ローリングストーン日本版8月号、『メイン・ストリートのならず者』の舞台裏を完全翻訳

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ローリングストーン日本版8月号が熱い。ミック・ジャガー&キース・リチャーズのW表紙だ。

◆ミック・ジャガー&キース・リチャーズW表紙画像

ここでは、最高傑作と言われるザ・ローリング・ストーンズの『メイン・ストリートのならず者』の制作秘話が完全翻訳で掲載されている。南仏で録音されたという本作の舞台裏を、ミック・ジャガーとキース・リチャーズ、そして制作スタッフが振り返っているという内容だ。また、1972年5月に『メイン・ストリートのならず者』のリリースをもって、約3年ぶりに行なわれた北米ツアー、その狂乱に満ちたロックンロールの旅の模様をレポートした1972年7月6日号の記事も掲載されている。

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1971年、ニュー・アルバム『スティッキー・フィンガース』が1位を獲得する。セールスは好調で、散財ぶりも相変わらず豪快だったが、ストーンズの面々は自分が破産同然であることを知る。(中略)メンバーはそれぞれ10万ポンドを超える追徴税を負っていた。(中略)英国の過酷な税率を考えると、新たな収入では滞納金をまず払えそうにない。

そこでストーンズ一行は英国を捨て、フランスへ亡命した。なぜフランスに? 祖国に近いのと、祖国よりも税法が納税者に優しかったのが主な理由だった。(中略)フランスに居を移すや(中略)彼らは次作の録音スタジオ探しを始めた。

「急に何もかも捨てなくちゃならなくなった。やり方を熟知していた場所も、やるのに慣れていた場所も」とリチャーズ。

「で、考えた。さあて、どうするか。カンヌやニース、モンテカルロとかマルセイユだったら、まあまあのスタジオがあるとは思っていた。でも、どこも問題外。連中はフランス語のジングルを録ることしか頭にない。で、思い出したんだ。うちにはレコーディング機材を積んだトラックがあるじゃねえかってな」(中略)

そして、彼らはそのモービル・ユニット(移動式録音スタジオ)をバークシャーにあるジャガーの別荘、スターグローヴスに運んだ。(中略)リチャーズは言う「で、急にみんなの目がこっちを向いた。というわけで、あれのほとんどはネルコートでやることになったんだよ」

リチャーズは、ネルコートを“バンドが生き続けるための戦いの日々”と振り返っているし、ストーンズの面々が当時、数々の苦難や不安に苛まれており、深い心の内まではわからないにしろ、ネルコートが彼らを楽曲制作に向かわせたのは間違いないだろう。(本文一部抜粋)

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また、当8月号ではオバマ政権から“クビ”となったアフガニスタン駐留米軍総司令官スタンリー・マクリタルの話題の記事も完全翻訳掲載、初公開となっている。
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