LUNA SEA、何も変わらないという偉業
バンド結成から20年、LUNA SEAのREBOOT=再起動の鐘が高々と鳴り響いた。1999年海外ツアーの活況を映し出す2つのDVD作品の登場と、東京ドームの2days開催である。
ここ20年の間に、時代は大きく変容した。ネットの発達、PCの進化、画期的ソフトウエアの登場をもって、音楽制作環境は日に日に便利になり、手軽なツールで最高級のサウンドが簡単に作り上げられるようになった。ミュージシャンの制作環境の簡便化、音楽好き人の全ミュージシャン化は、そのまま加速が付き、プロミュージシャンの勢力図も大きく変容を見せた。
素晴らしい音楽センスさえ携えていれば、簡単に音楽を発表できるようになったことは、プレイヤーにとってもオーディエンスにとっても、疑いの余地もなく幸せを創出するものだったはずだ。確かに作品発表の場は全ての人に平等に与えられ、SNS系サービスや動画投稿サイトからは、新たなヒーローやヒロインが登場、クリエーターの発掘もヒートアップした。瞬発力の高いヒットも一般オーディエンスの手から誕生し、あらたな音楽は、新世代オーディエンスからの大いなる支持を生み出した。
一方で、音楽品質の低下、使い捨て音楽への指摘など、軽薄短小な価値観でランキングが揺れ動くさまを憂う声も聞こえてくる。ミュージシャン誕生の敷居が極限まで低くなったことで、音楽文化は果てしなき発展を続けるのではなかったか。日本全員ミュージシャン化は、まだ見ぬ音楽芸術大国への奇跡のロードマップを描くのではなかったのか…。
音楽制作環境のお茶の間化は、素晴らしい音楽を360度エリアから創出させることを可能にし、これまでになかった新音楽を生み出した一方で、元来のバンドをぬるま湯に浸し腑抜けにさせるというまさかの弊害を生み出したようだ。便利ツールにして、「効率を上げるための道具」が「スキルを補うための魔法」として利用されたこと…それこそが品質低下の元凶ではなかったか。
ミュージシャン誕生の敷居が極限まで低くなったことは、乗り越えなくてはいけない壁が取り払われたことを意味する。基礎体力を手に入れずして実践テクニックに手をつけようとするスポーツ・ファンに似て、その環境はかえって頑強なアスリートを生み出しにくい状況を作り上げてしまうという皮肉な結果となった。最高のドリブルテクニックを持っていても90分走り続ける体力を持っていなければサッカーの試合には出られない。基礎体力の向上は小手先では手に入らないのだ。1分間のエンターテイメントは簡単に楽しめるが、90分の熱き感動ドラマはプロのアスリートからしか生まれ得ない。
簡易な音楽制作環境というパンドラの箱は、ミュージシャンの基礎体力を奪い去った。一時の瞬発力しか武器を持てないアーティストばかりが乱出してきたのが21世紀の音楽業界のトピックではなかったか。瞬間芸のオンパレードである。
20年前、良くも悪くもプロミュージシャンは既得権に守られていた。CDという作品をリリースするには、レコーディングする必要がある。レコーディングにはスタジオに入り録音する必要がある。高価なレコーディングスタジオを利用できるような立場を得るまでに、アーティストが突き進むべき道のりには、さまざまな障壁があり、かけられるふるいがあった。
デモ音源ひとつをとってもそうだ。アマチュアミュージシャンからプロになりたければ名刺代わりとなるデモテープを作らなければならない。4チャンネルカセットMTRで人に聞いてもらうレベルのものを作りあげるには、演奏の点においてもアンサンブルの聞かせ方においても、音の積み重ねのミックスにおいても、十分なスキルを身に付けいつでも潤沢にアウトプットできるミュージシャンスキルを高次元まで高めておく必要があったものだ。
表現者である以上、演奏スキルが高いのは当たり前の話。曲作りのセンス、ステージング、パフォーマンス、そして何より様々なスタッフを力を結集し作品を作り上げる牽引力、人を惹きつける人間力…。磨かれた素養と経験、そこから始めて導かれるミュージシャンシップの高さこそ、アーティストとしての存在理由を高らかと歌い上げる礎となっていた。
突風で機材が壊れようとも「楽器さえあれば俺達はステージに立てる」という明言と共に瓦礫となったステージで感動のパフォーマンスを見せ付けた1999年の10万人野外コンサートも、ソロ活動で各々が5つの道を歩みながら集まれば一瞬にしてLUNA SEAマジックが起きるのも、LUNA SEAというバンドの基礎体力とミュージシャン・シップが、日本有数のトップレベルまで磨き上げられたモンスターだからこそのこと。
ノスタルジーに浸りリユニオンを行なうような5人ではないことは、SLAVEであればご存知のことだろう。そして多くのミュージシャンに影響を与え今もなおリスペクトされ続けるLUNA SEAだからこそ、「素晴らしいパフォーマンスを見せました」だけの単なる復活に終わるはずもない。
プロを語るミュージシャンとはいかなるものか。バンドが生み出すマジックとはどんな感動なのか。そしてそこから創出されるオーディエンスの期待に、バンドはどれほどの裏切りとサプライズで感動の涙を流させてくれるのか。
彼らの存在が、今後の日本の音楽を占う重要なポジションにあることは、20年前も2010年の現在も、何一つ変わっていなかったことがあからさまになる、それが2010年12月の東京ドームなのである。そしてこれこそ、20年目にしてモンスターLUNA SEAが新たに刻む、音楽シーンへの警笛・爪痕なのではないか。
text by BARKS編集長 烏丸
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