【佐伯 明の音漬日記】椎名林檎、『平成風俗』を聴く(最終回)
2007.02.×
突然ではありますが、今回を持ちまして「音漬日記」は終了いたします。
ちょうど7年前の4月、
「ブログとはなんぞや?」ということもよくわからぬまま、
“行った場所や会った人”をメモのようにしてUPするところから
「音漬日記」は始まり、次第に「WEB上で読ませるコラム」として、
その性格と体裁を整えてきました。
そして、その使命は全うできたのではないか? という思いから、
今回、いったん幕を下ろすこととなりました。
古くから愛読してくれた皆様も、比較的新しいfanも、スタンド
&アリーナも(笑)、本当にありがとうございました。
3月からは、装いも新たにmusicnetにて、ブログを展開していく
ことが決定しております。
タイトルは、「続・音漬日記」です(←装いも新しくないdaro!笑)。
↓↓
http://www.musicnet.co.jp/
(上記のURLから入って調べてくださいne)。
IT関係の友人との話やSNSの研究を通して培ったものを「続・音漬日記」には
フィードバックしたいと思っていますので、これからまた「続・」でお会いしましょう。
さて、「音漬日記」、最後のネタは何がイイだろう? と考え、
7年前~第1回目の登場が椎名林檎さんであったことから、
ラストは椎名さんの新作のREVIEWで、締めくくりたいと思います。
最近は「CD評なんて、もう誰も読まないよ。読んだところで購買意欲に
いっこうに火は付かないよ」とよく言われますが、僕はそう思っていません。
より深く音楽を聴こうとする者たちは、より深い“言語化とその共有”を
願っていると、考えるからです。
“聴くことを諦めない皆様”と、
また新天地でシンクロしていけたら嬉しいです。
長い間、ありがとうございました。
Au revoir.
『平成風俗/椎名林檎』CD REVIEW
以前、椎名林檎と「十代の頃は、なぜあのようにすぐに“生きるの? 死ぬの?” と言っていたのだろう?」というような話をしたことがある。
生命エネルギーが過剰であり、かつまたエネルギーを差し向ける方向性という名の器が
未確定である十代は、“生きるの?死ぬの?”と内・外に発することによって、
かろうじて生命エネルギーの輪郭を認識していたわけで、その時に出会った音楽に
人が一生規定され続けるのは、音楽による輪郭認識が、甘美な感覚として身体の中に
沈殿しているからであろう。
やたらと生死を持ち出す話題と、偏っていつつもフリーキーで、ある種の真実を
創出していた音楽は、十代の僕らにとって「錯乱を導く素材」でありながら、
錯乱によって“自分の所在”を確認できたのでもある。……という事実に対して、
椎名林檎は大変に冷徹である。ロックンロール的な、青春の初期衝動を実践的惰性態になりつつも再生産することから逃れ、その先に喜んで錯乱し
再び平静に戻ってくるためには、明らかに何らかの“知的強度”が必要であることを、
彼女は音楽を創ることによって我々に提示している。
斎藤ネコとの共同作業は、椎名林檎の冷徹な方向性を音楽的に厳格な網の目に投影し、
きちんと確立された音と、それらと格闘する音という“線引き”を見事に作品化している。
まじめに錯乱するという領域を・知的グレードの高さを、本作は示しているのだ。
カテゴリー的にはサウンドトラックに属する本作ではあるが、
映画を抜きにしても、明らかに椎名のキャリアの質を押し上げるものだろうし、
現在の音楽シーンに一石を投じるものである。
佐伯 明の『続・音漬日記』はこちら
http://www.musicnet.co.jp/whatsin/saeki/
突然ではありますが、今回を持ちまして「音漬日記」は終了いたします。
ちょうど7年前の4月、
「ブログとはなんぞや?」ということもよくわからぬまま、
“行った場所や会った人”をメモのようにしてUPするところから
「音漬日記」は始まり、次第に「WEB上で読ませるコラム」として、
その性格と体裁を整えてきました。
そして、その使命は全うできたのではないか? という思いから、
今回、いったん幕を下ろすこととなりました。
古くから愛読してくれた皆様も、比較的新しいfanも、スタンド
&アリーナも(笑)、本当にありがとうございました。
3月からは、装いも新たにmusicnetにて、ブログを展開していく
ことが決定しております。
タイトルは、「続・音漬日記」です(←装いも新しくないdaro!笑)。
↓↓
http://www.musicnet.co.jp/
(上記のURLから入って調べてくださいne)。
IT関係の友人との話やSNSの研究を通して培ったものを「続・音漬日記」には
フィードバックしたいと思っていますので、これからまた「続・」でお会いしましょう。
さて、「音漬日記」、最後のネタは何がイイだろう? と考え、
7年前~第1回目の登場が椎名林檎さんであったことから、
ラストは椎名さんの新作のREVIEWで、締めくくりたいと思います。
最近は「CD評なんて、もう誰も読まないよ。読んだところで購買意欲に
いっこうに火は付かないよ」とよく言われますが、僕はそう思っていません。
より深く音楽を聴こうとする者たちは、より深い“言語化とその共有”を
願っていると、考えるからです。
“聴くことを諦めない皆様”と、
また新天地でシンクロしていけたら嬉しいです。
長い間、ありがとうございました。
Au revoir.
『平成風俗/椎名林檎』CD REVIEW
以前、椎名林檎と「十代の頃は、なぜあのようにすぐに“生きるの? 死ぬの?” と言っていたのだろう?」というような話をしたことがある。
生命エネルギーが過剰であり、かつまたエネルギーを差し向ける方向性という名の器が
未確定である十代は、“生きるの?死ぬの?”と内・外に発することによって、
かろうじて生命エネルギーの輪郭を認識していたわけで、その時に出会った音楽に
人が一生規定され続けるのは、音楽による輪郭認識が、甘美な感覚として身体の中に
沈殿しているからであろう。
やたらと生死を持ち出す話題と、偏っていつつもフリーキーで、ある種の真実を
創出していた音楽は、十代の僕らにとって「錯乱を導く素材」でありながら、
錯乱によって“自分の所在”を確認できたのでもある。……という事実に対して、
椎名林檎は大変に冷徹である。ロックンロール的な、青春の初期衝動を実践的惰性態になりつつも再生産することから逃れ、その先に喜んで錯乱し
再び平静に戻ってくるためには、明らかに何らかの“知的強度”が必要であることを、
彼女は音楽を創ることによって我々に提示している。
斎藤ネコとの共同作業は、椎名林檎の冷徹な方向性を音楽的に厳格な網の目に投影し、
きちんと確立された音と、それらと格闘する音という“線引き”を見事に作品化している。
まじめに錯乱するという領域を・知的グレードの高さを、本作は示しているのだ。
カテゴリー的にはサウンドトラックに属する本作ではあるが、
映画を抜きにしても、明らかに椎名のキャリアの質を押し上げるものだろうし、
現在の音楽シーンに一石を投じるものである。
佐伯 明の『続・音漬日記』はこちら
http://www.musicnet.co.jp/whatsin/saeki/
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