【インタビュー】DraiN、『GO FOR BROKE』は来たる10周年への第一歩「意地もあった」
DraiNが11月6日、フルアルバム『GO FOR BROKE』をリリースする。2014年リリースのマキシシングル以来、5年ぶりとなる新作は新たなベーシストとドラマー加入後の初音源でもある。
◆DraiN 画像
バギートランプ~PLOP~Tabas.co〜D.E.F.T.といったバンド歴を持つ440(Vo)を中心として2010年、元・夜叉の福島(G)と始動。プロレス団体“666”主催イベントへのライブ出演や、440が1日限りのリングデビューを果たすなど、その活動は音楽シーンを軽々と飛び越え、<芝居×ライブ>のコラボにも挑戦した。しかし、この9年間のうちには活動の一時休止や福島の脱退も。度重なる困難を乗り越えながら、2017年10月にMAKI(B)、2019年8月にTamaryang(Dr)が正式加入。そして完成したフルアルバムが『GO FOR BROKE』だ。直訳すれば“壊れゆく”だが、この言葉は“すべてを賭ける”という意を持つ。
「意地でやり続けてきた」とは440の発言だが、経験も実績もすべてが注ぎ込まれた『GO FOR BROKE』には来年結成10周年を迎えるDraiNの描く未来像がほとばしる。バンドの成り立ちから、3人がガッチリとスクラムを組んだ現在、そして『GO FOR BROKE』について440、MAKI、Tamaryangに訊いたロングインタビューをお届けしたい。
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■ヴィジョンは自分が全力を出しても
■個々が立つようなバンド
──DraiNは、どういう成り立ちでスタートしたバンドですか?
440:2010年以前に、前身バンドがあったんです。そのバンドは海外のプロレスの入場曲のカバーから始めて、ヘヴィではあったんですけど、今よりもキャッチーなものでした。でも、僕はもともとスラッシュメタルが好きなんで、さらにエグいのをやりたくて。その後、元・夜叉の福島がギターで入ったとき、バンド名も変えちゃおうってことでDraiNが始まったんです。来年で結成10周年になりますね。
▲440 (Vo) |
440:曲は全部自分が書いていますけど、思うようなギタープレイを全部、福島は持ってきてくれて。たとえば、“ザック・ワイルドみたいなピッキングハーモニクスがほしい”と思って曲を投げると、言葉で言わなくてもそういうアレンジをしてくれていたんですよね。ただ、2015年にワンマンライブをやったとき、福島がダメになっちゃって(苦笑)。バンドのメンバーが自分一人になった時期が1〜2年ありました。その間にセッションバンドでライブをやったときに出会ったのがMAKI。ステージングもカッコいいベーシストだったんで誘ったんですよ。
MAKI:世代的に影響を受けたのがX JapanやLUNA SEAなんです。その後、モトリー・クルーやガンズ・アンド・ローゼズ、ハロウィンだったり、メロスピ(メロディックスピードメタル)系やシンフォニックメタルからも影響を受けましたね。上京してからスラッシュ系のバンドもやっていたし。もともと夜叉のドラムで、今はANTHEMで叩いている田丸勇とバンドをずっとやっていたので、そのつながりで440さんを紹介していただいて。それでセッションバンドでライブをしたという流れですね。
440:それまで女性とバンドを組んだことがなかったので、おもしろいかなというのもあって。でも、福島が脱退してから正式ギタリストがなかなか見つからなくて、未だにいないんですけどね。だから活動も、曲だけ書いているような状態が続いて。あと一度、セッションでイベント<メガトンクラブ>に出演させてもらったこともあります。
──実の兄貴である元D.T.Rの竹内光雄にお願いして?
440:そう、あの光雄です(笑)。たまには弟も出させてくれと(笑)。その<メガトンクラブ>のときにサポートでドラムを叩いてもらったのがTamaryangです。
Tamaryang:僕はもともと元NOVELAの五十嵐さんとバンドを組んでいて、五十嵐さん絡みの仕事現場でMAKIと出会ったのかな。そこから何度かお互いに仕事を振り合ったりして、<メガトンクラブ>のサポート仕事という話もきたんですよね。それがきっかけでDraiNのレコーディングにも参加して、その後、「正式にやれよ」と言われ(笑)。ふたつ返事で今年、DraiNに加入しました。
▲MAKI (B) |
440:完全に下がっちゃっていて。今年、亥年で僕は年男なんですよ。“ここでやるしかないな”と思って。自分は絵も描いているんですけど、創作物を全部、表に出したいなと思って、一気にモチベーションを持ち上げたんですね。
──でも10年といったら長いですよね。うまくいかずにバンドをやめちゃう人だっている。なぜ続けられたんですか?
440:本当に音楽やバンドをやめていった連中のほうが多いですからね。それでも続けてきたのは、意地もあったんですかね。ずっとバンドをやってきて、ここでやめちゃったらどうなんだ……と。自分で曲も書けるし、自分なりにいいものを書いていると思っているんで、やっぱり聴いてもらいたいなって気持ちが大きかったですね。それにメンバーも徐々に集まってきていたし、自分のコンディションだけでメンバーに迷惑も掛けられない。やめようと思う時期も確かにありましたけどね。このまま続けても、メンバーが集まらないしって。
──でも、続けているわけで。
440:やっぱり、今年が亥年っていうのが大きかったですかね。50歳を前にして、やらなきゃなって。去年の夏以降なんですけど、“2019年に向けて動き出そう”と。最初はヴィジョンも見えなかったですけどね。とりあえずって形でスタートを切ったんで、やりながら“こうしたらいいんじゃないか”って、いろいろ試行錯誤もして。一人だけの考えだけじゃなくて、メンバーがいれば3人の考えも集まるんで、“これはおもしろいな”って案も出てきたりして。
▲Tamaryang (Dr) |
Tamaryang:440さんの楽曲を聴いて、“現代のサウンドを踏まえた尖ったものを作りたいんだな”とわかったんですよ。まずは440さんの考えているサウンド像を形にしようってことです。
MAKI:私もいろんなサポート現場を経験してきたんですけど、サポートというと自分を抑えなきゃいけない部分もあるんです。だから、自分を思いっ切り出せるバンドをやりたくて、ずっと探していたところでもあって。自分が全力を出しても、個々が立つようなバンドというヴィジョンもありました。そんなときに440さんのセッションバンドをやらせていただく機会があって、歌声もカッコいいし、自分を出しても認めてくれたので、このバンドなら正式加入してもいいなと思ったんです。それに“海外に向けて”って話を440さんから聞いていて、私も同じ考えでもあったので、このバンドに加入したんです。
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