| 好きな楽曲をアトランダムにダウンロードして音楽を楽しむ時代にあって、収録時間いっぱいまで詰め込んだ超弩級の2枚組。サザンオールスターズ、7年ぶりのオリジナル・アルバム『キラーストリート』は、“消費されないポップ・ミュージック”という挑戦的テーゼを内包した総力楽曲群である。
しかし、この7年間は姿勢決めをするまでの長い助走でもあった。2000年ごろの桑田佳祐はオリジナル・アルバムの有効性や意味に懐疑的になっていた。その点についての“心の整理”を、桑田はこう語る。
桑田佳祐(以下、桑田):今、2枚組アルバムの全貌がほぼ見えつつあるので、この段階まで来ると、言うなれば“新しい家”のようなものの中に立っている感覚があるわけですよ。「ああ、これはワシの城じゃ」と思いながら。
でも2000年ごろは「今さらどんな家を建てればいいんだ」とか「新築の家なんてほしくないよ」とか思ってた。今、どんな住所・番地にどんな家を建てたら“ステキだね”と言ってもらえるのかどうか、その点に関して2000年ごろは度胸やアイデアがなかったんです。でも新しいアルバムはやっぱり作らなくてはいけないし、それこそ“終(つい)の住み処”でもあるまいし、僕らとしては作り続けなくてはいけないな、と。
で、作っていく途上で、テーマやコンセプトはできてくるんであって、最初から設計図なんてないものなんだなと、思ってる。とにかく、サザンのメンバーもスタッフも、一つ呼吸が整って「It's the TIME!」という状況になれば、作っていける。その意味ではなかなか息が合わなかったのかもしれない。
楽曲が桑田の内部から噴出し、それをバンドに持っていき、一緒に音にしていく。学生時代となんら変わらぬことをやっていながら、経年変化してきた心情とワザが楽曲に年輪を作っていくという人の一生にも似た音楽の成長。サザンオールスターズは、それができる数少ないバンドの一つであろう。
若かりしころと現在がレコーディングという同じ行為で繋がっていながら、去来する思いはあるときは微妙に、あるときは大いに違っている。偽らざる思いに修正を加えず、なるべくならプレーンな状態で楽曲になっていくというプロセスをも込みで『キラーストリート』には接してみたい。
ところで、過去にサザンの2枚組アルバムというと、1985年の『KAMAKURA』以来、実に20年ぶりになる。熱狂と混迷が渦巻いた日本の世相と並走したサザンオールスターズの、『キラーストリート』は、現在的直言かもしれない。
桑田:20年ぶりというのは意識してなかったです。20年前『KAMAKURA』ってアルバムを出したとき、音楽にもいろいろなテクノロジーが入ってきて、僕らも30歳少し手前くらいで、未来は明るいように感じられた。
そこにバブルがあり、それがはじけてから、ずっと世の中は混迷を極めてる。「これからはIT産業がいい」なんて言われつつも、僕自身は、そうした世の中の“行き方”とは離れていっている気がしていて。もう、将来の自分には興味がなく、昨日~今日~明日くらいの超近視眼的な自分にしか興味が持てなくて。中長期的展望は、他人に考えてもらおうと思って(笑)。
今は、自分の寝床の温もりだとか縁側の温かさとか、「今夜、どこで呑もうかな」とか考えてる近視眼的なオッサンがいるわけで。だけど、そんな自分に反省も込めてメッセージしていきたい、そんな自分もまたいるんです。
“サザンという生命体”は、音楽人生のまとめの部分にさしかかっている。過去をまとめるだけでなく、新しく“全力で斜陽に飛び込んでいく”ことができたら、J-POPは確実に変わるだろう。『キラーストリート』は、新しい時代の入り口にリリースされるのである。
文●佐伯 明 |
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