三寒志恩ムック初春の宴(10)シカゴ編:その壱

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▲アラゴン・ボールルームの外観。見るからに由緒正しそう。
▲ハード・ロック・カフェの看板。夜は電飾がギラギラです。
▲ハード・ロック・カフェ店内で見つけたチープ・トリックの使用楽器。さすが地元の大御所! 実は毎年4月1日には、イリノイ州では「チープ・トリックの日」だったりもするんである。
▲同じ頃、SATOちはフロアでドラムのセッティング中。
▲アラゴンの内装は『アラジンと魔法のランプ』な世界。天井は……なんと空ですよ!
ロチェスターでの公演終了後、深夜に同地を出発したツアー・バスは、3月11日の午後にはアメリカ第三の大都市、シカゴに到着。デトロイトやロチェスターほどではないにしろ、やはり寒い。しかもシカゴは“ウィンディ・シティ”と呼ばれるだけあって風が強いのだ。

今夜の会場は由緒正しきアラゴン・ボールルーム。地元のバンドにとっては、一度は憧れの対象となるはずの場所と言っていいだろう。

場所的には街はずれなのだが、会場前の道路などは道幅こそ狭いものの飲食店なども多くて活気があり、すぐ近くの高架を電車が走っていたりもする。それを見たミヤは「なんか(中央線の)大久保みたいっスね」。確かに似ている。大半の読者にはこのニュアンス、伝わらないかもしれないが(ローカルな比喩で申し訳ない!)。

会場到着から間もなく、達瑯とミヤは街の中心部にあるハード・ロック・カフェへ。デトロイトでの公演当日と同じように、ここで懇親会が催されるのだ。そこで彼らは抽選で選ばれた幸運なファンたちと共にテーブルを囲み、昼食を。

筆者はその場の臨時通訳と化したのだが、そこに居合わせたのはバスケットボール好きの少年と、達瑯と同じように髪を染めた少女(同じ色だね、と指摘すると頬を赤らめていた)、そして背中に“MUCC”とロゴが描かれたお手製コスチュームに身を包んだ少年。ちなみに全員18歳。そんななかに「あたしは45歳よ」というおばちゃんが混ざっていたのだが、なんとこの方は、お手製コスチューム少年の母親で、息子と共にオハイオ州からやってきたのだという。

「あたしは17歳のときからパンク聴いてるから、これでもなかなかロックには詳しいのよ。最初はなんで自分の息子が日本のバンドに夢中になってるのか見当もつかなかったけれど、今はむしろあたしのほうが熱中してるかも。あははは! アメリカの若いバンドはどれもみんな同じような音でウンザリだけど、日本のバンドは曲も個性的だし、演奏もちゃんとできる。しかもルックスもいい。またアメリカに来ることがあるなら、ムックはあたしを雇えばいいのよ。運転もできるし、いろんなところに連れてってあげるから。え? ケータリング担当はどうかって? それは無理。あたしの料理がマズいのは、この息子がいちばんよく知ってるわ(笑)。でもね、今日は、みんながホームシックにかかってるんじゃないかと思って、スーパーマーケットで日本のお菓子をたくさん買いこんできたのよ。え? ホームシックになんかかかってないって? でもお菓子は好きでしょう?」

というわけで、ひとつ判明したのは、どこの国でもいちばんエネルギッシュなのは、おばちゃんだということ。しかしもちろん、メンバーたちが彼女の差し入れに大喜びしたことは言うまでもない。

そんな懇親会を終えて会場に戻ってきてみると、広いフロアでは各バンドのメンバーやクルーが着々と器材準備中。そんななか、開場までの時間のスキマに達瑯は現地メディアからのインタビューを受けていたのだが、なんとその内容は「あなた方は初期、カリ≠ガリというバンドから支援を受けていたようですが、逆に現在、あなた方がサポートしている若いバンドなどはいるのでしょうか?」といった質問も含まれているほどのマニアックさ。

ちなみにその記者はコスタリカ出身で、南米の国々にもムックのファンがたくさんいて彼らの来訪を待ち望んでいるということを強調していた。うーん。なんだか地球がものすごく小さなものに思えてきてしまう。それは、たまたまこのアラゴン・ボールルームの内装が宇宙的スケールだったりするから…ではないはずだ。

増田勇一
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