Manami、「STAR BAPE SEARCH」で1,700人の頂点に立った彼女がシングル「Yellow Stop」でメジャーデビュー

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Manami メジャーデビュー・シングル「Yellow Stop」2010.06.09リリース

行くべきか止まるべきかの“Yellow Stop(黄色信号)” Manamiの選んだのは立ち止まることなく前へ進むこと

彼女自身が書き下ろした楽曲でその心情を漏らすことなく披露する

INTERVIEW

――そもそも、音楽に惹かれたきっかけはなんだったんですか?

Manami:中学くらいのときにセリーヌ・ディオンに衝撃を受けたんですよ。映画『タイタニック』のエンディングで「MY HEART WILL GO ON」を唄っていたじゃないですか。それを聴いて、セリーヌ・ディオンの唄い方に憧れたんです。最初はポップスを聴いていて、そのあとにダンスをやり始めたんですが、その時にブラックな音楽まで、幅広く聴くようになったんですね。その中で、ヒップホップとかロックの世界に浸り、大学時代にゴスペルと衝撃的な出会いをして。私が歌手になろうと思ったのは3年くらい前なんですけど、同時に、どういう風に唄ったら、自分はもっと歌がうまくなるんだろうって考え始めたんです。そんな時にゴスペルに出会ったんですが、ゴスペルは今も私の曲作りや作詞において、一番影響を受けていると感じます。カーク・フランクリンがゴスペルとヒップホップを融合させて音楽を作りましたけど、彼にも強く影響を受けました。

――少し話は戻ります。歌の前にダンスもやってたんですね。ダンスを始めたきっかけは?

Manami:中学高校とバスケをやっていて、将来はバスケの選手になりたいと思ってたんですよ。でも最後の最後で、体に故障があって、引退試合に出られなかったんです。応援する形で、その試合を見ていたんですけど、それがものすごく悔しくて、ちゃんと何かを達成して、終わらせる何かを見つけたいと思いました。それでダンスを始めたんです。発表会でもなんでも良いから、ちゃんと全うしたいなって。

――バスケをやってて、ダンスをやってて、自分が唄えるってことに気付いたのは?

Manami:唄えるようになったのは、歌手を目指そうって思ってからなんですよね。そこで自分なりの心構えが出来て、そこから声も変わっていったんです。最初は声がまったく違ってたんですよ。人の歌を唄って、“私の歌唱力どう?”みたいな感じで、張り上げて唄っていました。だから、最初はオーディションも落ちていたんですよ。“君の声はユニークじゃないし、100人プロデューサーが見ていても、1人も振り向かないよ”って言われたこともあって。そこから自分の中で模索しはじめて、受けたオーディションも全て落ちて、夢を諦めかけていたときに、身近な人が“音楽って楽しいものだから、誰かに実力を見せつけたりってことじゃなく、心から楽しんでやったら?”って言うんです。そこから自分で作詞作曲を始めて。それが2年前くらいの話です。そうしたら、不思議と、自分の中にある素直な声が出て来たっていうか。今までとは違う、今の私の声に変化していったんです。

――へぇ~。トレーニングじゃなくて、心の問題だったんですね。

Manami:歌を唄う上で、一番大事なのは心だと思うので。特に歌は目に見えないものですから。心の状態って大事だなぁと思います。

――たとえ歌詞があっても、言葉と言葉の間にあるものを伝えるのが音楽ですものね。

Manami:そうですね。私自身、負けず嫌いなので、オーディションを受けるにしても競争心のほうが強かったと思うんです。そういうものが音楽に対しての楽しさや自由さを塞いでいて。それを取り払ったときに良い出会いもあったし、ファレル・ウィリアムスとNIGOさんが主催したオーディション(STAR BAPE SEARCH)でグランプリも獲得出来て。

――音楽に対しての考え方が変わったことで色んなことが変わっていったんですね。自分で作詞作曲をするようになると、表現する上での責任感も産まれたんじゃないですか。

Manami:はい。作詞にしろ自分の言葉で書いているから、音符の一つ一つに込める思い入れも違います。大事だなぁと思うのは、自分の言葉で唄うことなんですよ。iTunesで配信された「Back Of My Mind」と「Hold Back」はファレルが英語で作詞をしているんですけど、これらの日本語版は私が作詞してるんですよ。

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