すべてを超越したヴァン・ヘイレンの濃厚な熱演に、東京ドーム熱狂

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デイヴ・リー・ロスを擁するラインナップでは実に1979年以来となるジャパン・ツアーを展開中のヴァン・ヘイレン。その東京公演を6月21日、東京ドームで観た。この先、24日と26日の両日には大阪公演も控えているだけに、必要以上の種明かしは避けたいところだが、とりあえず僕自身の雑感などをこの場に綴らせていただくことにする。

まず感じさせられたのは「エドワード・ヴァン・ヘイレンがステージ上で演奏している」という単なる事実をどれほど多くの人たちが喜んでいるか、ということだ。当初、この公演は2012年11月に行なわれることになっていたもの。それがエディの健康状態(2012年、大腸憩室炎の緊急手術を受け、全快までに数ヵ月を要している)を理由にこうして延期されることになったわけだが、その彼の元気な姿が見られるだけでファンは嬉しいのだ。しかも前述の通り、そこにはデイヴも一緒にいる。マイケル・アンソニーを欠いているためにオリジナル・ラインナップ復活ということにはならないものの、エディの実息であるウルフギャングがその後任ベーシストを務めているとあれば、誰もが納得せざるを得ない。

参考までに、そのウルフギャングは1991年生まれ。彼の側に立てば、これは父親と叔父(アレックス・ヴァン・ヘイレン)、そして自分が生まれるよりもずっと前に脱退していた、父親たちのかつての同僚とバンドを組んでいるという状態。彼にとってデイヴは、それこそ「親父の古い写真のなかに一緒に写っていた人」くらいの感覚であってもおかしくないわけだ。

そんなきわめて血の濃い成り立ちにある現在のヴァン・ヘイレンだが、それ以上に濃いのがデイヴの存在感であることは言うまでもない。今回のライヴではステージ背景と両脇のスクリーンに彼ら自身の姿が映し出されていたが、中盤まではモノクロの映像だったのに、少なくともデイヴの姿が映し出されているときは極彩色のように見えた。途中からカラー映像に切り替わったときには、濃いというよりも、くどいくらいに感じられたほどだ。しかしそれくらいのキャラクターと存在感の持ち主だからこそ、巨大なドームの最後方にまで、射るような視線を飛ばすことができるのだろう。

演奏面、パフォーマンス面での充実ぶりについては、何も言うべきことはない。特筆すべきことが皆無なのではなく、すべてが特筆に値するものであり、難癖をつける気が起こらないのだ。確かに東京ドームという巨大会場であるがゆえに、どの席で聴いても最高の音というわけにはいかなかったはずだが、各々の音がしっかりと聴こえ、必要以上の装飾がないバンド・サウンドはとても心地好いものだったし、これみよがしに超絶プレイを披露するのではなく、涼しい笑顔で普通にすごいことをやってしまうエディのたたずまいには、なんだかそれだけで見惚れてしまうものがあった。のんびりとした曲が皆無の演奏メニューを2時間超にわたって叩き続けるアレックスのスタミナにも、ウルフギャングのひたむきな演奏ぶりやコーラスワークにも、「冷静になって考えてみると、やっぱりすごい」と感じさせられる部分がある。

しかし実際には、やはりデイヴとエディが視界を独占することになる。デイヴのエンターテイナーぶりにはかつて以上に磨きがかかり、サービス精神の旺盛さにも拍車がかかっていた。なにしろ1曲目の「アンチェインド」の途中に聴こえてきたこの夜最初のMCは、「ニホンゴヲ、ドコデオボエタノデスカ?」というもの。むしろこちらが彼にそう訊きたいくらいである。まことしやかに囁かれている日本在住説の真偽などはさておき、そうして彼は随所に日本語を挟み、客席に笑いを振りまきながらステージを牽引。終盤には彼自身の主演によるショート・フィルム(ダイアモンド・デイヴ様なりの任侠映画、ということにしておこう)まで上映されるというありさま。往年のようなものすごい跳躍パフォーマンスなどはないにしても、ときおり鋭い前蹴りを決めながらステージ上を滑るように動きまわる彼の一挙手一投足から、僕は目を離すことができなかった。というか、感覚的には「目を離すことを許してもらえなかった」と言ったほうがより正確かもしれない。

具体的な演奏曲目などについては、この場には敢えて記さずにおく。が、これから大阪公演に向けて予復習をしておきたいという方々が聴くべきなのは、『炎の導火線』から『1984』に至るまでの作品と、デイヴ復活作にあたる『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース』だけ。もっと言ってしまうならば、超有名曲以外知らないままに出掛けても、退屈とは無縁の時間が保証されていると言っていいだろう。往年の作品群と非常に噛み合せのいいこの最新作については、“観てから改めて聴く”というのもアリだと思う。

というわけで、今回のご報告はこの程度にとどめておくことにする。この東京公演については、またいずれ機会を改めてより具体的なことを書きたいと考えているが、それは残された大阪での2公演が終了してからにしたい。後日、大阪での熱狂ぶりが伝わってくることを信じながら。

増田勇一
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