西山瞳が紡ぎだす、3年ぶりの音楽の奇跡

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西山瞳が帰ってきた!「帰ってきた」という表現は、不適切かもしれない。それは表層的な音楽ビジネス上のことで、彼女自身は外野の思惑とは無縁のところで、地道にライブ活動を続けながら真摯に自分と向き合い、静かに、そして淡々と着実に、自分の世界を深め、進化させ続けていたのだから。

◆西山瞳画像

西山瞳という若い女性ピアニストを知ったのは、2006年の『キュービウム』がリリースされた時だ。メジャー・デビュー作にして、いきなりのスウェーデン録音。透徹な美意識に裏打ちされた、純度の高いピアニズムに驚嘆した。さらさらと流れるピアノの調べは清流のきらめきを湛え、同時に綿帽子のような軽やかさと柔らかさで、聞き手を優しく包み込む。いわゆる超絶技巧を強調した雄弁・多弁なタイプでもなければ、スウィングで押しまくりもしない。しかしそこには、精神を高揚させる、高潔な美しさがあった。静謐な佇まいと凛とした気品、そして折れることのない柳のようなしなやかさと芯の強さ。さらに複雑に入り組んだ曲想には謎解きのようなスリルと面白さが息づいていて、一度で魅了された。

西山瞳。1979年11月17日生まれ。2004年の自主制作アルバム『I'm Missing You』(2011年8月にリイシュー)がヨーロッパ・ジャズ愛好者を中心に話題となり5カ月後に全国リリース。翌年には横濱ジャズプロムナード・ジャズコンペティションで、自己のトリオを率いてグランプリを受賞。2006年にはスウェーデン録音の『キュービウム』をスパイス・オブ・ライフ(アミューズ)よりリリース。翌年にはストックホルム・ジャズフェスティヴァルに日本人として初出演。『メニ・シーズンズ』『イン・ストックホルム』とさらにスウェーデン録音を2作続け、2008年には自身のバンドで『パララックス』を発表、HMVジャパニーズジャズチャート1位を獲得する。順風満帆に思えた音楽キャリアだが、そこでアルバムのリリースが途絶えてしまう。

その後の3年間の沈黙は、彼女自身の事情というより、音楽産業全般を取り巻くきびしい環境の変化に起因していた。諸般の事情から所属レーベルでの音楽制作ができなくなったため、新作リリースが可能になる契約満了を指折り数えていたのは、何よりも彼女自身であった。

『Music in You』は、そんなビジネス上の事情もあって、彼女が震災の直前の3月上旬、セルフプロデュースという形でレコーディングした、純度100%の西山瞳の今を、切り取った作品である。

西山瞳のキャリアを振り返ると、エンリコ・ピエラヌンツィや北欧レコーディングにまつわるヨーロッパ的なイメージが先行しがちであったが、こうして新作を手にしてみると、ヨーロッパ的なものと、ましてや米国発のジャズと一線を画す、アーティストとしての独自性が確立されていることに新鮮な驚きを覚える。関西出身の彼女の言葉を引用するなら誰とも「芸風がかぶらない」ということになるのだが、「屹立した個」とでもいうべき、誰にも真似ることのできない唯一無二のオリジナルな世界が、物語性を伴って、生き生きと展開されているではないか。

2010年、それを実証する出来事があった。アメリカで最大規模の作曲コンペティション、インターナショナル・ソングライティング・コンペティションで、全世界約15,000のエントリーの中から、アルバム収録曲「アンフォールディング・ユニバース」がジャズ部門で3位入賞という快挙となったのだ。これは、新しいものを生む彼女の真のクリエイティヴィティを世界が認めたことに他ならない。

『ミュージック・イン・ユー』というタイトルは、その意味でも象徴的である。音楽は自ら作りだすものではなく、音楽の女神が支配する、自分の内なる宇宙に鳴り響く音楽に耳を傾け、それを掬い取る作業なのだというメッセージが込められているのだろうと筆者は想像する。そこには、エゴイズムを超越した、音楽に対する畏怖の境地がある。全身全霊を捧げ、音楽神への帰依を誓い、全身全霊を捧げた者の耳元だけに囁かれる、神秘の旋律。そしてその「神託」を受け取った彼女は、丁寧に曲想を膨らませ、一枚、一枚、絵を描くように作品を完成させていく…。

その一つひとつに命を吹き込むために、西山瞳は今回、自分がもっとも信頼しリスペクトするベースの佐藤“ハチ”恭彦とドラムスの池長一美という、二人のミュージシャンの力を借りた。4年前に大阪から東京に拠点を移した直後、横浜のライブハウスでブッキングしてもらったことがきっかけで意気投合、以来、一緒に音楽を作りながら、唯一無二の絆を育んできた。

リリカルで、ロマンチックで、メランコリック。西山瞳が丹精込めて作り上げたオリジナルの数々は、この世界基準の実力を備えたトリオに委ねることで新たな命が吹き込まれる。緻密に構築され、隅々まで熟慮がなされた楽曲は、トリオによって自由に解き放たれ、そのトリオの集中力と瞬発力によって生み出された「揺らぎ」が、さらに音楽の密度を上げていく。

多少の解説をここで加えておく。

オープニングの「スタンディング・ゼア」は、今という時代に生まれ育った日本人女性としての彼女のアイデンティティがナチュラルに投影された作品。洗練された現代女性の部分と古風な日本人女性が共存する西山瞳という人間が、目の前に立ちあがってくるような美しい曲だ。ベースとピアノの印象的なユニゾンで始まる「キノーラ」は、このトリオのために書き下ろした作品。ちなみにキノーラとは古い動画機器のことだそうで、確かにモチーフはそれを連想させる。「ピクチャーズ」はコンポーザーとしての彼女の才能が際立つ作品。最後にテナー・サックスの橋詰亮督を迎えて録音した同曲と聞き比べてみると、作者の意図がよく理解できる。

「アンフォールディング・ユニバース」は前述の作曲コンペで世界3位になった曲。

視界がどんどんと広がっていくような、アクロバティックでスリリングな作品。「ジャスト・バイ・シンキング・オブ・ユー」は、切なくも美しいバラード。しっとりと歌うピアノに思わず聞きいってしまう。「スロヴァキアの若者の踊り」はバルトークの初期の、エスニック色の強い作品。大作曲家の作品を、大胆にもすっかり自分色に染めているところが面白い。

「TTC」はビル・エヴァンスにインスパイアされた作品で、12個の和音を一つの重なりもないようにして作った実験的な試み。結果、意外にもかなり音楽的なものになり、幻想的な世界が立ちあがってきた。「ペーソス」もトリオ用に書き下ろされた作品。ぐっと胸に迫るメロディラインは彼女が得意とするところだ。

「シーニャ」はベースが弓弾きで鳴らし続ける一音を一本の糸として、そこにピアノとドラムスをからませて物語を紡いでいくという、これまたユニークな試みで、オーロラのような不思議な美しさを湛えた作品に仕上がった。「イグジビティング・ザ・ナウ」は、複雑なコード展開が胸のすくような高揚感を誘う。

そしてタイトルトラックは、「アーティストが作りだすものではなく、作品を見た人の心にアートが発生する、アートはみなの心の中にある」という現代美術家の宮島達男氏の言葉に共感、アートを音楽に置き換えたタイトルを思いついたところから曲作りを始めたという。

西山瞳という稀有なアーティストの心の中に鳴り響く音楽は、聞き手の心に共振し、自己も他者も存在しない、魂の故郷とも言うべき、幽玄の世界に誘ってくれる。それこそが音楽の奇跡であり、それがあるからこそ、私たちリスナーは、旅人がオアシスでのどを潤すように、彼女の音楽を求め続けるのだ。そう、西山瞳を知った人は、幸いである。私はそう思う。

2011年9月
工藤 由美(Yumi Kudo)
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