【BARKS編集部コラム】大事なものが抜けていた…CDサウンドのどでかい落とし穴
【BARKS編集部レビュー】と冠し、かれこれ3年半ほどイヤホン/ヘッドホンのレビュー連載を続けているけれど、そもそもは「いい音楽をよりいい音で聞くことの楽しさや心地よさを追求するとともに、それによる喜びを皆と共有したい」という思いからだった。
音=空気振動は物理現象なので、いい音とは何かをオーディオ的に模索しながら執筆を繰り返してきた…のだけれど、最近はイヤホンの詳細に着目すればするほど、上滑りの空回り感が強くなってくる気がしていた。というのも、音楽は人間の知覚現象であり、物理現象として表層だけを捉えても本質に近付けないと感じていたからだ。
言い換えれば「音楽が脳による知覚現象である以上“いい音を出すモデル”を探求するよりも、“いい音と感じる自分”を分析したほうが本質に迫ることができるのではないか」という感覚に近い。
「いいと思う音を探す」のではなく「いいと思う自分のコンディションを探す」方が、常に100%の感動を呼び起こす理想の状態と出会えるのではないか? そうなると、音響物理よりも脳科学や音響心理学の見地からアプローチしたほうが、いい音への近道が期待できると思った。
我々は音楽を聴くことで、心地よさや安らぎを感じたり活力を得たりするわけだが、時には感動を呼び起こして涙を流したり、ハイテンションの興奮状態になったりすることもある。この現象は、音楽が脳内の情動神経系、とりわけ報酬系と言われるドーパミン神経系を刺激し、強い快感や興奮を誘起することから起こる現象だと言われている。つまりは「いい音を求める」という行為は、言わば「快の感覚を与える神経系=報酬系を活性化させること」に他ならないのではないか。
であればこそ「報酬系を刺激する音とはどういうものか」…テーマはここ一点に絞られる。
音楽を聞いて感動するという脳のメカニズムは、まだまだほとんど未解の領域のようだが、それでも少しずついろいろな事実も解明されつつあり、その中には一般にはほとんど知られていない驚くべき事実もある。
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私がぶん殴られたような衝撃を受けたのは、音楽の感動を伝える手段としてCDは致命的な欠陥がある事実を示唆する文献との遭遇だった。「音楽本来の感動を呼び起こすための大切な要素が、CDから欠落してしまっている」ことを突き止め立証した脳科学の学術論文が発表されていたのだ。
それは米国生理学会のジャーナル・オブ・ニューロフィジオロジーにて2000年に発表された「Inaudible High-Frequency Sounds Affect Brain Activity: Hypersonic Effect」という論文である。タイトルを直訳するならば「聞こえない高周波音が脳の活性に影響を与える:ハイパーソニック・エフェクト」となるだろうか。
その論文で行われている研究がそもそもスタートしたのは、なんでCDはこんなに音が良くないんだ?という純粋な疑問と、それを解明しようとする探究心からだったようだ。1980年代半ば、アナログレコードからCDへ移行する過渡期にあり、どちらもプレスされていたわけだが、聴き比べるとアナログレコードとCDの間には、歴然とした音の違いがあった。同じアナログマスターテープから作られるにもかかわらずなぜこんなに音が違うんだ?という素朴な疑問が浮かぶ。ただし、CDの持つ16ビット/44.1kHzという規格は人間が聴くには十分と考えられていたスペックであり、このビットレートが音質劣化の元凶とも思えない。むしろCDの音はクリアで良い音と評価されていた側面すらある。
では、CDとアナログレコードの音の違い、その決定的な要因はどこにあるのか?
両者の違いは周波数特性にあった。音楽そのものは低い音から高い音まで広帯域の音で成り立っているわけだが、周波数で言えばおおよそ20Hzから楽器や人の声によっては100KHz、時には200KHzくらいまでの広帯域にわたっている。アナログレコードにもごく当たり前のように50KHzを超えるような高周波が刻み込まれている。だがCDは、高い音は22.05kHzまでしか記録されていない。そもそも人間の可聴域が20KHz程度であり、受け皿としては十分と考えられたからだ。だって人間の耳に聞こえない高周波を刻み込んでもしかたないでしょ?というデジタルならではの割りきりだった。
そんな規格で、かれこれ30年もの間、音楽が流通されてきたわけだが、耳に聞こえないと思われていた20KHz以上の高周波にこそ、音楽の感動を伝える旨味成分とでも言うべき重要な情報が隠されていたなんて、夢にも思わなかったわけだ。その事実を突き止め指摘したのが、先の論文「Inaudible High-Frequency Sounds Affect Brain Activity: Hypersonic Effect」である。筆頭著者は大橋力氏、なんと日本人だ。彼は科学者でありながら、芸能山城組を主宰する音楽家・山城祥二としての顔をも持つ人物である。
もちろん当時から、高周波にこそいい音の秘訣が隠されていると主張する人々もいなかったわけではない。アナログレコードのエンジニアの中には、耳には聞こえない50KHz以上の帯域をブーストしてカッティングを施す職人も存在した。「何故かわからないけど、この方が音がよく感じる」という。聞こえない音をブーストするなんてバカバカしい、ナンセンスなオカルトと揶揄されていたことだろう。余談ではあるが、音の良さで定評のあるスタジオ・ミキシング・コンソールの定番ニーヴも、実はデフォルトで60KHz近辺の応答が抜きんでて良いという、知る人ぞ知る事実がある。もちろん耳には聞こえないため聴覚上はそのニーヴ・マジックには全く気付かない。これもエンジニアのルパート・ニーヴが自分の感性を信じて設計したものだが、そのきっかけはシンプルで「何故かひとつだけ音が良いモジュールがあり、調べてみたら60KHzが発振していることがわかった」という瓢箪から駒のようなエピソードが残されている。理性よりも感性を信じたニーヴのコンソールからは、今もなお非常に心地よいサウンドが飛び出してくる。
「音楽の魅力は人間の可聴域だけに収まっているものではなかった」という衝撃の事実は、未だほとんど世の中に知られてはいない。
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なぜ高周波を含んでいるほうが気持ちよく感じるのか。そもそも聴こえないのではなかったのか? いい音であると感じているその事実をどう証すのか。
脳内において、快感を発生させる報酬系の神経回路が活性化されると、それはダイレクトに音の聴こえ方が快適に聞こえるようになることが分かっているため、脳を直接調べ、実際にどういう音で活性化するのかを事実として目に見える形で示し、脳科学の見地から実証したのが前述の論文の骨子となっている。
「音楽で感動する」というのは脳の働きなわけだが、どうやら我々は音楽をCDに刻み込む段階で、脳を活性化させるパワーを持つ生音から、一番効く成分…旨味成分のような部分を削ぎ落としてしまっていたらしい。可聴域の成分が全く同じでも、耳には聞こえない高周波を含んでいると、サウンドは瑞々しく透明感あふれる心地よい音楽に聞こえる。これは聴き比べを行えば誰でも簡単に感じられる現象だ。この高周波が及ぼす脳への活性作用は、音楽のみならず自然界の環境音でも確認できる事実で、なんと、最も芳醇な音響環境にあるのは森の中だったりすることも明らかになっている。こと熱帯雨林の中などは、可聴域に加え様々な高周波を含んでおり、人間の脳に健やかな快楽を与えてくれるとか。木々の擦れる音、水の音、風、鳥、動物…様々な音が入り混じる中、200KHzもの広範囲な高周波を発生させているのは、多くは虫だったりすることも分かっている。
ちなみに、都会の雑踏を調べてみると、高周波が枯渇した可聴域の音しか存在していない。つまり報酬系を全く刺激してくれない無味乾燥の環境音なのだそうだ。そしてそのような周波数帯域を持つ環境は自然界にも存在するのかを調べてみると、そっくりな場所が見つかったという。なんと、砂漠である。♪つらくはないわ~この東京砂漠 by 内山田洋とクール・ファイブ……なんて、ちょっと笑えない。
ちなみに、可聴域の音と高周波を切り離してしまうとダメだ。全て同時に享受するときにのみ、脳波は反応し報酬系が活性化する。いたずらに高周波だけを聴いても効果はなく、人工的に高周波を発生させても脳は反応しない。無知覚の事象だが、我々の脳はさほど馬鹿ではないようだ。
そして、もうひとつ、にわかには信じられない事実が突き止められている。20Hz~20KHzの可聴域は当然耳で聞いているわけだが、20KHz以上の高周波を、どうやって我々は受容しているのか? それはなんと人間の体表面なのだそうだ。耳じゃなくて皮膚だという。可聴域の音は耳から聴覚として知覚し、それ以上の高周波は体表面から情報を受容し、直接脳幹への刺激として送られる。
自分の好きなイヤホン/ヘッドホンでお気に入りの音楽を聞きながら、耳では聞こえない高周波成分を身体で受け取ると、耳から入ってくる聴覚による音の感動が大きく違ってくる。もちろん耳からだけでも音楽には感動を呼び起こす力はあるわけだけど、理屈を超えた本能的な高揚感やナチュラルハイといった現象は、空気振動を直に身体から浴びる音の楽しみ方で大きく加速するというわけだ。みんなも経験あるだろう。そう、ライブや生演奏の楽しさ、感動だ。
現時点においては、皮膚のどの組織が受容器なのかはまだ究明されていない。身体の表面にどんなメカニズムがあるのかも分からないが、いろんな領域の研究者が関心を持っているテーマだという。資生堂による研究では、傷ついたマウスの皮膚に高周波の音を当てると皮膚の防御機能が高まる(皮膚を守るための分泌物が促進される)ことが突き止められ、皮膚科専門の学術誌で既に報告されている。音楽を皮膚に聴かせると傷が治るなんてSFのような世界だが、学術的に証明された事実だ。目には見えない紫外線が日焼けを起こすことを考えれば、耳には聞こえない高周波が肌に何らかの刺激を与えているのは、むしろ自然なことでもあるような気もする。知られざる感受性は、我々の身体にはまだまだたくさん隠されているのだ。
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高周波成分を一緒に身体から受けることで、脳内の報酬系を刺激し脳幹が活性化する現象は「ハイパーソニック・エフェクト」と名付けられているが、ここに来て一躍注目される機会が多くなってきている。ハイレゾの存在だ。
音が良いとか、より原音に近いとか、ハイレゾの魅力は様々な角度から語られているけれど、実のところ何より重要なのは、これまで知らずしてカットされてしまっていた音楽の旨味成分をしっかりと復活させ、「音楽が本来の力と魅力を取り戻す」ことにあると私は思っている。脳幹の活性化は、そのまま心と身体の健康に直結し、心地よさ/健やかさを呼び起こすとともに、生命力を高めるという生存本能そのものに直接訴えかけることを意味する。心の病やアレルギーなど現代病と言われる様々な疾病が、種としての生命力の低下によって噴出しているものだとすれば、心のビタミンである音楽を本来の形で受容することは、想像以上に重要な事なのではないか。
好きな音楽を聞いて感動しているときには身体の状態もいい。いい音を求め心地よいサウンドに身を委ねるのは、自らの生存値を上げていく行為にも等しいと考えられる。心地よい音楽を耳から聴くと同時に、音楽のビタミン成分を浴びるように身体で受けて、健やかな毎日を過ごしたいものだ。
デジタル時代、不完全な状態で音楽が流通してしまっていた事実が、人間にどういう影響を与えてしまったのかまでは分からない。ただ、例えばこのような心理実験結果がある。デジタル世代の若い人に、アナログレコードとCDの聴き比べをしてもらうのだ。その時の脳波を測ってみると、高周波を含むアナログレコードの音を聴いている時のほうがアルファ波が出ており脳の状態としては快感が高まっている反応を示すそうだ。しかしながら、どちらの音が好きかを訊くと「CDの音が好き」と答えたという。つまり「生理反応と心理反応に不一致を起こしている」状況が見られるのだ。これは見逃せない深刻な問題を示唆しているのではないのか。
音楽が売れなくなっている現実を、どう見るか。一方でライブに人が多く集まるのも自然の摂理といえるのではないか。人工物にまみれた現代社会ではあるけれど、まだまだ本能に根ざした人間の嗅覚は頼りにするべきものかもしれない。ハイレゾは、かつてのアナログが持っていた芳醇な音楽をそのまま表現してくれる待望のフォーマットだ。高周波をも含め健全に正しく音楽を楽しめるようになるにはもう少し年月がかかるかもしれないが、音楽が持っていた力が、今取り戻されてきていると感じているのは、私だけではないだろう。
ちなみに素朴な疑問として、デジタルに変わる前のアナログ時代の録音/再生機器が、可聴域を超えた高周波までをもちゃんと取り扱うだけのレンジを持っていたのかも気になるところだが、概ね大丈夫だったようだ。レコーディングの録音機器であるスチューダーのようなアナログマルチは70KHz以上の超高周波をラクラク収めることができ、スタジオ用のマイクも例外はあるものの、50KHz以上のレスポンスをもつものはあるという。ことビンテージと言われるようなマイクも広帯域のものが多く、もちろんLPレコードには非常に高い高周波成分までが溝に刻まれており、品質の高いピックアップ(レコード針)であれば十分に再生することができるものだった。
そもそもアナログ楽器には高周波がバンバン出るものがたくさんあった。名機シーケンシャル・サーキットのプロフェット5などは高周波がすごく出るアナログシンセのひとつだ。一方でデジタル楽器は、信号を人工的に数値に落としこむために、設計時に何を信号にして何は捨てるのか要/不要を明確に線引して確定的に設計するため、サウンドの表現領域を可聴域だけに収斂させてきた歴史がある。今もなおアナログ楽器の人気が衰えないのは、旨味成分がカットされた人工食のようなデジタル音質に対する、帰巣本能なのかもしれない。
音楽が表層だけで語られてしまった暗黒の30年を経て、ハイレゾとともに、音楽産業はまた大きな飛躍を遂げていくと私は信じている。不毛の30年は取り戻せないが、この間に生まれ育った子どもたちに、一刻も早く芳醇なサウンド体験を提供する必要があるだろう。
text by BARKS編集長 烏丸哲也
協力:本田学(神経研究所疾病研究第七部部長 脳病態統合イメージセンター副センター長 早稲田大学理工学術院客員教授 東京医科歯科大学連携教授:写真右)、仁科エミ(放送大学教授 総合研究大学院大学文化科学研究所メディア社会文化専攻:写真左)
◆「ジャーナル・オブ・ニューロフィジオロジー」サイト
◆「ハイパーソニック・ハイレゾ音源」サイト
◆文明科学研究所サイト
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