ザ・ウォーカー・ブラザーズのジョン・ウォーカー死去
ザ・ウォーカー・ブラザーズのジョン・ウォーカーが死去した。シンガー、ギタリスト、そしてソングライターとして活躍したジョンは5月7日(土)、ロサンゼルスの自宅にて肝臓癌で亡くなった。
◆ジョン・ウォーカー画像
ジョンの公式サイトには「お伝えするのも非常に悲しいことですが、ジョン・ウォーカーさんがロサンゼルスの自宅にて5月7日亡くなられました。彼は愛される夫であり、兄弟であり、父であり、祖父であり、友人であり、そしてアーティストでした」と彼の死を惜しむコメントが掲載された。
ジョン・マウスとして生まれ、10代の頃からウォーカーを名乗り始めたジョンは、1964年にザ・ウォーカー・ブラザーズを開始し、ウォーカーの苗字を共にバンドのために名乗ったスコット・エンゲルとゲイリー・リーズの3人という顔ぶれで落ち着いた。
ゲイリーは友人でありバンド仲間のジョンを追悼している。「ジョンの家族、僕、そして全てのファンにとって、今日はとても悲しい日です。ジョンはグループの創設者で、初期のリードシンガーでした。そして、多くの人は気づいてはいませんでしたが、彼は素晴らしいギタリストでもあったんです。思いやりのあるソングライターで、色んなスタイルを持つ紳士でした。僕ら3人は素晴らしい冒険を一緒にして来て、当時、自分達がポップの歴史の一部を作っているなんて全く気付いていなかったものです。彼の音楽は永遠に生き続け、そしてジョン自身も人々の心から消えることはないでしょう」
メンバーは全員アメリカ人であるものの、「太陽はもう輝かない」「僕の船が入ってくる」などのヒット曲でまずイギリスで火がつき、グループの代表曲「涙でさようなら」はイギリスでは1位を獲得し、アメリカでは16位止まりだったものの、世界中で100万枚以上を売り上げた。
1965年から1967年の間に活動した後、1968年にグループは解散。1970年代には再結成を果たし、アルバム3枚を制作し成功を収めようとしたのだが、70年代終りには再び解散している。これまでに、グループは総計2300万枚のアルバムを売り上げている。
ジョンは癌と診断された際には新作に取り掛かっており、スコットもまたソロで成功したが、ゲイリーだけは音楽業界から身を引いていた。
BANG Media International
◆BARKS洋楽チャンネル
◆ジョン・ウォーカー画像
ジョンの公式サイトには「お伝えするのも非常に悲しいことですが、ジョン・ウォーカーさんがロサンゼルスの自宅にて5月7日亡くなられました。彼は愛される夫であり、兄弟であり、父であり、祖父であり、友人であり、そしてアーティストでした」と彼の死を惜しむコメントが掲載された。
ジョン・マウスとして生まれ、10代の頃からウォーカーを名乗り始めたジョンは、1964年にザ・ウォーカー・ブラザーズを開始し、ウォーカーの苗字を共にバンドのために名乗ったスコット・エンゲルとゲイリー・リーズの3人という顔ぶれで落ち着いた。
ゲイリーは友人でありバンド仲間のジョンを追悼している。「ジョンの家族、僕、そして全てのファンにとって、今日はとても悲しい日です。ジョンはグループの創設者で、初期のリードシンガーでした。そして、多くの人は気づいてはいませんでしたが、彼は素晴らしいギタリストでもあったんです。思いやりのあるソングライターで、色んなスタイルを持つ紳士でした。僕ら3人は素晴らしい冒険を一緒にして来て、当時、自分達がポップの歴史の一部を作っているなんて全く気付いていなかったものです。彼の音楽は永遠に生き続け、そしてジョン自身も人々の心から消えることはないでしょう」
メンバーは全員アメリカ人であるものの、「太陽はもう輝かない」「僕の船が入ってくる」などのヒット曲でまずイギリスで火がつき、グループの代表曲「涙でさようなら」はイギリスでは1位を獲得し、アメリカでは16位止まりだったものの、世界中で100万枚以上を売り上げた。
1965年から1967年の間に活動した後、1968年にグループは解散。1970年代には再結成を果たし、アルバム3枚を制作し成功を収めようとしたのだが、70年代終りには再び解散している。これまでに、グループは総計2300万枚のアルバムを売り上げている。
ジョンは癌と診断された際には新作に取り掛かっており、スコットもまたソロで成功したが、ゲイリーだけは音楽業界から身を引いていた。
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