父の日を前に「親父殿よ~ウヤウムイノウタ~」が静かにロングヒット中
2008年のザ・コブラツイスターズ解散後、ソロ・シンガーとして活動している川畑アキラの「親父殿よ~ウヤウムイノウタ~」が、静かにロング・ヒットしている。
「親父殿よ~ウヤウムイノウタ~」は、沖縄在住の川畑が、与論島に住む父親のことを初めて歌った曲。「親父殿よ どの親父様が勝ったか負けたかなんてどうでもいいこと 家族のためいつも走り続けた/そんなあなたが誇らしいのさ」という歌詞が印象的だ。
川畑は、歌詞のこの部分がもっともいいたいことだといい、「それぞれの家族が自分の父親のことをわかってあげていたらそれでいいんじゃないかな。俺の親父も相当自由人で変わってますよ」と笑う。
そんな川畑アキラが6月17日、六本木の島唄楽園でライヴを行ない、「親父殿よ~」など全15曲を披露した。
「六本木は大学受験に合格したときに、初めて父親に連れてきてもらった街で、確か親父の前で初めて「いとしのエリー」を歌わせられた思い出がある。あのとき、後に歌手になってデビューするなんて思ってもみなかった」と、父親とのエピソードも語られた。その後、父親はデビューには全く反対せず、地元に戻ってライヴをするときにはマネージャーのように息子に付き添い、挨拶回りに連れて回ったりステージ演出を考えたりと、熱心に音楽活動を応援してくれたという。
ちなみに、川畑の“親父”は36歳で与論島の与論町長になり、当時日本で一番若い町長と話題にもなった人物。若い頃からレーサーをやったり、リトルリーグの監督をやるなど、こうと決めたら一本気のがむしゃらな性格だったそうで、現在は自営業を営んでいるとのこと。
照れくさくて面と向かっては言い辛い、子供から父親への素直な気持ちを代弁してくれる温かい曲「親父殿よ~ウヤウムイノウタ~」。父の日に贈りたい一曲であることから、今年の父の日、6月20日に、川畑は「亡くなった父親との思い出の浜辺でこの曲を川畑に歌って欲しい」という三重県の女性の元へ歌を届けに行く。
「親父殿よ~ウヤウムイノウタ~」
2010年4月21日発売
TECG-26 ¥1000(tax in)
◆オフィシャル・サイト
◆レーベル・サイト
◆ブログ~沖縄生活
◆MySpace
「親父殿よ~ウヤウムイノウタ~」は、沖縄在住の川畑が、与論島に住む父親のことを初めて歌った曲。「親父殿よ どの親父様が勝ったか負けたかなんてどうでもいいこと 家族のためいつも走り続けた/そんなあなたが誇らしいのさ」という歌詞が印象的だ。
川畑は、歌詞のこの部分がもっともいいたいことだといい、「それぞれの家族が自分の父親のことをわかってあげていたらそれでいいんじゃないかな。俺の親父も相当自由人で変わってますよ」と笑う。
そんな川畑アキラが6月17日、六本木の島唄楽園でライヴを行ない、「親父殿よ~」など全15曲を披露した。
「六本木は大学受験に合格したときに、初めて父親に連れてきてもらった街で、確か親父の前で初めて「いとしのエリー」を歌わせられた思い出がある。あのとき、後に歌手になってデビューするなんて思ってもみなかった」と、父親とのエピソードも語られた。その後、父親はデビューには全く反対せず、地元に戻ってライヴをするときにはマネージャーのように息子に付き添い、挨拶回りに連れて回ったりステージ演出を考えたりと、熱心に音楽活動を応援してくれたという。
ちなみに、川畑の“親父”は36歳で与論島の与論町長になり、当時日本で一番若い町長と話題にもなった人物。若い頃からレーサーをやったり、リトルリーグの監督をやるなど、こうと決めたら一本気のがむしゃらな性格だったそうで、現在は自営業を営んでいるとのこと。
照れくさくて面と向かっては言い辛い、子供から父親への素直な気持ちを代弁してくれる温かい曲「親父殿よ~ウヤウムイノウタ~」。父の日に贈りたい一曲であることから、今年の父の日、6月20日に、川畑は「亡くなった父親との思い出の浜辺でこの曲を川畑に歌って欲しい」という三重県の女性の元へ歌を届けに行く。
「親父殿よ~ウヤウムイノウタ~」
2010年4月21日発売
TECG-26 ¥1000(tax in)
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