でもちゃんとしたデータが揃うまで復元を決行しなかったことは間違いではなく、的確な判断だったと復元実行委員会の方々をアイウォンチュユアホールドハンドしたい(抱きしめたい)。香川でライブが決まった矢先にはその長い道程を「明日への階段」という不朽の名作で歌って伝えたい。CD屋に行けばカップリングが3曲も入り1500円で売ってます。高松城と同じくらいすべてのセンスが最高なシングルっす。
何年か前、2度目に訪れた時は石垣の修理で天守台まで見学出来なかったのだが完成は2013年と書いてあったのでそろそろ高松城改めて見頃である。
第5回というタイミングで次は高松城だなと思い、このコラムも暇を見つけてすこしずつ書いていたのだが、なんと来年2月3日の日曜日、アコギタクイのツアーで高松SUMUS Cafeでライブが決定したのだ!!!!!しかも前日の土曜日は愛媛松山Monkでもライブが決まったのである。(これは次回は松山城しかないな)
高松も松山も1日2公演である。やる曲は全曲変えるのである。是非会いに来てほしいのである。そして城マニアとしていつか城内にある香川県民ホールでライブが出来れば本望である。もちろん誰もが納得し木造復元の天守閣が完成することが一番の望みである。天守が復元され、香川県民ホールでライブが出来たその日の夜中、堀に飛び込んで泳ぎ、「水門を開け~い!!」とシャウトしていたとこを捕まった奴がいたら、それはきっと、中島卓偉である。
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