──まず、KYOTO JAZZ MASSIVE(以下、KJM)でなくソロでアルバムをリリースしようと思ったキッカケを教えてください。
沖野修也:“音楽家 沖野修也”として、何を自分のアイデンティティとするのか。それはけっこう長い間、僕のテーマでもあったんですよ。というのも、DJを始めて、MONDO GROSSOというバンドと知り合って、サウンドの助言からマネージメントに始まり、楽曲プロデュースをして。そして、KJMでオリジナル音源を作り、COSMIC VILLAGEににメンバーとして参加し……、その中で沖野修也の役割って何なんだろうって。それを明らかにするというのがテーマでした。
──今回のアルバムを語る上でその制作過程について言及しないわけにはいきません。とりあえず簡単に説明してもらえますか?
沖野:今回のアルバムは、すべてEメールのやり取りだけで制作しました。つまり、僕がまず全曲のメロディをピアノで作って、それにデモ・トラックを付けて、ヴォーカリストに送りました。そこにヴォーカリストが自分のヴォーカルをダビングして、それを次はプロデューサーに転送。そして、プロデューサーがアレンジをしてトラックをつけてミックス・ダウンまでして、僕に送り返してくる。そのすべての過程がメールで行われているんです。
──その方法論というのは、初めからそうしようと決めていたんですか?
沖野:そうですね。というのも、音楽制作の方法において、フェイス・トゥ・フェイスでやる一発録りにかなう手法はないと思うんです。それは、SLEEP WALKERのプロデュースでファラオ・サンダースと同じ現場に入った時、痛烈に感じました。サンプリングとか音の加工とかではどう考えても到達できない、ひとつの境地があるな、と。じゃあ、僕がソロを作るときに、フェイス・トゥ・フェイスではないやり方、最も逆な方法ってなんだろうって思ったときにメールのやり取りだけでアルバムを制作するって発想が面白いなぁって思ったんです。
──でも、それってかなりチャレンジングな方法論ですよね。
沖野:もちろん、ほんとにそれでいいのかっていう葛藤もありましたよ。そこにいままで僕が求めてきた、血の温もりのみたいなものを反映できるのかという。でも、メールというものが、意思疎通のコミュニケーションの手段として必要不可欠な時代に、顔も見えない、声も聞こえない、活字だけのやりとりでお互いの理解ができるのかとか、信頼関係って成立するのかなとか、そういうデジタル・コミュニケーションの可能性みたいなものを僕自身確かめたかったんです。
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