ファンモンが岩手で復興応援ライヴ「僕たちのファンに伝えていきます。一所懸命に生きている皆さんの事を」

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FUNKY MONKEY BABYSが、東日本大地震の3月11日からちょうど100日目の6月18日と翌19日に、いまだ震災の爪痕が強く残る岩手県陸前高田市、下閉伊郡山田町、宮古市の3カ所で<被災地復興応援ライヴ>を行なった。

◆ファンキーモンキーベイビーズ <被災地復興応援ライヴ>画像

3月11日午前中に<福島県柳津中学校卒業式応援サプライズライヴ>を終え、その帰り道、新幹線での移動中に東日本大震災を経験したファンモン。この経験によって、彼らは6月8日にリリースされた両A面シングル「それでも信じてる/ラブレター」の収録曲である「それでも信じてる」が生まれたのはすでにお伝えしたとおり。

また震災後、すぐにメンバーは地元である八王子市を通して支援物資を送り、同じく八王子市とともに義援金口座を開設。自身のライヴでの募金活動のほか、チャリティーライヴへの参加など、被災地支援への行動をおこしていた彼らだったが、直接現地に足を運んだのは今回が初めてとなった。実は、上記の被災地支援活動と同時進行で、現地に行きたいというメンバーの想いを受けたスタッフが水面下で現地下見を重ね、今回の<被災地復興応援ライヴ>を計画していたのだ。

当初、今回の<被災地復興応援ライヴ>は、メンバー、スタッフともにマスコミの呼び込みはせず、シークレットでの実施を予定して進められていた。しかし、現地、宮古市の窓口でもある宮古市災害ボランティアセンターの渡辺さんと在原さん、そして陸前高田、山田町スタッフから「東北は皆さんのご協力、ご支援がまだまだ必要です。ぜひファンモンさんに歌ってもらい、元気をもらいたい。そしてメディアの皆さんを連れてきてもらって、今の東北の現状を全国に伝えてもらいたいです。東日本大震災を、東北を忘れないで欲しい。」と、要望されたことを受けて、シークレットではなく、在京テレビ局での取材も受ける形での開催となった。

制作スケジュールの合間を縫って1泊2日で3公演という強行スケジュールとなった今回の<被災地復興応援ライヴ>は、陸前高田からスタート。避難所になっている高田第一中学校では1000人以上が来場し、約1時間のライヴの直後には、約3時間をかけて被災者とサイン会でたっぷり触れ合った。

翌日は、前日の疲れも見せず、午前中から山田町でのライヴ。こちらも避難所となっている山田高校グランドに約1500人は超えるかという被災者を前に熱いライヴを披露した。終演後にはメンバーの3人がハイタッチでオーディエンスを送りだした。

そして<被災地復興応援ライヴ>の最後の土地は宮古市の河川敷。ライヴの情報を聞きつけた人たちが続々と集まり、ライヴ開始時には3000人に迫ろうかという人だかりができるなど、その様子はまるで夏フェス。河川敷には、前日の陸前高田や、午前中の山田町でのライヴと同様に、老若男女、年齢や性別をこえた沢山の人たちの笑顔があふれていた。

6月19日といえば「父の日」。ファンキー加藤は“頑張れ! お父さん!”と、日本のお父さんの応援歌として、『NHK 紅白歌合戦』でも披露された「ヒーロー」を熱唱。イベントを一緒に企画した、宮古市災害ボランティアセンターの渡辺さんは「日にちの感覚も最近あまりなかったけど、加藤さんのお陰で、今日が『父の日』だってこと思い出しました。」と笑顔を見せた。

「辛い事もあれば、こうやって笑顔になれる事もある。すごく考えた結果、しかめっ面していても時は経つし、それだったら毎日笑っている方が未来に繋がると思います。毎日色々あると思いますけど、笑顔を心掛けていきましょう。」── モン吉

「おじいちゃん、おばあちゃん、そのまたおじいちゃん、おばあちゃんが作り上げてきたこの東北の宮古市という街を、若い衆がもう一度作り上げていきましょう!」── DJケミカル

「僕たちも東京にいながらできる範囲の支援はしてきたつもりでしたが、心に残っているやりきれない想いがずっとありました。“音楽の力”というものを最大限に生かせるのはライヴなんです。やっぱりこうして直接歌を届けることなんです。これから東京に戻って、僕たちのファンに伝えていきます。この街の状況とそんな中でも必死に前向きに一所懸命に生きている皆さんの事を伝えていこうと思っています。皆さんの事を絶対に忘れないです。ずっと支援を続けていきます。」── ファンキー加藤

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