【インタビュー】Non Stop Rabbit、憧れたバンドマンは“金・酒・女”

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結成5年目を迎える3ピースロックバンドであり、YouTubeの総チャンネル登録者数が71万人以上を誇る人気YouTuberでもあるNon Stop Rabbit。V(ビジュアル)系ならぬY(YouTuber)系バンドとして今もっとも勢いのある彼らが、アルバム『爆誕-BAKUTAN-』で、Y系バンドとしては初となるメジャーデビューを果たすこととなった。

◆撮り下ろし画像

ステイホームや活動自粛といった昨今のきっかけではなく、バンド結成から間も無く訪れたピンチをチャンスに変えるべく始めたYouTube。当初は心ない声も多かったそうだが、その逆風も今や追い風に変わり、彼らの代名詞となってその名を広げ続けている。喜怒哀楽も、欲も、夢も、包み隠さず我が道を行く3人に話を聞いた。

   ◆   ◆   ◆

■すぐ有名になると思っていたけど、そんなに甘くはなかった

──Non Stop Rabbitは、Y(YouTuber)系バンドという風に言われているそうですね。

矢野晴人(Vo&B):みたいですねぇ(笑)。

田口達也(G&Cho):僕らが言い出したことじゃないんですけどね。何系って表す時にわかりやすいのかなっていうことで、一応YouTuber系と。大人が(笑)。

太我(Dr):“大人が”(笑)。でも増えていけばいいですけどね、Y系のバンド。

達也:なかなか言う機会ないけどね。「どんなバンドやってるの?」「Y系です!」みたいな(笑)?

晴人:V系ほど知名度ないから。でもそれくらい浸透するようになったらいいですよね。


──Non Stop RabbitはそのY系バンドとして初のメジャーデビューということでも注目されているわけですが、メジャーデビューは当初からの目標だったんですか?

達也:全然。というか、するのが当たり前だと思っていたんで。俺らはドームツアーとかそういうところに目的というか目標があったから、そのために必要な要素として普通に考えていたんです。だからこれも通過点のひとつというか。

太我:バンドを始めた頃はもっと早く、1年くらいでメジャーデビューするもんだと思ってました。でも全然出来ないから、自分らでYouTubeとか始めたっていう感じなんですよね。

達也:全てにおいて遅いです。感覚的には。

太我:すぐ有名になると思っていたけど、そんなに甘くはなかったです。

──当時、YouTubeを使って自分達をアピールしている人は周りにも結構いたんですか?

達也:いや、一切いなかったです。しかも僕らめちゃくちゃバカにされましたし、ファンも一瞬いなくなりました。

──どうしてそういうことに?

達也:3年ぐらい前だったと思うんですが、YouTuberってバカなことやってる奴らみたいな世間的なイメージがあって、でもそこから「なりたい職業ランキング」に入り始めて、大人が「なんだ、あれ」って言ってた時代で。僕らはちょうどその頃ずっとやっていた路上ライブが出来なくなったからYouTubeを始めることにしたんですけど、世間がそんな感じだったから、路上ライブを通してファンになってくれた人が「なんでYouTuberなんかに落ちちゃったの?」って、そういう言い方をしてきたんです。


──てっきり集客やセールスに繋がって行ったんだろうなと思っていたので、意外な展開で驚いています。

達也:僕ら、ライブハウスではやらないと決めてNon Stop Rabbitを組んだので、路上ライブしかなかったんですね。売れてもいない自分達を求めてファンが来ないライブハウスでやっても、そこにいる2〜3人にしか響かない。たくさんの人に聴いてもらう必要があるのに、そこでやっていたら僕らは一生スターになれないから、仲のいい人からのお誘いもライブハウスとの関係も一度全部切って、それでもいいから売れたいという思いで路上ライブを始めたんです。

──だけどその路上ライブも出来なくなったから、起死回生の策でYouTubeを始めたと。

達也:全部なくなったから、もう後に引けない状態だったんですよね。YouTuberはバカにされていたけど、「いや、俺たちの方がオモロいんじゃね?」って、勢いで始めました。

──そして、音楽とは関係ないところから興味を持ってくれる人がどんどん増えていったと。

晴人:最初は戸惑いましたよね。誰がこんなに見てるんだ!?って(笑)。でも、もうこれしかなかったし。

達也:自分達を信じて、やるしかなかったんですよ。その頃起業もしたんですけど、400万赤字になって、あと100万で潰れますみたいなところまで来て崖っぷちでしたから。それくらい人気出なかったし、稼げなかったし。

晴人:バイトもしながらでね。

達也:壮絶な下積みです(笑)。

──それでも乗り越えられたのは、この3人で音楽がやりたかったからですよね。

達也:そうですけど、もともと太我が「25までにこの仕事でメシ食えなかったらやめる」って言ってたんですよ。10年頑張ってやっと売れましたって人もいるけど、僕はそういうのってたぶん親とか家族は幸せじゃないと思うから、だったら太我と晴人が25歳になるまでにこの3人で売れなかったらやめようって決めたんです。そこで、思いっきり本気になったんですよね。

太我:僕、今年25になったんですよ。めっちゃメシ食ってます(笑)。

──(笑)。すごい人生ですね。壮絶だけど、今となっては清々しさすら感じるというか。

晴人:うん、楽しいですよ。

達也:常にオモロかったです。めちゃくちゃ。


──さっき親や家族の幸せのことも考えてと言われましたが、そこを大事にしていない人も多いですよね。

達也:僕は岐阜から出てきたんですが、親は「スターになるって言って東京に行った!」って盛大に送り出すわけですよ。「どうなるかわからんけど」と言いつつも、言ってみれば自慢なわけで。それが、時間が経てば経つほど自慢じゃなくなっていく。いや、ずっと自慢かもしれないけど、周りからしたら「何年そんなことやってるの?」ってなりますよね。そういうのは普通にかわいそうだなと思ったんです。自分が親だったら嫌だし。

──なるほど。

達也:何者でもなかった奴が必死にしがみついているって俺ら自身が思うのはいいけど、親がそんな目で見られていたら嫌だなって。仕送りももらっていたわけだし、早く売れて恩返ししないと。今はマイナスな息子でしかないからって、めっちゃ思ってました。

太我:僕はもともと、ダラダラやるのが好きじゃないタイプで。だから25までに何ともならなかったら違うことやろうって、普通に思ってました。お父さんの仕事を継ごうとか。

──そんなに具体的に。ちなみに晴人さんは?

晴人:高校を卒業した段階では、保育士になろうと思っていたんですよ。4年制大学に受かって1年だけ行ったんですが、どうしても音楽が諦められなくて。親に相談したら、「迷っているならやりなさい」って、後押ししてくれたんです。入学金とかもたくさん払ってくれたのに。特に事務所から声がかかっているわけでもなく、何者でもなかった僕に委ねてくれた両親がいるので、少しでも形になってきてよかったなって今は思ってますね。

──そういう思いがあったから、今回のアルバムのジャケットはこういうことになったんですか?

晴人:そうですね。

達也:(晴人と同時に)いや、シンプルにオモロいかなと思って。

晴人:「そうですね」って言っちゃったよ! そこは合わせろよ(笑)!

達也:(笑)。もちろん親孝行もありますよ。でも、シンプルにこれがCDショップに並ぶのって…。

太我:オモロいよなって(笑)。

▲『爆誕 -BAKUTAN-』通常盤ジャケット

──息子とお父さんって、確かにインパクトありますよね。

達也:メジャー1発目だから出来ることしたいよねってところから、お父さん出したらオモロくない?と。俺らを生んだ、つまり“爆誕”させた親をジャケットに使って『爆誕-BAKUTAN-』(笑)。いい感じに結びつくし、じゃあこれだなって感じで決まりました。

──息子達のメジャーデビューに関してなど、お父様方は何かコメントされているんですか?

達也:話さないんですよね、お父さんとは。僕、実はお父さんと約束していることがあって。18歳で上京してきたんですが、10年経って何者にもなっていなかったら帰って来い、ゲームオーバーだと言われていたんです。で、今年9年目。だからこれで大丈夫なと思っているんですけど、男同士、そういう話はしないですからね。

晴人:うちもあまり会わないし。

太我:僕は割とそういう話もしますね。お父さんは、レーサーになりたかったけど現実を考えて大工になったんですね。それをいまだにめっちゃ後悔してて。だからお前だけは何でも好きにやれ、その代わり死ぬ気でやれって言ってくれてます。

──それぞれの感じで、きっと喜んでいらっしゃるんだと思います。撮影はスムーズに行われたんですか?

達也:はい。なんかソワソワしてましたけど(笑)。

晴人:向こうが(笑)。

達也:緊張しつつも”親父”じゃなきゃいけないみたいな感じでいるんだけど、明らかにトイレ行く回数多いよね、みたいな(笑)。

──微笑ましいエピソードです(笑)。でも喜んでいらっしゃるのはご家族だけでないですね。今回のメジャーデビューに関して、ファンの方はどのような反応でしたか?

達也:もちろん喜んでくれていますけど、意外と「やっと?」とか「え、してなかったっけ?」みたいな反応も多かったんですよね(笑)。

──メジャーとかメジャーじゃないとか関係なく、応援して来られたからでしょうね。だけど今年はこういう状況でしたから、その年末にドカンと発表できたことは、ファンの皆さんにとってもバンドにとっても、意味のあることだったのではないかなと思います。

達也:自分らの強さに気付けたというか。僕らYouTube始めた時に「アーティストなのに、アーティスト以外のことをやるんだ」とか、起業した時も「アーティストのくせに起業するんだ」なんて言われてきたんですが、結局、そうやってきた俺らが今勝ってる時代が来た。音楽でメシ食えなくてやめていく人達ばっかりの中で、僕らはライブをやらないって決めた状態でYouTubeで活動しつつ、こうやってリリースが出来る。それは、このスタイルだったからこそなんです。改めて、いい決断をしてきたなってすごく感じた1年でしたね。

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