ダグ・ディラード、偉大なバンジョー・プレイヤーが75歳で死去

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ブルーグラス、フォーク・カントリー・ロックの世界は、バンジョー・プレイヤーのダグ・ディラードが75歳で亡くなったことを悼んでいる。ディラードは長らくの闘病の末5/16にナッシュビルで亡くなった。

兄弟のロドニーと共に、ディラード家は1960年代のアコースティック・ミュージック・ブームの間に有力グループのひとつとなり、『アンディ・グリフィン・ショー』などにゲスト出演して広く名を知られた。また、彼はディラード&クラーク(元バーズのジーン・クラークと1968年に結成したデュオ)の片割れとしてカントリー・ロックの世界に足跡を残した。

1937年3/6にミズーリ州セイラムで生まれた彼は5歳でギターを始め、15歳のとき両親からプレゼントされたバンジョーを弾き始めた。その2~3年後、彼は兄弟らとオザーク・マウンテン・ボーイズを結成して地元で人気になる。

ディラードはアール・スクラッグスのファンで、大きな影響を受けていた。

1958年にディラード兄弟は初のレコード「バンジョー・イン・ザ・ホロウ」をレコーディングした。3枚のシングルを出したあと成功を求めてカリフォルニアへ移る。

1960年代初頭、『アンディ・グリフィス・ショー』のプロデューサーに見いだされ、人気番組に登場してオリジナルの歌を披露するように。

これをきっかけにテレビへのゲスト出演が増え、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、カール・パーキンスのようなアーティストと共にツアーをし、1972年のエルトン・ジョンの初の全米ツアーで前座を務めるまでになる。

他にもダグは1969年の『ザ・バンジョー・アルバム』を始め多くのソロ・アルバムをレコーディングしたり、7アップやケンタッキー・フライド・チキンのコマーシャルを作曲したりしている。

1980年代にはザ・ダグ・ディラード・バンドを結成し、「ハートブレイク・ホテル」をリリースした。兄弟はベット・ミドラーの映画『ザ・ローズ』にハリー・ディーン・スタントンのバンドのメンバーとして出演している。

彼はSPBGMAプレサヴェイション・ホール・オブ・フレイムに殿堂入り、2009年にはIBMAホール・オブ・フェイムにも殿堂入りしている。この2~3ヶ月具合が悪く、5月15日夜ナッシュビルの病院に担ぎ込まれ、そこで亡くなった。

葬儀の詳細について現時点では不明。

◆ニュース提供:ビルボード
◆BARKSビルボード・デイリーニュース・チャンネル
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