ニュース・最新情報
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フィージン、銀座山野楽器本店で記念イベント
韓国生まれのテノール歌手・フィージンが3月2日、日本デビューアルバム「イルミネーションズ~光満ちる時へ」の発売記念コンサートを東京・銀座山野楽器本店で開いた。
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フィージン、大人音楽の聖地・銀座山野楽器で大注目
2月8日にリリースとなったフィージンのアルバム『イルミネーションズ ~ 光満ちる時へ』が、銀座山野楽器で大きな注目を集めている。
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フィージン、オペラシティで熱唱
話題のポペラ(POP+オペラ)歌手、フィージンのソロ・コンサート、日韓東日本大震災被災地子ども支援×日本における難民子ども支援コンサート<Whee Jine Concert in Autumn,2011 ただ愛のために>が11月14日東京・オペラシティにて開催となった。
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“韓流テノール”フィージン、デビュー・コンベンションは大歓声
11月9日発売の日本デビューCDシングル「ただ愛のために/10月のある素敵な日に」リリースに先駆け、フィージンのコンベンションが10月13日19時より東京津田ホールにて開催となった。
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テノール歌手フィージン、ついに日本デビュー
やさしくて力強い感動的な歌声と、自動車会社に就職後にオペラ歌手を目指したという異色のキャリアが早くからクチコミで話題となっていた韓国出身のテノール歌手フィージンが、11月9日にCDシングル「ただ愛のために/10月のある素敵な日に」で日本デビューを果たす。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
1977年韓国・慶尚北道(Gyeonsangbuk-do)生まれ。POPERA、テノール歌手。
工業高校時代の音楽教師が音楽大学への進学を勧めるが、経済的事情で断念。卒業後、韓国大手のKIA自動車会社の設計研究室にエンジニアとして働く。音楽への情熱は失せることなく、会社勤務を終えてからの過酷な環境の中で声楽のレッスンを続け、音楽家への道を志す。専門教育を受けていないハンディを背負いながらたゆまぬ努力と強い意志で夢に挑戦し、1999年ソウル大学声楽科に合格。名誉教授イ・インヨンに師事。
2001年米国 Bethesda Christian University主催の韓国Bethesda Contestで1位、2002年Nanpa Festivalで大学生声楽部門2位を受賞。
2003年~2006年軍隊にコマンドとして入隊。2008年3月、自画像ともいうべきアルバム「face」をリリース。オペラからポップスまでジャンルを超越した音楽の可能性に挑戦したそのアルバムは高い評価を得、KBS9時のNEWSやMBC NEWSなど韓国メディアに数多く取り上げられ大きな話題となった。
2010年5月より日本での活動をスタート。同年8月、明治大学で開催された「国際コルチャック会議(特別名誉会議長
黒柳徹子)」で唯一人韓国からボランティアで記念コンサートに参加し、国際親善を果たした。同年11月、聖路加国際病院で理事長、日野原重明先生のご紹介で患者さんはじめドクター、看護師などに歌を届けるために来日。2011年1月、東京・紀尾井ホールで「Whee Jine New Year Concert in Japan,2011」で日本でのコンサートホールデビューを飾り、皇后陛下の公式な臨席を受け、韓国のKBS、SBS、MBCなどにニュースとして大きく取り上げられ、韓国と日本の心が繋がるコンサートとして高い評価を得た。
3月11日に発生した東日本大震災で傷ついた子どもたちへ思いを伝えるため来日し、被災地の子どもたちと音楽交流を重ね、子どもたちからたくさんのあたたかなお礼メッセージーを受け取った。
11月9日、EMIミュージック・ジャパンより日本デビュー・シングル「ただ愛のために/10月のある素敵な日に」をリリース。また、11月14日、東京オペラシティコンサートホールで日本を代表するミュージシャンと共演し、被災地の子どもたちと難民の子どもたちへの支援コンサート「Whee Jine Concert in Autumn,2011」を開催した。
工業高校時代の音楽教師が音楽大学への進学を勧めるが、経済的事情で断念。卒業後、韓国大手のKIA自動車会社の設計研究室にエンジニアとして働く。音楽への情熱は失せることなく、会社勤務を終えてからの過酷な環境の中で声楽のレッスンを続け、音楽家への道を志す。専門教育を受けていないハンディを背負いながらたゆまぬ努力と強い意志で夢に挑戦し、1999年ソウル大学声楽科に合格。名誉教授イ・インヨンに師事。
2001年米国 Bethesda Christian University主催の韓国Bethesda Contestで1位、2002年Nanpa Festivalで大学生声楽部門2位を受賞。
2003年~2006年軍隊にコマンドとして入隊。2008年3月、自画像ともいうべきアルバム「face」をリリース。オペラからポップスまでジャンルを超越した音楽の可能性に挑戦したそのアルバムは高い評価を得、KBS9時のNEWSやMBC NEWSなど韓国メディアに数多く取り上げられ大きな話題となった。
2010年5月より日本での活動をスタート。同年8月、明治大学で開催された「国際コルチャック会議(特別名誉会議長
黒柳徹子)」で唯一人韓国からボランティアで記念コンサートに参加し、国際親善を果たした。同年11月、聖路加国際病院で理事長、日野原重明先生のご紹介で患者さんはじめドクター、看護師などに歌を届けるために来日。2011年1月、東京・紀尾井ホールで「Whee Jine New Year Concert in Japan,2011」で日本でのコンサートホールデビューを飾り、皇后陛下の公式な臨席を受け、韓国のKBS、SBS、MBCなどにニュースとして大きく取り上げられ、韓国と日本の心が繋がるコンサートとして高い評価を得た。
3月11日に発生した東日本大震災で傷ついた子どもたちへ思いを伝えるため来日し、被災地の子どもたちと音楽交流を重ね、子どもたちからたくさんのあたたかなお礼メッセージーを受け取った。
11月9日、EMIミュージック・ジャパンより日本デビュー・シングル「ただ愛のために/10月のある素敵な日に」をリリース。また、11月14日、東京オペラシティコンサートホールで日本を代表するミュージシャンと共演し、被災地の子どもたちと難民の子どもたちへの支援コンサート「Whee Jine Concert in Autumn,2011」を開催した。