スネオヘアー、祝・生誕10周年!初のベスト・アルバム『ベスト』発売記念特集

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スネオヘアー

祝・スネオヘアー生誕10周年 “遅咲き”といわれた男 活動10周年にして初のベスト・アルバム『ベスト』発売

風呂上りに鏡に映った自分の髪型から、フッと思いついた“スネオヘアー”という名前。そんな冗談みたいなアーティスト名とは裏腹に、ポピュラリティに溢れた洗練されたメロディを紡ぎ、1999年2月にインディーズでアルバム『SUN!NEO!AIR』を発表。あれから10年、スネオヘアーは変わらずにグッド・メロディを生み出し続けている。その楽曲群の中から選りすぐりの名曲たちが収録された『ベスト』は、単なるベスト・アルバムではなく、至宝の名曲集だと断言する。「100万枚とか売れて、スネオヘアーという名前が国民的なものになったら全然違うと思うんですけど。変わらずに身軽ですからね」といって笑うスネオヘアー。この10年間の四方山を赤裸々に語りつくしたロング・インタヴューとともに、至宝の名曲集『ベスト』が一人でも多くのリスナーの元に届くことを願わずにはいられない。

"1曲1曲が勝負で後がない"ってアー担から言われていたので(笑)。すごく苦しかったです。

デビュー曲「アイボリー」から1stアルバム『スネスタイル』の頃の曲や音作りには、どんな思い出がありますか。

スネオヘアー:"こんな音だっけ?"ってずっと思ってたんですよ。どうしても納得いかなくて、マスタリングをやり直して、それでもまだ満足できなくて。入れたはずの音がリミッターで潜っちゃってたんですけど、それが今回のリマスタリングでちゃんと聴こえるようになって良かったです。当時はそれでもOKしてたんで、自分もそういうレベルだったんですね。

当時はどんな音が好きで、目指していたんですか。

スネオヘアー:オルタナですね。最初の頃はギターを歪ませたり、変なフレーズをちょこちょこ入れるのが好きでした。曲を届けるという意識が低くて、"もっと自分の気持ちが盛り上がりたい"という感じが強かったです。

そして4枚目のシングル「ウグイス」、5枚目「セイコウトウテイ」と、ポップ路線のシングル・ヒットを連発して2ndアルバム『a watercolor』が出ます。

スネオヘアー:"1曲1曲が勝負で後がない"ってアー担(レコード会社のアーティスト担当スタッフ)から言われていたので(笑)。すごく苦しかったです。いつも"書けるかな?"と思いながら、"あ、またできた"の繰り返しですね。1stはインディーズの頃の曲も多かったんですけど、2ndから全部書き下ろしになって、"どこを切っても捨て曲のないアルバムにしたいね"という話をしていたので、ポップなメロディを書きたいという気持ちはありました。ブレイク・ポイントだったと思います。

ちなみにこの頃は、生活面では多少の変化はあったんですか。

スネオヘアー:1stの印税として小銭が入ってきましたね。当時の部長に"ちょっと小銭が入るけど、ここで調子に乗るなよ"とか言われて(笑)。ただそんなに生活は変わってないです。相変わらず日吉のアパートに住んでました。

そのあと、ミニ・アルバム『東京ビバーク』が出ます。これはちょっと異色の、ダークで内省的な感じの作品でした。

スネオヘアー:2枚目ですごくポップに、外に向けて発信したんですけど、今後もそういうふうにカテゴライズされちゃうのは怖いなと思ったんですよ。もともと持っている、暗い陰の部分をここで出しておきたいと思ったんですね。それが『東京ビバーク』でした。

振り子みたいなものですか。こっちに行けば、あっちにも行きたくなる。

スネオヘアー:いつもその繰り返しですね。たぶんその次の『フォーク』あたりが、プライベートでは一番下がってる時期です。いろいろあって。そういうのはモロに出ます。『スペシャ中学』(スペースシャワーTVの音楽バラエティ番組『熱血!スペシャ中学』。2003年4月~2006年3月放送)をやらせてもらっていた時期ですけど、もうテレビに映りたくないとか言って、カメラが来ると顔を隠してましたから(笑)。それがOKな番組だったんで良かったですけど。『フォーク』はすごいプライベートなアルバムだという気がしてます。アルバム3枚目だという意識もあって、自分の中で区切り感がありましたね。"ここで答えを出さないといけない"という気持ちがあったと思います。

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