ビートルズ、BOXセットの中身を公開!
日本での1stアルバム『ビートルズ!』(『MEET THE BEATLES』:内容は日本独自盤)が人気を博した1964年といえば、ビートルズが初めてアメリカに渡った年である。今年はそれからちょうど40年目の記念の年ということで、'64年当時、米キャピトルレコードが英国とは違った編集/ジャケットで発表した4タイトルを初CD化、ボックス・セット『ザ・ビートルズ '64BOX』として11月17日に発売されることになった。この4タイトルは、'87年に英オリジナル盤が唯一の正規盤とされて以来、廃盤になっていたもので、今回の作品化は17年ぶりの復活となる。
▼下記は、資料より抜粋・掲載。
【『ザ・ビートルズ '64BOX』発売の背景について】
1964年、ビートルズが初めてアメリカに上陸してから40周年を記念して発売。
【ビートルズの'64年の位置付け】
今年4月に発売されたDVD『ファーストUSヴィジット』に見られるように、彼らの初訪米は熱狂的に迎えられました。シングル「抱きしめたい」のNo.1獲得を皮切りに5,000人を超えるファンのJ.F.ケネディ空港への出迎え、歴史的とも言える『エド・サリヴァン・ショウ』への出演。特にこの『エド・サリヴァン・ショウ』は視聴率72%をマーク、放送中「N.Y.での青少年の犯罪がゼロ」「水道の使用量が激減、CM中は激増」などの伝説が語られてます。またビルボード誌のシングル・チャートでも1位~5位をビートルズの曲が独占するという偉業も達成しました。
【その頃の日本は…】
東京オリンピック開催、新幹線の開通など高度成長の真っ只中にありました。先のアメリカでの大成功が世界各国に飛び火し、日本でもビートルズのLPが発売、日本のビートルズ・ブームの始まりの年ともなります。
【キャピトル編集盤とは】
'87年のCD化の際、ビートルズに関しては世界的に音源・収録曲が'60年代当時のUK盤に統一されました。しかし先に挙げた'60年代の世界的ビートルズ・ブームの最中では各国がそれぞれ収録曲の異なった独自のコンピレーションを発売していました。中でも市場規模の大きいアメリカ・キャピトルの編集盤は日本をはじめ各国の編集盤に影響を与えました。その為、当時からビートルズを聞いているオールド・ファンには根強い人気があります。
【初ステレオ化とは】
先のCD化に伴う音源統一の際、ジョージ・マーティン(ビートルズのプロデューサー)などの意向で初期4枚(「プリーズ・プリーズ・ミー」「ウィズ・ザ・ビートルズ」「ハード・デイズ・ナイト」「フォー・セール」)はモノラルで統一された為、この4枚の収録曲は1部を除きCDではモノラル音源しか存在しませんでした。今回のキャピトル盤で初めてCDでステレオ・ミックスが聞けるとはそういうことなのです。※但しシングルなどの一部は、いわゆる赤盤やビートルズ1にステレオで収録。
【なぜ上記4枚はモノラルなのか】
ステレオ再生装置自体は'50年代から一般家庭に普及していましたが、まだまだ高価なシステムであった為普及率という点ではモノラルに及びませんでした。ビートルズのアルバムは当時からステレオ、モノラルの両方のフォーマットで発売されていましたが、主流という意味ではモノラルに重点が置かれていました。その為'87年のCD化の際にジョージ・マーティンはモノラルのフォーマットに固執したのです。
【マニア・ネタを…】
すでにそれぞれステレオ、モノラルが発売されているものでも現行のUK盤CDとミックスなど異なるものがあります。これは当時、UKでの最終ミックスを待っていてはUSでの発売が間に合わないということでUS向けのミックスが急遽作られていたということに由来すると言われていますが、真相は定かではありません。一例ですが、ポールのバラードの名曲「アンド・アイ・ラヴ・ハー」に関してはUK盤のモノラル音源ではヴォーカルがダブル・トラック(※)になっていますが、US盤のモノラルではシングル・トラックとなっており、よりシンプルでストレートなポールのヴォーカルが楽しめるヴァージョンとなっています。
※ヴォーカルの同一パートを重ね録りする手法で厚みが出るといわれています。
▼下記は、資料より抜粋・掲載。
【『ザ・ビートルズ '64BOX』発売の背景について】
1964年、ビートルズが初めてアメリカに上陸してから40周年を記念して発売。
【ビートルズの'64年の位置付け】
今年4月に発売されたDVD『ファーストUSヴィジット』に見られるように、彼らの初訪米は熱狂的に迎えられました。シングル「抱きしめたい」のNo.1獲得を皮切りに5,000人を超えるファンのJ.F.ケネディ空港への出迎え、歴史的とも言える『エド・サリヴァン・ショウ』への出演。特にこの『エド・サリヴァン・ショウ』は視聴率72%をマーク、放送中「N.Y.での青少年の犯罪がゼロ」「水道の使用量が激減、CM中は激増」などの伝説が語られてます。またビルボード誌のシングル・チャートでも1位~5位をビートルズの曲が独占するという偉業も達成しました。
【その頃の日本は…】
東京オリンピック開催、新幹線の開通など高度成長の真っ只中にありました。先のアメリカでの大成功が世界各国に飛び火し、日本でもビートルズのLPが発売、日本のビートルズ・ブームの始まりの年ともなります。
【キャピトル編集盤とは】
'87年のCD化の際、ビートルズに関しては世界的に音源・収録曲が'60年代当時のUK盤に統一されました。しかし先に挙げた'60年代の世界的ビートルズ・ブームの最中では各国がそれぞれ収録曲の異なった独自のコンピレーションを発売していました。中でも市場規模の大きいアメリカ・キャピトルの編集盤は日本をはじめ各国の編集盤に影響を与えました。その為、当時からビートルズを聞いているオールド・ファンには根強い人気があります。
【初ステレオ化とは】
先のCD化に伴う音源統一の際、ジョージ・マーティン(ビートルズのプロデューサー)などの意向で初期4枚(「プリーズ・プリーズ・ミー」「ウィズ・ザ・ビートルズ」「ハード・デイズ・ナイト」「フォー・セール」)はモノラルで統一された為、この4枚の収録曲は1部を除きCDではモノラル音源しか存在しませんでした。今回のキャピトル盤で初めてCDでステレオ・ミックスが聞けるとはそういうことなのです。※但しシングルなどの一部は、いわゆる赤盤やビートルズ1にステレオで収録。
【なぜ上記4枚はモノラルなのか】
ステレオ再生装置自体は'50年代から一般家庭に普及していましたが、まだまだ高価なシステムであった為普及率という点ではモノラルに及びませんでした。ビートルズのアルバムは当時からステレオ、モノラルの両方のフォーマットで発売されていましたが、主流という意味ではモノラルに重点が置かれていました。その為'87年のCD化の際にジョージ・マーティンはモノラルのフォーマットに固執したのです。
【マニア・ネタを…】
すでにそれぞれステレオ、モノラルが発売されているものでも現行のUK盤CDとミックスなど異なるものがあります。これは当時、UKでの最終ミックスを待っていてはUSでの発売が間に合わないということでUS向けのミックスが急遽作られていたということに由来すると言われていますが、真相は定かではありません。一例ですが、ポールのバラードの名曲「アンド・アイ・ラヴ・ハー」に関してはUK盤のモノラル音源ではヴォーカルがダブル・トラック(※)になっていますが、US盤のモノラルではシングル・トラックとなっており、よりシンプルでストレートなポールのヴォーカルが楽しめるヴァージョンとなっています。
※ヴォーカルの同一パートを重ね録りする手法で厚みが出るといわれています。
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