『夢の翼 ~ヒッツ&ヒストリー~』リリースに見る、ポール作品を貫く秘密
~ |
大衆性と実験性、パーソナリティと芸術性が、 拮抗し合いながら融合しているバランス感覚。 そして軌跡に残る、有無を言わさぬ“才”の暴走! |
ポールの作風のカギであり魅力でもある“二面性” |
|
|
ポールが生み出した歴史的名作 |
『マッカートニー』 EMI TOCP-3124 '70年 | 『マッカートニー』('70年) 英国デイリーミラー紙で「ポール、ビートルズ脱退」とのニュースが報じられたのが'70年4月10日。そのわずか1週間後の4月17日にリリースされたポールの初のソロアルバムである。 レコーディングは主に自宅で行なわれ、演奏もリンダのコーラスの他は全てポール自身が行なっている。いわば宅録の元祖的作品。中途半端な出来と当時は酷評されたが、聴きどころは多い。 ポール・ファンになるか否かの踏み絵的アルバムとされている。 (US:1位 UK:2位) |
『ラム』 EMI TOCP-3125 '71年 | 『ラム』('71年) このアルバムの名義はポール&リンダ・マッカートニー。ジョンがヨーコを必要としたように、ポールもそれに対抗するようにリンダを音楽のパートナーに抜擢した。 ビートルズ『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』のヴァリエイションの豊かさをひとりで演じてしまったかのようなユニークな発想に基づく幅広い音楽性を聴かせる。これもまた、当時の評価は低かったが、今聴き返せば、あきらかにポールの代表作であり、ロックの名盤であることを気づかせる。 (US:1位 UK:2位) |
『バンド・オン・ザ・ラン』 EMI TOCP-3128 '73年 | 『バンド・オン・ザ・ラン』('73年) 一般的にポールの代表作といわれている名盤。 当時ポールは、好調に活動を続ける他の元ビートルズのメンバーに比べて、メディア及びロック・ファンから冷遇な扱いをされていたが、このアルバムはその風向きを一気に変えてしまうほど、大きな成果を促した。 ここからウィングス=ポール・マッカートニーの大進撃が始まる。 音楽的には、ポール独特のアマチュア的発想がここで大きく開花し、ポップでスリリングなサウンドを作り上げている。 (US:1位 UK:2位) |
『ヴィーナス・アンド・マース』 EMI TOCP-3129 '75年 | 『ヴィーナス&マース』('75年) ワールド・ツアーを前に、それを意識したポールが新しいウィングスのメンバーを引き連れてアメリカでレコーディングしたアルバム。 アメリカでは予約だけで200万枚のセールスを記録した。 SF、スペイシーをコンセプトに最初から最後まで息をもつかせぬロック絵巻を展開。コンポーザー、プロデューサー、ヴォーカリスト、ベーシストと、ポールはあらゆる面で最高の仕事をしており、才能と完璧主義が最もうまくかみ合った時期といっていいだろう。 (US:1位 UK:1位) |
『ウィングス・オーバー・アメリカ』 EMI TOCP-5986~7 '76年 | 『ウィングス・オーバー・アメリカ』('76年) '75年9月から'76年10月までの2年間で12カ国、64回の公演を行なったワールド・ツアー からアメリカ公演('76年5月~6月までの30公演で延べ60万人の観客を動員した)の模様をまとめたライヴアルバム。 アナログでは、当時としては異例の3枚組でリリースされた。 当時の最新ヒットにビートルズ・ナンバーを交え、ハード・ロックにポップ、フォーク、と巧みな構成で、ポールとウィングスの絶頂期のサウンドを余すところなく伝えている。 (US:1位 UK:8位) |
この記事の関連情報
ポール・マッカートニー、チャド・スミスとアンドリュー・ワットのクラブ公演にサプライズ出演
ポール・マッカートニー、82歳に。「愛する人たちから甘やかされるの、楽しみにしている!」
ポール・マッカートニー、6年ぶりのUKツアーを開催
ポール・マッカートニー、2024年のツアー日程を告知
ポール・マッカートニー、旧友でザ・ビートルズのツアー・マネージャーだったトニー・ブラムウェル氏を追悼
ジョン・レノンとポール・マッカートニーの息子たちがコラボ
ポール・マッカートニー、ザ・ビートルズでのリードギターは無理
ビヨンセの「ブラックバード」、参加アーティストがお揃いのタトゥー
ポール・マッカートニー、ビヨンセの「Blackbird」カヴァーを称賛