ジャンク フジヤマ【インタビュー】「パッションあるポップスを作ると良い意味でも悪い意味でもアクの強いものになる」

ポスト
I can fly,You can fly──! イントロのこのメロディひとつで、何て清々しい気持ちにさせてくれるんだろう。ジャンク フジヤマが奏でる新時代のシティ・ポップスは、多忙な日々の中でちょっとふさいでしまっている心を晴れ渡る青空まで舞い上がらせてくれる。そして、その爽やかな音色とともに響く歌声には、彼が愛する全てのルーツ・ミュージックからこれまでに受けた影響が、熱いソウルとなって宿っている。ミュージシャンから落語家まで(笑)、シングル「あの空の向こうがわへ」でデビューを果たす注目のシンガーを育んだバックグラウンドを探るインタビューをどうぞ。往年のアーティストが頻出するこのインタビュー。多すぎる注釈とともにお送りしましょう。

■ファンクとの出会いから始まった自分の音楽
■プレイヤーの“魂”が伝わってくるような感覚

──“ジャンク フジヤマ”として活動を始める前はバンドで活動をされていたそうですが、それはどんなバンドだったんですか?

ジャンク フジヤマ(以下、ジャンク):そのバンドは、ベースとドラムと僕っていう3人が核にいて2年半ぐらい活動をしていました。で、メンバーはコロコロ変わったり色々あったんですけど、当時から“歌”を軸に据えた音楽をやっていたっていうのは今と通じる部分かもしれないですね。僕の1stミニアルバム『A color』に入っている「モノクロ」は、そのバンドでやっていた曲ですし。そのバンドも面白いバンドで、羊毛とおはなの羊毛君(市川和則/G) がギターで、いま大橋トリオとかをやっている神谷洵平がドラムだったっていう、ジャンル的にはグシャグシャなバンドだったんですけどね(笑)。

──個性派、そして実力派のメンバーがいたすごいバンドだったんですね。そのメンバーでもあったジャンク フジヤマさんは、現在の音楽観やスタイルが開化したのはどんなきっかけからだったんでしょう?

ジャンク:それは、ファンクっていうジャンルの音楽を実際にライヴで観て、そこから自分でやってみようっていう気が起こってからですね。本気で自分で音楽をやろうと思ったきっかけは、“Nothing but the funk”っていう、沼澤尚さん(註:1)や森俊之さん(註:2)達がブルーノートで定期的にやっていたイベントでした。僕の場合は、いわゆる当時流行っていたJ-POPと言われるような音楽は全然聴かずにいて、ファンクという音楽の出会いから始まった自分の音楽を今も一貫して続けている感じなんですよね。“Nothing but the funk”で観たときの、一人ひとりのプレイヤーの“魂”みたいなものが伝わってくるような感覚というか……。ブラックミュージックなんかを聴いても、その感覚が濃く伝わって来たんですよ。で、この曲良いなって感じた曲を色々追ってみると、同じベーシストが弾いていたり同じドラマーが叩いていたり同じエンジニアだったりっていうのがどんどん出てくるっていう、そういう聴き方をするのが楽しかったんです。

──ジャンク フジヤマさんが惹かれるのは、プレイヤーの“魂”が感じられる音楽。

ジャンク:そう。それが感じられないと、どんな音楽を聴いても自分の中には入ってこなくて。「これ良いんじゃない?」って誰かに勧められたものでも。

──その“魂”が伝わってくるミュージシャンということで、この人との出会いは特に思い出深いというものは他にもありますか?

ジャンク:それが、面白いもんで……。僕は歌を歌う人間なのに、一番影響を受けたっていうか、この人はすごいなって感じたのはメイシオ・パーカー(註:3)なんですよね。あの人、“歌ごころ”があるんですよ。サックス・プレイヤーなんですけど、途中途中に自分の歌をチョロチョロっと挟んだりするのも良いんです(笑)。上手い下手じゃなくて、ね。メイシオ・パーカーはグルーヴがすごくて、要するに、彼がメトロノームになってるんですよ。歌ってるときも、喋っているときも、バンドの中で彼が常にグルーヴの中心になっていて、それを観ている僕は踊り狂うわけです(笑)。そりゃあ昔に比べたらステージングに派手さはないけれども、60歳を超えようが何だろうがパッションは全然衰えない、「自分の音楽の2%はジャズで、あとの98%はファンクなんだ」って公言している彼の姿を観て。

■歌ごころと聴かせどころがあるポップス
■美しい中にも力がある音楽を作らなくちゃいけない

──「あの空の向こうがわへ」は爽やかさが十二分すぎるくらい伝わってくる楽曲ですが、それと同時に、ジャンク フジヤマさんの音楽の源には“熱さ”があるようですね。

ジャンク:そうですね。それは、例えば音量的に厚いとかそういうことではなくて、秘めてるものですよね。他にも、僕の大好きなジェイムス・テイラー(註:4)だって全然熱い音楽だと思うんです。メイシオ・パーカーを聴くみたいに身体全体でリズムを取って聴く感じではないけれども、ジェイムス・テイラーの音楽もむしろ“熱さ”を感じて、泣けてくるというか。キャロル・キングと一緒に来たときも観に行ったんですけど、まわりは年上の方ばっかりで……。しかも、ラス・カンケル(註:5)がいるわ、リー・スカラー(註:6)がいるわっていうこのステージを、なぜ日本の20代の若者はこれを観に来ないんだと(笑)。例えば、ロックは一聴でインパクトがガーンと来るから勢いはすごくあるんですけど、普遍的に聴いていけるかっていうとなかなか難しいところもあるというか。ていうところで、ポップスっていう、“歌ごころ”があって、聴かせどころがあって、美しい中にも力がある音楽を僕も作らなくちゃいけないとは思ってます。

──「美しいの中にも“力”がある」という表現は「あの空の向こうがわへ」の世界観をまさに物語っていると思いますが、今作はどんな思いを込めた作品なんでしょう?

ジャンク:人間、誰だって、好きにやってるったってどうしたって何かしらのしがらみはあるわけですよね。それを、せめて音楽の世界の中では振り払って自由にやりたいっていう内容の歌詞には、今言った“強さ”が表れているんじゃないかとは思うんですけどね。音楽を聴いて、これからも、明日もずっと生き続けようって感じてもらわないと意味がないというのが僕の中ではあるので、たとえ悲しい内容の曲でも、一筋の光を残して終わりたい。これだけ娯楽がたくさんある今の世の中で、せっかく音楽を選んでくれるんだから、そりゃあ楽しい気分になってもらわないといけないですよね。

──なるほど。悲しい内容の中にも光を残す、希望を感じさせるような音楽というか。

ジャンク:そうですね。2曲目の「未来図」にしても、大きく言うと、昔付き合ってた人と今は離れ離れになって全然違う時間を過ごしているけれども、明るく生きてるはずだよねっていうような内容なんです。人生には紆余曲折がみんなあるわけで、でも、その紆余曲折の重苦しいところだけを切り取って曲にすると、聴いてる人がきっと嫌な気分になりますから、そうはならないように(笑)。だって、音楽って、最終的に楽しまなきゃ意味ないですもんね。だからこそ僕は“陰”に入るように曲を作ってないから、聴いて“陽”になって欲しいわけですよ。「頑張りたいね!」っていう思いが導き出されるような音楽で。まぁ、多少の綺麗すぎる部分もあってしまうんだけれども、逆に大げさなぐらい美しくないとダメなんです、僕が思う“ポップス”っていうのは。60年代、70年代の音楽を現代的に、より素直に、より綺麗に伝わるもの。泥臭さだけじゃなくてパッションを伝える“ポップス”を作ろうとすると、こういう、良い意味でも悪い意味でもアクの強いものになるんでしょうね。

■僕の音楽でルーツ・ミュージックをさかのぼってほしい
■何か新しいスイッチが入るきっかけを作ることができたら

──たくさんのルーツ・ミュージックを吸収して、それを良い意味での“アク”として、いかにポップスとして成り立たせるかっていうことかもしれないですね。

ジャンク:うん、そうなんですよね。だから、聴いてる人達も色んな味を吸収して欲しいな。新しい時代の音楽だけで止まらずに。今の時代の流行ってる歌を聴いてる人にいきなりサム・クック(註:7)、スモーキー・ロビンソン(註:8)を聴かせても最初はとっつきにくいだろうけど……。そういう世代の方々で今も現役でやられているミュージシャンはたくさんいるし、そういう音楽に触れたら、さっき僕が話したような“魂”を感じて何かが芽生えると思うんです。で、僕の音楽を聴いてそういうルーツ・ミュージックをさかのぼってみようっていうふうに広がってくれても嬉しいですし、聴いてる人の中で何か新しいスイッチが入るようなきっかけを作ることができたら本望ですね。

──3曲目の「曖昧な二人」は、村上“ポンタ”秀一さん(註:9)を始めとするそうそうたる面々とのライブ音源で、その“ポンタ”さんはもちろん様々なミュージシャンの“魂”が今回の作品には詰まっていて。音楽面での“熱さ”は今までの話からも十二分に伝わると思いますので、最後にパーソナルな質問も少しだけさせてください。音楽に出会う前、若かりしころのジャンク フジヤマさんはどんな人だったんですか?

ジャンク:音楽に出会う前は、例えば……。野球が好きだったとかっていう、ただの少年ですよね(笑)。単なる野球好きの、落語好きの少年。

──(笑)野球はともかく、落語好きっていうのはなかなかシブい趣味の少年ですね。ちなみに、どなたがお好きだったんですか?

ジャンク:僕が好きだったのは、先代の柳家小さん師匠(註:10)ですね。人間国宝の。音楽を始めてからも落語はずっと好きで、今のバンドメンバーのキーボードの宮崎裕介さんには、「俺、今年の目標は歌舞伎と寄席に行くことだから、寄席はジャンクに連れてってもらう」って言われました(笑)。まぁ、アレですよ。落語なんかは、話し方の勉強にもなりますから。カタい話ばかりじゃなくちょっと笑いもまぶしてみたりっていう、どれだけ分かりやすく人に伝えるための勉強に。

──今後は、さらに磨いた話術も色々なところで披露することにきっとなりますよ(笑)。ご活躍、楽しみにしてます。

ジャンク:(笑)頑張ります!

取材・文●道明利友

(註:1)沼澤尚
大学卒業と同時にL.A.の音楽学校PIT(Percussion Institute of Technology)に留学し、JOE PORCARO、RALPH HUMPHREY等に師事、卒業時にはHuman Relation of The Yearに選ばれ同校講師に迎えられた。CHAKA KHANやBOBBY WOMACKなどの世界的アーティストや、高中正義、井上陽水、奥田民生、元スーパーカーのナカコーのソロ・プロジェクト“iLL”など多彩なアーティストと共演を果たす日本屈指のドラマー。

(註:2)森俊之
ロック、ジャズ、ファンク、R&B、ソウル、レゲエ、テクノ、ブラジル、フルオーケストラ・スコアライティング……ジャンルを超えて、個性豊かな才能を発揮するキーボーディスト。現在は、THE SUN PAULOのキーボーディスト&トラックメイカーとして活躍、そして沼澤尚、勝井祐二(Vln/ROVO)らとのジャム・セッションを積極的に行うかたわら、数多くのアーティストのサウンドに色づけする貴重な存在として活躍中。

(註:3)メイシオ・パーカー
あのジェイムス・ブラウンのバンドに1964年に加入、花形ソロイストとして大活躍したサックス・プレイヤー。その後、“メイシオ&オール・ザ・キングズメン”を結成してバンド・リーダーを務め、1970年代中盤にはジョージ・クリントンを総帥とするファンク集団“Pファンク”に加入、1990年年代にもプリンスのアルバム『レイブ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』に参加するなど、現在も精力的に活動中。

(註:4)ジェイムス・テイラー
アメリカを代表するシンガー・ソングライター。1968年にデビューし、同じく70年代にシンガー・ソングライターのブームを巻き起こしたキャロル・キングの「君は友達」を1971年にカバーし大ヒットを記録、グラミー賞の最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞するなど輝かしいキャリアを積む。影響を公言している細野晴臣など、日本のミュージシャンからも多大なリスペクトを集めている。

(註:5)ラス・カンケル
ボブ・ディラン、カーリー・サイモン、リンダ・ロンシュタット、ジョニ・ミッチェルなど名アーティストとの共演は数知れない、1970年代のアメリカを代表するセッション・ドラマー。近年も、ジェイムス・テイラーとキャロル・キングが、2007年にLAのライブハウス“Troubadour”で行なった伝説的ライブに参加したことなどが記憶に新しい(『Live at the Troubadour』として音源化&映像化もされている)。

(註:6)リー・スカラー
本名はリーランド・ブルース・スカラー、CDジャケットなどではリー・スカラーと表記されることも多いアメリカ人ベーシスト。前述のラス・カンケルらとともにジェイムス・テイラーの活動をサポートし、その後カンケルとはバンド“THE SECTION”を結成。デヴィッド・フォスターやホール&オーツなど海外勢はもちろん、日本でも中島みゆきや松任谷由実などと共演、近年はTOTOのツアーメンバーとしても活躍中。

(註:7)サム・クック
ブラック・ミュージック界にとどまらず、ポピュラー音楽の世界にまで広く影響を与えた不世出のシンガー。高校在学中に名門ゴスペル・グループ“ソウル・スターラーズ”のR.B.ロビンスに認められ、1950年に同グループに参加。1957年からソロ活動を始め、「ユー・センド・ミー」「彼女はやっと16才」「ワンダフル・ワールド」などが立て続けにヒット、その後も多くの名演・名唱を残し1964年に逝去。

(註:8)スモーキー・ロビンソン
伝説の“モータウン・レコード”の契約第一号アーティストであり、モータウン初期の“ヒット工場を支えた最功労者。スモーキー・ロビンソン&ミラクルズとして「Shop Around」「The Tracks Of My Tears」などのヒット曲を連発、テンプテーションズやマーヴィン・ゲイなど他アーティストの楽曲制作&プロデュースなども数多く手がけるとともに、その独特の甘いヴォーカルには全盛期の艶が現在も失われていない。

(註:9)村上“ポンタ”秀一
1972年にフォーク・グループ“赤い鳥に参加し、以降、渡辺貞夫、山下洋輔、坂本龍一、後藤次利らの超一流ミュージシャンとセッションを数多く果たしてきた、いちドラマーの枠を超えて高い音楽性と幅広い活動を繰り広げる日本を代表するトップ・アーティスト。吉田拓郎、山下達郎、矢沢永吉、桑田佳祐、長渕剛、尾崎豊など、これまでに参加したレコーディング数はゆうに14,000曲を越える。

(註:10)柳家小さん(五代目)
落語界の名跡・柳家小さんの五代目を昭和25年に襲名した、滑稽噺(ばなし)などを得意とし顔の表情の変化を見せる「百面相」でも名人芸を見せた名落語家。昭和47年から平成8年まで落語協会の会長を務めるとともに、紫綬褒章叙勲をはじめとする多くの賞賛を受け、平成7年には落語家初の人間国宝に認定された。息子は六代目柳家小さんを襲名、孫は人気落語家の柳家花緑であることも有名。平成14年に逝去。


1stシングル「あの空の向こうがわへ」
VICL-36706 \1,200(tax in)
1.あの空の向こうがわへ
2.未来図
3.曖昧な二人 (Live)
4.あの空の向こうがわへ(Back Track)

●ライヴ・インフォメーション

<ジャンク フジヤマ マンスリーライヴ Phase6 総集編>
6月29日(金) :目黒Blues Alley Japan
[問]Tel:03-5496-4381
http://www.bluesalley.co.jp

<ジャンク フジヤマfeat. 天野清継 スペシャル・アコースティック・ライヴ2012 SUMMER>
7月21日(土) 南青山MANDALA
[問]TEL:03-5474-0411
http://www.mandala.gr.jp/aoyama.html

<ジャンク フジヤマ アコースティック・ソロ・ライヴ>
9月23日(日) LIVING ROOM (静岡)
[予約]LIVING ROOM  TEL:054-260-7605
rock47@vc.tnc.ne.jp
http://livingroom.ldblog.jp/

<ジャンク フジヤマ with SPICY KICKIN' TOUR 2012>
9月24日(月) 名古屋 名古屋TOKUZO
[問]TEL:052-733-3709
http://www.tokuzo.com/

9月25日(火)神戸 神戸チキンジョージ
[問]TEL:078-332-0146
http://www.chicken-george.co.jp/

9月29日(土)横浜 Motion Blue yokohama
[問]TEL:045-226-1919(11:00am-10:00pm)
http://www.motionblue.co.jp/

◆ジャンク フジヤマ オフィシャルサイト
◆レーベルサイト
この記事をポスト

この記事の関連情報