【インタビュー】ポール・ドレイパー、マンサンからソロワークまで大いに語る

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英国の古都チェスターを拠点にした4人組マンサンがシーンに躍り出たのは、栄華を極めたブリットポップが終盤に差し掛かった1990年代後半のこと。1997年の耽美な1作目で堂々の全英1位を獲得後、翌1998年に衝撃的な意欲作『SIX』を発表した彼らは、熱烈な支持を得ると同時に孤高の地位を築き上げた。そのマンサンのフロントマンかつメイン・ソングライターであり、音作りの要だった中心人物が、ポール・ドレイパーだ。

2003年のバンド解散後は、長らくプロデューサー業や楽曲提供などのスタジオワークを中心にしてきたが、14年間の“沈黙”を破り、初のソロ・アルバム『スプーキー・アクション』を2017年にリリース。それを受けて本格的なライヴ活動に復帰している。今回、アコースティック・ライヴという形で、ポールにとって何と19年ぶりとなる来日公演が実現。ソロ曲からマンサンの人気曲までを披露するというそのライヴを前にした意気込みや、現場復帰までの心境、日本への思いや今後について聞いた。

──マンサンとして2000年に来日(8月のサマーソニック出演、及び12月の単独公演)して以来、実に約19年ぶりとなる日本ツアーがいよいよ間近に迫ってきました。今の率直なお気持ちは?

ポール・ドレイパー:本当に久しぶりだよね。ソロ・アーティストとしてツアー活動を始めてから、一番行きたいと思っていた場所のひとつが日本なんだ。ライヴやファン、あらゆることをひっくるめ、日本には素晴らしい思い出がたくさんあって、僕にとってはずっと特別な場所だった。日本も日本の文化も大好きだからね。今回こうしてソロ・アーティストとして再び日本の地を踏めて、しかもファンの皆がライヴに足を運んでくれるなんて、夢が現実になった気持ちだよ。

──最初の公演(3月7日:渋谷TSUTAYA O-nest)が発表されると即ソールドアウト、追加公演(3月6日:同)もすぐに完売と凄い反響だったんですが、それはお聞きになりました?

ポール:1公演目のチケットが発売になった時は、どういう反応が得られるのか、僕自身全く予想がついていなかったんだ。でもそれが即完売になり、また追加公演もソールドアウトになったと聞いて、良い意味でのショックというか、衝撃を受けたよ。でも心から嬉しかった。その2公演が売り切りれた後も、チケットはもう手に入らないのかというファンからの問い合わせが多くて、特に大阪や関西方面からの要望が高かったから、それで大阪公演(3月8日@心斎橋FANJ)の実施が決まったんだ。また東京の方も、チケットを買い逃した人や平日には来られない人のために、土日の日程で2公演(3月9、10日@下北沢CLUB Que)が再追加された。これほど熱心に支持してくれる人達が今も日本にいることが本当にありがたいし、今回5公演に渡ってソロとマンサン時代の両方の曲を披露することができるなんて、僕は恵まれているとしか言いようがないよ。

──つまり、想定を超えた反応だったと?

ポール:うん、まさかこれほどとは予想もしていなかった。でも純粋に嬉しいし、できるだけ多くの日本のファンの前でプレイしたいと思っているんだ。新たに設定された大阪公演と土日の東京再追加公演も、同じように埋まれば嬉しいよ。マンサン時代に聴いていてくれた人達にも、今回の来日情報が行き渡るよう願っている。後になって「見逃した!」ってことにならないようにね。皆で一堂に会して音楽を共に分かち合う記念の機会を誰にも逃して欲しくないから。

──そもそも今回の来日は、ファンの要望がプロモーター側に届いたのがきっかけで実現したんですが、それはご存知でした?

ポール:ファンの人達がプロモーター側に、来日希望アーティストを伝えるという仕組みがあるんだってね。そしてマンサンのファン、ソロとしての僕のファンでもあると思うんだけど、その人達が僕の来日を願って多くのリクエストを送ってくれたそうなんだ。だからファンのパワーをきっかけに、プロモーターの協力でこの来日が実現した。今も僕のことを忘れていない熱いファンが日本にいて、すごく幸運だと感じるし、僕を日本に招んでくれたプロモーターにもとても感謝しているよ。

──今回のツアーでは、17年に発表した初ソロ・アルバム『スプーキー・アクション』の曲も日本で初披露されるわけですが、同作はリスナーからも評論家筋からも高い評価を受けましたね。

ポール:ソロ・アルバムを出すに当たり、僕にとって最も重要だったのは、現存するマンサン・ファンがそれを受け入れてくれるかどうかってことだった。このアルバムはマンサンのどの作品にも決して引けは取らないと、僕は信じていたよ。ファンの方も失望はしなかったようだから、批評家からの高評価だとか、英国で年間最優秀プログレッシヴ・ロック賞にノミネートされたりしたことだとかは、予期せぬ贈り物というか、良い意味でのおまけだった。正直、ファンの反応が不安だったんだけど、気に入ってもらえて良かったよ。嬉しいというよりは、ホッとした。

──マンサン時代からのファンだけでなく、今ではバンド解散後にマンサンのことを知って、過去のアルバムや、あなたの音楽を聴くようになったリスナーも大勢います。今の時代はギター・ミュージックも多様化し、マンサンが活動していた頃よりも、多彩な音楽が同時に受け入れられるようになりました。様々な意味において、マンサンは時代を先取りし過ぎていたのでは、と思わずにいられないことも多々あるのですが…。


ポール:そうだね、実際マンサンの解散後、口コミやストリーミング・サービス、動画サイトやアナログ盤の再発を通じて、大勢の音楽ファンがマンサンを“発見”していることに驚いているよ。全く新しい世代の色んなバンドが、影響を受けたバンドとしてマンサンを挙げていたりもするし。正統派ブリットポップ・バンドとは対照的に、マンサンはギターの可能性に挑戦して実験を試みたり、中性的な華やかさを前面に押し出していたりシンセサイザーを活用したりして、当時の標準的なブリットポップ作品よりも複雑なアルバムを作り上げていたわけだけれど、そういったバンドが成功する見込みは、近年では昔よりずっと大きくなっている。例えばパブリック・サーヴィス・ブロードキャスティングや、ブラッド・オレンジ、ブロック・パーティをはじめとする数多くのバンドが、大きな影響源にマンサンを挙げてくれているのは、すごく嬉しいことだよ。僕らはある意味、生まれる時代を間違えたバンドだったのかもしれない。恐らくこれからもずっとそんな存在であり続けるんだろうね。

──2003年のバンド解散後、あなたはプロデューサーや楽曲提供・共作者として主に活動し、約13~14年間、多くの時間をスタジオで費やしてきました。そしてソロ作発表後、ライヴに本格復帰したわけですが、こうしてまた再び人々の前で生演奏したり、観客と直接コミュニケーションを取るようになっていかがです?

ポール:最初は不安だったし緊張したよ。でも復帰後、これまで50公演ほどやってきたから、勘が戻ってきて、ステージでのパフォーマンスには慣れてきた。自分のスタジオを持てるようになったことが楽し過ぎたから、ライヴ活動への復帰は「ないとは言い切れない」という気持ちで、当初その予定はなかったんだ。まさかソロ・アルバムがこれほど成功を収めるとは思っていなかったからね。

──では、要望に応える形での復帰決意だったと。

ポール:そう、だからツアーをやってほしいという声がある限りは、ライヴを行い続けていくつもりだよ。チケットが売れ続ければ、の話だけどね。

──スタジオワークに従事していた頃、ライヴやツアーが懐かしいな、と思ったことはありました?

ポール:マンサンでツアーすることがなくなってしまった当初は、人生が空っぽになってしまったような虚しさを味わっていたことがある。ソロ・アーティストとしてライヴを始めることになった時は、初ギグの何週間も前からずっと心配でたまらなかったんだ。人々はどう受け止めるだろうかとか、自分はまだやれるのかとかね。でも徐々に慣れてきて、今では昔以上に楽しんでいるよ。コンサートというものに対して今は以前とは違う気持ちを持っていて、オーディエンスからエネルギーを引き出したり、彼らのエネルギーと一体化しているような気分になり、それが自信に繋がる。そういったことがギグの間、僕を支えるエネルギー源になっているんだと思う。

──ライヴ・パフォーマンスの面で言いますと、バンドのフロントマンという立場でステージに立っていた頃と、ソロ・アーティストとしてバック・バンドを率いている現在で、最大の違いは何でしょう?

ポール:今のバック・バンドはすごくタイトなんだ。マンサンはライヴにおいてはパンキッシュだったけれども、今のバンドはミュージシャンとしての技量が高いから、演奏はアグレッシヴではあっても、マンサンのパンキッシュな勢いと比べると、よりコントロールが効いているね。

──『スプーキー・アクション』は、マンサンが成し遂げてきたものからの自然な進化形・発展形であると同時に、現代性を持った作品だと個人的に感じています。ライヴのセットでその両者の楽曲が違和感なく混じり合うことが可能な理由は、そこにあると思うのですが。

ポール:その通りだよ。『スプーキー・アクション』は音楽的に、僕がマンサンで中断した所に立ち返り、そこから再び前に進んだ作品なんだ。とはいえ、同時に音作りに関しては今日的であるよう最新のプロダクション技術を用いることによって、曲に“現代感覚”を持たせ、古臭い音にならないようにした。ひとつのコンサート全体を構成する上で、マンサンの楽曲と僕のソロ曲はスムーズに溶け合える。かなりうまくいっているよ。ソロ・アーティストとしては、現代に通用する今日的な意義のある存在でありたいと思っているから、新しい音楽を作っていない限り、続けていきたいとは思わない。でもその一方で、マンサンの楽曲は喜んでライヴ・セットに取り入れたいんだよね。だってどちらも僕の曲なんだから、当然といえば当然というか。

──これまで英本国では、フル・バンドを率いて、ソロ・アルバムのツアーやマンサンの1作目『アタック・オブ・ザ・グレイ・ランターン』の21周年記念ライヴ等を行ってきましたよね。スティーヴン・ウィルソンのサポート等も行った後、アコースティック・ソロ・ツアーに乗り出したわけですが、心構えや選曲についてなど、アコースティック・ライヴを行う上での違いを教えてもらえますか?

ポール:アコースティック・ライヴなら、フル・バンドの時ほどプレッシャーがないんじゃないかと思っていたんだよ。でも実際やってみたら、皆、大騒ぎですごく盛り上がって、大体いつも最後は大合唱になってね。僕とベン(・シンク)の2人だけのステージでこんなフル・ギグのような雰囲気が生まれるなんて、まさか思ってもいなかったんだ。それはともかく、アコースティック公演を行うに当たっては、僕のヴォーカルが先導する形でライヴを引っ張っていくこと、そしてオーディエンスとの繋がり合いを大事にしようと思い、それがうまくいったみたいなんだ。観客との一体感があって、アコースティックでもまるでフル・バンド公演をやっているみたいに、エキサイティングでエモーショナルな雰囲気を生み出せた。実際にやってみるまでは、そんなことが可能だとは思ってもいなかったんだけど、すごく特別な雰囲気を形成できていると思う。

──デビュー以来ずっと、あなたは常に、複雑なサウンドやエフェクトを操ると同時に魅力的なメロディを生み出す“魔術師”でした。アコースティック・ライヴの場合は特にヴォーカルとメロディの美しさが強調され、聴き手の側としては同じ曲を別の角度から味わうことができると同時に、曲そのものが剥き出しの形になることによって、ソングライターとしてのあなたの力量が証明されることにもなります。アコースティック・ライヴで特に気を配っている部分があったら教えて下さい。

ポール:まずその“魔術師”っていう表現、気に入ったよ。マンサンの作品では、確かにプロダクションにもの凄く凝っていた。だからアコースティック・ライヴで1時間半に渡り、自分の楽曲を剥き出しの形で披露することは、僕自身にとってもチャレンジなんだ。装飾的なプロダクションを取っ払った形で、歌い手としてソングライターとして、自分を試すわけだからね。僕のソングライティング力とシンガーとしての歌唱力は、実際にこのアコースティック・ライヴに足を運んでもらえれば、観た人がそれぞれ判断してくれると思う。難しい挑戦だけど、これまで観た人達からは肯定的な感想をもらっているから、日本のファンがどういった反応を見せてくれるか、すごく興味深いんだ。今回初めて僕をライヴで観る人、そしてマンサン時代に観たことがある人が、最も剥き出しの形で呈示された僕の声と曲をどう感じるか。アーティストとしては究極の試練だね。

──最近のアコースティック・ツアーのセットリストを拝見しましたが、ソロ・アルバムに加え、マンサンの全4作の収録曲から選曲を行っていますね。選曲の決め手、そして日本公演に向けての構想を聞かせて下さい。


ポール:自分のキャリア全体から満遍なく曲を選びたかったんだ。この先、ソロ作品を作り続けていけば、当然ながらライヴのセットリストにはソロの楽曲の割合が増えていくことになる。でも現時点では、ソロ・アルバムからは特にアコースティックでの演奏に適したものを厳選し、1時間半というライヴ時間の中で、マンサンの楽曲をある程度セットに取り入れられる余地を残すことにしているんだ。それで、これまで一度もライヴでやったことのない曲や、個人的なお気に入り曲、あるいはチャレンジだと感じられる曲などを含めて選んでみた。こういったアコースティック公演では、自分の可能性を試してみたいんだ。音の装飾を削ぎ落とし、ギター1本と声だけでも、ひとつの曲としてしっかり成り立たせられるかどうか、ってね。

──なるほど。ところでセットリストと言えば、土日に行われる東京の再々追加公演は、昼12時開演という変則的な時間設定で、だからこそ何やら特別感も漂っているのですが、この昼公演は何か違った趣向などあるのでしょうか?

ポール:もちろんだよ。この昼公演では、他の日本公演とは違う曲もやるつもりなんだ。他の日程に行く予定が既に決まっている人達が、また行ってみようかなって思った場合に備えてね。土日公演では、少し内容に変更を加えるつもりでいる。新しい曲を幾つかやってみたりってことも含めてね。だから平日公演のチケットを既に持っている人でも、可能ならぜひ土日も来てみてほしいな。週末はまた違った体験ができるはずだよ。

──実に楽しみです。ところで大阪公演が追加されたことは西日本方面のファンにとっては朗報ですが、あなたにとってはとんぼ返りとなるわけで、かなりの過密スケジュールになりそうですよね。その辺り、覚悟のほどは?

ポール:日本にまた行けること自体、待ち切れないし、大阪のライヴが実現したこともすごく嬉しいから、過密スケジュールに関しては心配していないよ。日本が大好きだから、可能な限り日程を詰め込みたいと思っている。再び日本の地を踏むことを、これまで文字通り夢に見てきたんだ。だからそれがいよいよ実現するわけで、一瞬一瞬を思う存分堪能するつもりだよ。マンサン時代の来日では、大阪も東京と同じくらい大好きになって、楽しく過ごさせてもらった。また大阪の街を見たり、現地の人達に会うのが待ち遠しいよ。新幹線に乗れたら嬉しいな。

──ぜひ楽しんでください。さて、3月22日にはマンサンの2作目『SIX(SIX~21st アニヴァーサリー・リイシュー)』が日本でもリリースされます。ポストパンクからプログレ、インディ・ロックまでを呑み込んだ、野心的な創造性と革新的なギター・サウンド、魅惑的なメロディ、そして複雑な構造や予測不能な展開に満ちたあのアルバムは、同時代には他に類するもののなかった衝撃作で、1998年の発表当時、賛否両論を呼びました。あれから21年の歳月を経て、その真価を認める人が非常に増えていると思うのですが。

ポール:そうだね、確かに先ほど挙げたバンドの他にも、英国では実際にマンサンに影響を受けたと公言するバンドが色々いて、僕も直接、他のミュージシャン達からそう言われたことがあるよ。優れたアルバムだと言ってくれる人々がいるということは、当然ながら作品の正当化に役立つ。だけど当時の評論家の多くが求めていたのは正統派プリットポップで、そういった作品が高い評価を受ける状況にあったんだ。『SIX』は賛否両論を呼んだと思うし、馴染むまでに何度か聴く必要がある作品かもしれない。だけどじっくり聴き込めば、それに見合う聴き甲斐があるし、凄く良い楽曲も収録されているよ。『SIX』リイシューの4枚組デラックス盤の方には、制作過程で僕が何をどう考えていたのかについて書いた解説が付いていて、そこでアルバムの構成について説明している。現在ではこのアルバムの真価を認めてくれている人が充分にいるから、1作目の記念盤がリイシューされた時と同様、今回もどうやら全英チャートに再びランクインしそうなんだ。これを変なアルバムだと思う人がまだいたとしても、近頃ではもうあまり気にしていないよ。

──今回のリイシュー盤の目玉を挙げるとしたら?

ポール:そうだな、幾つかあるけど、まず今回は、オリジナルのマスターテープから完全なリマスターを行なったんだ。ザ・フーのマスタリングを手掛けた伝説的なエンジニアのジョン・アストリーが担当してくれたんだよ。もうひとつの目玉は、4枚組のデラックス盤だね。ディスク2は『SIX』期の未発表音源やデモで構成されている。また『SIX』期のEP同時収録曲を集めたディスク3は、ファンの間では『デッド・フラワーズ・リジェクト』という名で知られていた幻の企画アルバムで、今回初めてその企画が実際に形になったんだ。更にディスク4のDVDには、アルバムの5.1ステレオ・サラウンド・サウンド・ミックスと、当時のプロモビデオが4曲収録されている。それから解説や様々な写真を収めた48ページのブックレットも付属しているんだ。カルト・クラシック・アルバムとしては驚異的なリイシュー盤になったね。

──では、もし今あなたが10~20代の音楽ファンで、友達にこのアルバムをオススメするとしたら、どんな言葉を添えますか?

ポール:うーん、「これ、聴いてみなよ。ブリットポップ時代の名盤のひとつなんだけど、すごく複雑で、全然理解できなかったっていう人もいたから、何度か聴いてみてほしい。じっくり聴き込めば、お気に入りのひとつになるかもしれないよ。そういった人は大勢いるから」かな。

──このリイシューを機会に、ぜひ多くの人に聴いてもらいたいですね。歌詞の面では、マンサン初期は架空のキャラクター等を用いた物語仕立ての楽曲が少なくありませんでしたが、この『SIX』辺りを境に、その後は最新のソロ作に至るまで、次第にあなたの個人的な心情を表現したものとなっていきました。歌い手としては、そういった視点の違いによって感情の込め方などが変わったりするのでしょうか?

ポール:そうだな、昔と比べると、まずは歌い手として自分自身成長を遂げたんじゃないかと思うんだ。今はバンドの一部ではなく個人として、はっきりと自己表現しなくてはいけないと感じてる部分もあるからね。そういった部分を歌詞の個人的な側面に結びつけることに関しては、自分ではこれまであまり意識してこなかったけど、今こうしてその点を指摘されてみると、間違いなく以前と比べ、歌詞により感情を込めて歌っているように感じる。特にライヴの現場ではね。歌詞の意味を心の中で咀嚼しているのは確かだよ。例えば「ダーク・メイヴィス」のような曲の場合も、スタジオ・ヴァージョンを録音した当時に込めていたであろう感情よりも、今はもっと深い思いや解釈を伴って歌っていると思う。ライヴ・パフォーマンスにおいては全般的に、今は以前よりも情感を込めて歌っているんじゃないだろうか。アーティストは年を重ねるにつれ、まだまだ自分はやれると感じたくて、パフォーマンスにここまで全力投球できるんだと実感する必要があるのかな、とも思うけどさ。

──そう言えば最近タバコを辞めたと聞きましたが、それはツアー活動に復帰するに当たり、より喉を労らなくてはと思ったことも理由にあります?

ポール:正にその通りだよ。これからもツアーを続けていくつもりなら、声を大事にしていかなくてはいけないから、もうタバコは吸えなくなった。以前は多分、1日に10本から20本は吸っていたんだ。でも禁煙した今は、声が以前より少し深みを増し、低めになっていると思う。だからそれが良かったのかどうかは分からないけどね。もし日本酒をキュッとやって、良い気分になったりしたら、ご褒美的に1本くらいは吸ってしまうかもしれない。そういう面では流されやすいというか、あまり意思が強くないからなあ。東京や大阪ではライヴの後、良い店を飲み歩きたいな。

──ところで、話によれば、既に2作目のソロ・アルバムに着手しているそうですね。よりロック色が濃くなると同時にアナログ・シンセも取り入れるとか、歌詞は一転してキャラクターを用いた物語的なアプローチも考えているとか伺いましたが、もう少し詳しく教えてもらえますか?

ポール:今日も、2作目に収録予定の1曲に取り組んでいる途中なんだ。確かに『スプーキー・アクション』よりもロック色が濃くて、少しブルージーだね。とはいえ、昔ながらのアナログ・シンセをアレンジに加えるつもりだから、それによって荒涼とした寂寞感が加わると思う。『スプーキー・アクション』より思い切っていて、ハイファイ。今のところ言えるのはそんな感じかな。総合的には、『スプーキー・アクション』のサウンドを元に、ソロ・キャリアの出発点で踏み出した道を更に先へと進んでいる。全体的な方向性に、前より多少自信がついたからね。一種のエレクトロ・アート・ロックと呼んでいいかもしれないな。

──曲作りや音作りに際し、最近はどういったものからインスピレーションを得ているんですか?

ポール:僕のこれまでの全キャリアを通じて影響を受けてきた80年代初期の作品をまた色々と聴いているよ。ヒューマン・リーグの『デアー』(原題:Dare)や、ソフト・セルの『エロティック・キャバレー』(原題:Non Stop Erotic Cabaret)、それからトーク・トークや初期のウルトラヴォックスなど。他にはキャサリン・ジョセフという英国アーティストの作品も聴いているんだ。ザ・スペシャルズの新作も素晴らしかった。新しい音楽をストリーミングで絶えず流していて、自分のお気に入り曲のプレイリストを作っているんだ。今日はスタジオでドリー・パートンを聴いていて、そこからインスピレーションを得たよ。彼女が1974年に初めてテレビで披露した「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(原題:I Will Always Love You)を聴いていたら、これがまたびっくりするほど素晴らしくてさ。僕は今もカントリー・ミュージックが好きなんだよね。レディー・ガガ主演の映画『アリー/スター誕生』を観たんだけど、すごく良くて驚かされたよ。相手役の髭面の男性は、ちょっと見覚えあり過ぎだったけどね。レディー・ガガは卓越したパフォーマーだよ。僕はバーブラ・ストライサンド(※1976年版の映画『スター誕生』で主演)の大ファンだから、この役をガガがうまくやってのけられるとは思っていなかった。だけどガガは見事だったね。

──これは意外なお話が聞けました。さて、日本ツアーに話を戻しますが、今回あなたのサポート・ギタリストとして一緒に来日するベン・シンクについて、少し教えてもらえますか? ベンがエレキ・ギターでリード部分を弾くことにより、アコースティック・ライヴでもフル・バンドを思わせるような想像性が掻き立てられますよね。

ポール:ベンは28歳で、僕の自宅の近所で地元のミュージシャン達が集って深夜まで一緒に演奏するジャム・ナイトがあったんだけど、そこで出会ったんだ。僕のスタジオで一緒に仕事をしないかと誘い、その後、僕のプロジェクトのエンジニアの一員に加わった。多芸多才のオールラウンドな優れたミュージシャンだから、初のUKソロ・ツアーを僕が行うことになった時、バック・バンドでギターを弾いてくれないかと頼んだんだよ。一連のアコースティック・ツアーを通じて音楽的な関係性がより緊密になったから、ライヴでは以前にも増して欠くことのできない一部となっている。ベンにとっては今回が初来日だから、日本に行くのをすごく楽しみにしているんだ。きっと度肝を抜かれるだろうな。だから僕のファンの皆も、ぜひ彼の初来日を温かく迎えてやってほしい。

──あなた自身にとってはマンサン時代を含め、これが9度目の来日となります。特に印象深かった思い出などはありますか?

ポール:今も動画サイトには、初期の来日時に僕がオレンジ色のツナギを着てギグから帰ろうとするところをファンが追ってくるという、素敵な映像が上がっている。ミュージシャンとして、あれは僕にとって一番凄い体験だったよ。まあ今回はそんなことにはならないだろうけどね(笑)。昔ジョン・レノンが日本滞在中に宿泊していたというホテルで過ごしたのも素晴らしい思い出だな。東京湾の光景は今も脳裏に描くことができるよ。ゴジラがヘドラと対決している場面を想像するんだ。東京の夜景で、高層ビルの赤いランプが点滅する様子も目に浮かぶ。僕は日本のホテルの部屋が好き過ぎて、イギリスの自分の部屋も日本のホテルを参考にデザインしてしまったくらいなんだ。地元の町の生地屋に行って、“ジャパニーズ・ホテル・カーテン”という布地を注文したんだよ。ベージュに少し灰色と茶色が混じった感じのやつ。今も毎日眺めているよ。まあ、自分の部屋のカーテンを開ければ、そこに見えるのはイギリスの木々だけだけれど、日本に行って電動式カーテンを開ければ、日本の建物が居並ぶ光景が目の前に広がり、それが僕に新たなインスピレーションを与えてくれるはず。僕の名前、つまり“ポール・ドレイパー”という英語を日本語に直訳すると、実は“一組の小さなカーテン”という意味になるんだ。イギリスでは、その事実をすごく面白がられるんだよね。

──なるほど、“ポール”の語源であるラテン語が“小さい”という意味で、“ドレイパー”=“ひだの付いたカーテン”ですか。そこは盲点でした(笑)。では今回の来日で、どこか特に見たいものや行きたい場所ってありますか?

ポール:前に行ったことがあって、今は思い出となっている場所を再訪できたらいいね。東京の公園や、渋谷、秋葉原、それから皇居に行って濠の巨大な鯉が見たいな。大阪では、巨大アーケードを歩きたいよ。寿司を食べたり日本酒を飲んだりして、10日間ほどの日本生活を堪能したい。映画『ロスト・イン・トランスレーション』のビル・マーレイ気分をもう一度味わえたらいいね。高層階のバーでウイスキーを一杯やったり、フィリップ・スタルクがデザインしたビルを眺めたり、新幹線に乗ったり。まあ、しばらく普通の日本人になってみたいんだ。そしたら満足だよ。

──叶うといいですね。さて、10~11歳の若さで曲作りを初めてから現在に至るまで、長きに渡って音楽に携わってきたあなたですが、自身にとって音楽の持つ意味はどのように変わってきたでしょうか?

ポール:うちの一家は元々リバプール出身だから、僕が幼い頃、最初に夢中になった音楽はザ・ビートルズだった。そしてそれがそのまま、僕が人生で真っ先にやりたいことになったんだ。つまり、レコードを作ってバンドをやるってこと。それ以降はティーン時代を通じてずっと、僕の行動の全てはプロのミュージシャンを目指すという目的のもとに取られていたんだ。10代の頃から音楽の機材を買い集め、レコーディング・スタジオを借りたり、自室に宅録スタジオを設営したり、曲を書いたり、マルチトラック録音の仕方を覚え、サウンド・エンジニアリングに関する専門書やギターを買ったり。それが過去も現在も尚、自分の人生において圧倒的な興味の対象になっている。だから何も変わっていないように感じるよ。今朝も目が覚めたら、すぐにでもスタジオ入りしたくなって、音楽を作るのが待ち切れなかった。子供の頃と同じ感覚なんだ。何が自分をそんな風に駆り立てているのか、よく分からないんだけど、でもそれは何かを絶え間なく追求したいという飽くなき思いであり、もしかしたらそれによって生きている間にひとかどの人物になれるかもという思いなのかもしれない。果てのない、何か無限の物事に関して秀でた存在になろうとすることにより、自分の弱さを過剰に克服しようとしているのかもしれない。つまり、劣等感を乗り越えるためというか、人々の心を動かすことで自分には価値があるんだと思わせてくれる何かに駆り立てられるというか。自尊心というのは、そういった感覚と深く関係しているんだよ。とはいえ僕も、それがどう関連しているのか正確には分かってないけどね。こういった衝動は人の心の奥底の闇から生まれるものだけれど、その手段を手段のままで終わらせるのではなく、目的を満たさなくてはいけないんだ。僕はついつい手段に没頭してしまうことがあるから、そこは自分でも気をつけなきゃって思う。音楽を作っている時は、その出来不出来によって、もの凄い高揚感を覚えることもあれば、めちゃくちゃ酷く落ち込むこともある。僕自身にとってはごく当たり前に思えるんだけど、もしかしたら客観的には普通の考え方じゃないのかもしれないな。これまでの人生では、すっかり意気消沈して、もう音楽を辞めてしまおうかと諦めかけたことも確かにあった。でもできないんだ。夜、眠れないまま横になっていると、やっぱりスタジオに戻ってリミックスをしたいなとか、20年前に作ったマンサンのB面曲に手を加えたいなとか考えてしまう。そんな風に、コツコツ進めていかなきゃいけないことや色んな選択肢を書き連ねたすごく長いリストがあって、そこにこれを加えなくちゃ、って思ってしまうのさ。僕にとっての音楽は言葉で説明するとこんな存在なんだよ。一種の強迫観念みたいなものだね。

──音楽は正に、切り離すことの出来ない一部なんですね。では最後になりましたが、日本のファンにメッセージを。

ポール:長年に渡って支え続けてくれて、本当にありがとう。日本を訪れたことは、僕にとって常にずっとマンサン時代のハイライトだったし、いつか日本にもう一度行きたいという思いを諦めたことは一度もなかったよ。でも今回それが本当に実現して、夢が叶った気持ちでいる。大げさに言っているんじゃなく、こうして戻れることになったのは、ラッキーかつ恵まれてるなって素直に感じているんだ。望みが叶ったというか、僕にとって頑張る目標や意味ができたと感じさせてくれた。日本に戻れることがどれほど重要な意味を持つのか、どんな言葉でも言い尽くせない。それじゃ皆、ライヴで会おう。きっとスペシャルなものになるはずだよ。

取材・文:Sumi Imai / 今井スミ


<ポール・ドレイパー(Mansun) ACOUSTIC JAPAN TOUR 2019>

2019年3月6日(水)
@渋谷 TSUTAYA O-nest ※追加公演[SOLD OUT]
OPEN:19:00 / START:20:00
2019年3月7日(木)
@渋谷 TSUTAYA O-nest[SOLD OUT]
OPEN:19:00 / START:20:00
2019年3月9日(土)
@下北沢 CLUB Que ※再追加公演
OPEN:11:30 / START:12:00
2019年3月10日(日)
@下北沢 CLUB Que ※再追加公演
OPEN:11:30 / START:12:00
2019年3月8日(金)
@心斎橋 FANJ ※再追加公演
OPEN:19:00 / START:20:00
スタンディング 前売/当日 ¥5,500/¥6,500(税込・ドリンク代別途)

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